第十三話 コンプリート・コンクリート
「制服」と書いたダンボールからビニール袋で梱包されたピカピカの制服を取り出し袖を通す。前の学校の制服はシンプルなブレザー、蒼月は気品溢るるボレロタイプ。鏡の前でくるっとターン……よしっ、大丈夫。ちょっとした貴族のお嬢様に見えてしまうのは目を瞑ろう。
昨日の件もあり玄関の施錠をしっかり確認。九時を回っているからかマンションに人気はなかった。
……人気といえばお隣さんはどうしただろう。昨日幕部が帰った後、引っ越しの挨拶をしようと手土産を持って両隣を尋ねたが返事がなかった。もしかすると事件もあったから接触を避けているのかも。妥当な判断なのでわたしとて無理やり接するつもりはなかった。
役所と聞いただけで胃が痛くなる性格だが、再整備された都市だけあって役所の設備はハイテク。最初こそは順番待ちで待たされたけれど、窓口の案内に従って機械を操作して個人情報を打ち込むだけで終了した。
「本日は以上となります」
住民カードは窓口で手渡しだった。住所、氏名、生年月日、記されていることは紙の保険証とは変わりない。ただ一つ、不動産屋の禿頭が持っていた申請書と似たような正方形のバーコードが左隅にあった。身分を求められたら基本的にこのバーコードを見せるだけいいとのこと。
ハイテクって素晴らしい。蒼月って暮らしやすい街だ。役所だって一時間もかからなかったし、役所の職員はみんな優しかった。ここなら家族三人で居を構えたっていいとも思ってしまった。
けど役所を出て早々、ハイテク社会の洗礼を受けることに。
「ここ……どこ?」
駅前にしても道路にしても、この街は異様に案内板が少ない。
自分もバカじゃない。すぐさま文明の利器に頼ったともさ。けどアプリを更新したって蒼月の地理を正確に表示してくれない。おそらく再整備の弊害なのだろう。道にいるはずなのにアプリではビルのど真ん中にいることになってる。
ここの住民はどう生活しているのかと不思議に思って、バスの停留所のベンチの腰掛けて道ゆく人を観察してみた。わたし自身あまり機械に詳しいわけではない。けれど通行人のほとんどが同じスマホを手にしていることに気づいた。わたしのものより画面が広くて形状はタブレットに近いだろうか。東京では見たことない種類だ。
手元のスマホで調べてみると面白い記事を見つけた。蒼月では『Hozumi』という会社のスマホが主流らしい。なんでも半年前の調査では普及率が九割だとか。マップはもちろん、モノレールやバスの時刻表やスーパーの特売なんかも分かり、蒼月での生活に寄り添った作りになっているようだ。
へぇ、便利だね。時間がある時、買いに行こうかな。
と、また一つ見聞を深めたところで事態は好転しない。自力での解決を諦め、たまたま通りかかったタクシーに助けを求めて学園に向かった。
天高く聳え立つ白い壁。侵入者を寄せ付けない鉄の門扉。どこぞの王様の宮殿が見えてきた。蒼月にも大富豪がいるんだなと呑気に眺めていると、運転手から「到着しましたよ」と声をかけられた。
……ここが学校? 高校にしても大学にしても日本の学校が狭いことは知っている。夢のキャンパスライフがビルのワンフロアってこともありえる時代なのに――こんな宮殿みたいな場所が学校?
警戒しながらおそるおそるとタクシーから降りると体格のよい守衛が二人も待ち構えていた。最初は訝しげな表情で見つめるも、わたしが蒼月の生徒と分かると表情を緩める。こんにちわ、と軽く頭を下げ、蒼月の中心部に突入した。
セミの手荒い洗礼を受けながら並木道を歩く。広々とした緑の芝生に、等間隔に道に置かれたベンチ、どことなくロンドンのグリーンパークを思い出す。夏休みということもあってか人がいなくて静かだし、風も気持ちよくて空気も美味しい。しばらくコンクリートジャングルで育ったせいか、自然の素晴らしさと愛おしさを忘れていたようだ。心地いい空間が人間の本能を思い出させてくれた。
となると無意識に本能的な行動をするのが当たり前。本能に任せて土地勘のない場所をフラフラクラクラ。
……わたしは悪くない。初めての場所で地図もなければ道に迷うのは当然である。入り口まで戻ろうにも気のゆくまま歩いたから来た道が分からなくなってしまった。
というか、高校のくせに建物がいたるところにニョキニョキと生えているのはどうかと思う。大学ならまだしも高校なんだぞ。こじんまりとした東京の学校の作りを見習ってほしいものだ。
「えっほ、えっほ」
迷える子羊の前を両手に大量の書類を抱えた少女が通る。わたしと同じ格好で、両肩からゆさゆさと束ねた髪を揺らしながら、小さな身体を懸命に動かして。
「……ん?」
最初は何事もなくわたしの前を横切るも、数歩進んだところで足を止めた。そして書類を抱えながら身体ごとわたしの方を向いてきた。
「見かけない顔だね。もしかして転入生?」
ほんわかとした可愛らしい声で尋ねてくる。ちょっぴり驚いた、というのも蒼月学園は一学年、千人を超える超マンモス校。同じ学年だとしても見かけない顔くらいたくさんいるだろう。なのに目の前の子はピタリと言い当てた。ほんわかしているように見えて、案外切れ者なのかもしれない。
名前も分からない相手にペラペラと喋る義理はない。とて嘘をつく理由もない。自他共に認める秘密主義者のわたしだけど積極的に嘘をつく真似はしなかった。自己紹介がてら道を訊くことにした。
「二学期からお世話になる天塚凛です。えっと、職員室ってどこですか?」
「わっ、ほんとに転入生なんだ! 何年生? 何組? あ、もしかして先輩だったりします? だったらごめんなさい。この学校に転入生なんてほとんどいないので興奮しちゃって。私、一年の結月志保って云います」
結月と名乗った少女は抱えていた荷物を地べたに置き、親愛の証なのかわざわざ駆け寄ってきてわたしの両手をギュッと掴んできた。思いがけない歓迎に戸惑いつつも「一年生です」と身分を明かす。同級生と分かると、結月はなおのことはしゃいだ。忙しそうにしている彼女に道を尋ねるのは忍びなかったが、案内人不在で迷宮を踏破できる自信がなかった。
「んんと、ここからだとだいぶ離れてて……時間は大丈夫? これ片付けたら案内したげる」
「本当ですか! 助かります」
地獄に仏とはこのことだ。結月の後ろにつきながら迷宮を縦横無尽に練り歩く。
道中では学園に関する話をいろいろと教えてくれた。いくつかある学食の中でもパスタが美味しいところとか、正門から一年の教室に行くまでのショートカットとか。どれも学園での生活に役立つ有益な情報だったが、それをわたしに扱えるかは別である。
同級生ということもさることながら、結月は口調もハキハキしていて朗らかな性格で話しやすかった。つい会話が弾んでしまい、気づけば見知らぬ建物の中に迷いこんでいた。
学園の敷地に入ってから道端のゴミすら見当たらず、光沢を放つ大理石の建物ばかりを目にしていた。
が、ここは……良い意味でも悪い意味でも「学校」だった。わたしの髪色に似たような灰色の内装、壁面の謎の丸い窪み、ひんやりした壁、カンカンと反響する足音――これぞまさしくコンプリート・コンクリート!
わたしが思い描く日本の学校の心象風景そのまま。どころかひと月前まで通っていた東京の高校とそっくりで懐かしささえ覚える。周りの建物はキラキラして、役所の設備も最先端のくせして、肝心の学校が普通では肩透かしもいいところ。おまけに人っこ一人見かけないし、下駄箱は塗装がところどころ塗装は剥げて斑模様だし、色彩を失ったポスターに五時を指して止まった時計……おいおい、ろくに管理もされてないのか。これじゃあまるで廃校だ。
「あ、私から離れないでね。開拓したところじゃないと危ないから」
ここは十九世紀のアメリカか。少なくとも現代で飛び出る単語じゃないぞ。でも大袈裟な表現かと思えば廊下に水溜りがあったり、天井からギィギィと不快な音が聞こえたり、階段を登ると女性の悲鳴のような声が聞こえたり……、少なくとも安全な場所ではないらしい。ひょっとして騙されているのではないかと半信半疑になりつつも、三階の廊下を左に曲がると結月は足を止めた。
「ここが『お助け部』の部室。凛ちゃんがお客さん第一号だ」
書類を抱えながら不自由な手で懸命に立て付けの悪い扉を開けた。一見すると普通の教室にしか見えなかったが、扉を開けるとデスクトップのパソコンやクリーム色のソファー、焦茶色のアンティークテーブルと小綺麗な空間が広がっていた。窓側に学習机や椅子が積まれているのは目に瞑るとして、学校とは思えないシックな部屋だ。
結月は「どうだ」といわんばかりに平たい胸を張る。
いや、どうもなにも……反応に困ってしまう。唐突に「ちゃん」付けで呼ばれて嬉しかったのもある。「お助け部」などという聞きなれない言葉が飛び出て面食らったのもある。いろんな感情が入り混じった結果、言葉を失ってしまった。
結月はテーブルにドサっと荷物を置いて、重荷から解放された両腕を真上に伸ばす。
「期末試験が終わってやっと設立できたの。部員がわたししかいないけど」
「えっと、お助け部……って?」
「その名の通り、人を助ける部活。蒼月はお金持ちとか芸能人とか天才とかいろんな人がいるから、沢山の人がたくさんのお悩みを抱えているの。それをパパッと解決してあげるのが『お助け部』」
それは殊勝な心がけである。名前がダサいことを差し引いても偉いと思う。世が世なら、場所が場所ならノーベル平和賞に選ばれるかもしれない。
「それはすごいですね」
パチパチと拍手で感嘆の意を示す。またも結月は薄い胸を張った。
「でもね、部員がいないの」
「それは残念ですね」
「この学校って部活強制加入で掛け持ちオッケーなのに。だから万年部員募集中。未経験者可、年齢不問――方向音痴もモーマンタイ」
「……ふぅん、頑張ってください」
「あっ、あと、蒼月に慣れてない子でも即戦力。色眼鏡なくて、どこかの派閥に属してなければ高待遇! おまけに部室の紅茶もコーヒーも飲み放題。すごいよ、破格だよ。口うるさい先輩もいないからのびのびできる」
「そこをアピールポイントにするといいでしょう」
あまりにもこちらが素っ気ない態度で躱すから「むぅ」と口を尖らせた。
「もうこれは逃れられない運命だよ。凛ちゃんは『お助け部』の副部長になるんだ」
「ジョーダンじゃないです。人助けなんてまっぴらごめんです。部活はもっと気楽な場所を探します」
「はいりなよ、はいらないの? はいってよ! はいれよ! じゃないと道案内しないよ?」
「案内もなにも、もう到着したじゃないですか。いくらわたしでも校内で迷いません」
常識的な物差しで測るとわたしは方向音痴かもしれない。でも範囲が限られた空間であれば問題ない。東京でも保健室の場所が分からなくて数回迷ったくらいだし。オンボロなら尚更、手入れされている場所を探せばいいだけだ。
ふふん、どうだ。利を失ってキョトンとしてる。チープな脅しなんて意味ないぞ。
「……ここ、旧校舎だけど」
――へっ?
「職員室は本館。ここから少し離れてて……」
…………え?
「ふーん、私の案内いらないんだ。そっかそっか。それなら今日は部屋の片付けしよっかな?」
「えぇっと、あの、結月、さん? お助け部なら困ってる人を助けないと」
「だって凛ちゃんは助けいらないんでしょう?」
ニヤニヤと不敵な笑みを浮かべる結月。ドSだ。鬼畜だ。ほんわか女子高生に見えてサディスティックだ。最初からわたしを騙そうとして罠にかけるとは卑劣だ。蒼月の生徒は全員こんな性格なのだろうか。
これほどまでに完璧な敗北は久しい。ぐぬぬと悔しさが込み上げるも、生半可な気持ちでは蒼月でやっていけないことを気付かされた。
「ま、今日のところは許したげる。一緒に職員室までいこっか。二学期までにはどうするか決めておいてね」
なんだ、諦めてくれないのか。普通の人なら二学期になる頃には忘れていると期待できるが、なんだかこのほんわか少女にはうまくいかない気がする。むしろこの学校で一番弱みを見せちゃいけないような……そんなわけ、ないよね。わたしの気のせいだろう。そうであってほしいと願った。
わたしを負かしてスッキリしたのか、先ほどよりいっそうご機嫌になって足を進める結月。今年中に三人目の部員が欲しいとか、選択権をわたしに委ねたくせに、もう結月の頭にはわたしの名前が刻まれているようだ。
しかしわたしもバカではない。掛け持ちオッケーなら本命の部活を探せばいい話。幽霊部員になってもいいんだし……あぁ、こら、嬉しいからってよそ見してスキップすると転ぶぞ。
「先生の名前とか聞いてない?」
「えっと、赤城って云ったかな」
「赤城先生なら私の担任だ」
早々にクラスメイトと知り合えて嬉しいのやら、呆気なく弱みを握られて悲しいのやら。
結月とともに旧校舎を離れ、ミノタウロスも真っ青になるであろう複雑な道のりを突き進む。旧校舎の正面にあった無骨な建物に入ったかと思えば廊下を通り抜けただけ、鉄骨階段を登ったと思えば連絡通路を通って隣の建物に移ったり。毎日こんな複雑な道を覚えないといけないのかと辟易する。
「今日は北門から入ってきちゃったのかな。正門から道なりにまっすぐ進めば本館なのに」
……だ、そうだ。ホッとした。
初めて学園都市を見た興奮。一般的な学校感溢るる旧校舎。蒼月に対する期待値はジェットコースターのように急上昇急降下。おまけに結月との出会いと迷宮の踏破でわたしの情緒は不安定。そんな期待と不安のせめぎ合いも学園の本館に到着すると蹴りがつく。わたしの心は一気に晴れ晴れとした。
「すっごく広い! ひんやり涼しい! よく分からないけど良い匂いがする! 綺麗だしハイテク! 都内の大学に負けてないね」
引き続き結月に案内されて職員室に向かう。といったって昇降口の近くにある階段で一つ上に登るだけなのだが。
夏休みということもあってか職員室はまばらだった。結月が「赤城せんせー」と元気な声で呼ぶと奥にいた男性が振り向く。眉間に皺がくっきり刻まれ、白髪混じりのオールバックで背が高く痩せこけた男。強面で貫禄があると思えば話し方は柔らかで聞きごちのいい声だった。
「天塚くんか?」
もちろん「くん」付けで呼ばれたのは生まれて初めてである。よっぽど男らしく見えたとショックだったが、隣にいた結月にも「結月くん」と云っていたので性別問わず「くん」呼びらしい。
「天塚くんは僕が受け持つ一組……結月くんと同じクラスだね。うちのクラスは内部も外部もいるから楽にしてくれ」
「ちなみに二組も似たような感じで、三組は華やかな人が多くて四組は秀才揃いだよ」
*
この地の名を冠する学園には現在、大きく分けて二つの派閥があるそうだ。
正当な方法で学園都市の住民になった生徒と、学園都市として再整備される前から蒼月で暮らしていた住民を内部生と呼ぶ。
赤城曰く、今でこそ学園都市としての栄華を極めるこの場所も当時はいろいろと揉めたそうだ。ニューヨークやロンドンを超えた大都市を目指す自治体と、半ば強引に追い出される形で土地を手放すことになった地元住民との軋轢。それこそ口にするのも憚れるような血生臭い事件が絶えなかったようだ。
自治体と地元の関係を取り持ったのが蒼月学園だった。蒼月学園は明治に創立して以降、この地とともに繁栄した由緒ある学校。地元住民からも信頼され、尚且つ都市計画の中心にあった学園は調停者として再整備を指揮した。その過程で学園は地元住民に対し、とある取り決めを行った。
簡単にいってしまえば蒼月の住民であれば、最先端の技術が詰まった蒼月学園への入学を許可されるというもの。蒼月学園は古くから政治家を輩出しており、近年では私立の名門校として名を馳せて難関学校と評されるほど。自分の子供、ないしは孫が無条件で蒼月学園に入学できるとなれば争いも蜘蛛の子を散らすようになくなった。
しかし今度は自治体側が難色を示した。グローバルでフューチャリスティックな地域を目指す自治体には古き働き手は不要。類稀な才能を持つ人間だけを集めた、エリート養成機関を計画していたのだ。
結果だけ見れば自治体は選民思想を捨てた。学園と住民との約束を黙認し、蒼月の再整備を始めた。国内外に最先端技術を詰め込んだ学園都市を訴求すると、真っ先に目をつけたのが数多の原石を抱えた芸能界だった。
子供は学校に通うのが義務である。子役の保護者としては学業と仕事を両立させたいが、事務所は仕事もプライベートも徹底的に管理したい。しかしそれは虐待一歩手前。子供が伸び伸びと生活できて変な連中が寄りつかなくて芸能に理解がある学校、と、長年理想郷を欲していたところに再整備された蒼月。徹底的に管理された箱庭と芸能界のニーズは一致した。
今日でも芸能界から招かれる生徒が多い。学力こそ相応しくないが蒼月に相応しい特待生として幅を利かせているようだ。
広義的には余所者を外部性と呼んでいたらしいが、受験戦争を掻い潜った猛者を無碍に扱えなかったのだろう。今では推薦で入学した生徒を外部性と呼んでいるようだ。
内部生と外部生。学園の生徒として知っておかなければならない常識。
*
と、テレビゲームのような語り口の赤城と結月に適当に相槌を打つ。心の中では「早く終わらないかなぁ」と願っていたりいなかったり。
「分からないことがあれば私に聞いてね。連絡先を交換っと……」
「結月くん、一応ここは職員室だから」
「あ、そっか、ごめんさない」
てへと恥ずかしそうに舌を出し、制服から半身飛び出たスマホを再び入れ直した。なんだこの子、可愛いな。
「あときみに伝えておくことは……」
「あ、先生。あとで部活の入部届けください」
わたしに尋ねているのになぜか結月が答える。
「入部……あぁ、そうだ。蒼月では部活に――」
「その辺はもう説明してます」
「そうか。入る部活はもう?」
「いえ、未定です」
赤城の問いに食い気味に答えた。真っ向から否定されて不満気な顔をする結月をよそに、二学期の始業式までにやることはないかと訊いてみた。
「そりゃあるさ。夏休みの宿題」
陽気な冗談とは縁のない顔してるのに、ここぞとばかりに面白いことをおっしゃるね、この人。笑えない冗談だ。
「きみは得意不得意の教科がはっきりしているみたいだから、苦手な教科を重点的に」
「えぇっと……転入生に宿題をやらなくてもいいって特権は?」
「ありませんよ」