第十二話 刑事の読み
巡り合わせも時の運。もしわたしがいつも通りの面倒くさがりを発揮して三件目に寄ろうと思わなければ、未来永劫この家に人が住み着くことはなかった。そう思うと日常の至るところに浪漫がある。
引っ越し当日、朝早くから業者が来てトラックに荷物を積み込み、お世話になった大家のお婆さんに最後の挨拶をした。中学の頃から三年間お世話になったから感慨深いものが沸々と込み上げる。
東京から電車で揺られること一時間、蒼月の関所となる「学園都市東門前」に到着した。ここでの入国審査を通過して初めて学園都市での人権を得られる。
「二学期から学園に通う予定で」
入国審査さながらの無愛想で筋肉質のお兄さんも、わたしが蒼月の生徒(予定)と分かると明るく歓迎してくれた。この空間における学園という生徒の立ち位置の強さを伺える。ここで住民カード(仮)を貰って、今日から二週間以内に役所に行ってくださいと説明を受ける。件の殺人事件や最近は仮カードの偽物が流通していることから、歩いているだけで職務質問をかけられる機会も増えたとかなんとか。仮カードだと警察も警戒して離してくれないから今日中にでも役所に行って正式な住民カードを受け取った方がいい、とも教えてくれた。
面倒くさがりにとって役所は大の天敵。真の面倒くさがりを自称するからには特大の面倒はあらかじめ排除しておく必要がある。自分の怠惰で面倒を増やすなんてあってはならない。
それからモノレールに乗って新居の最寄駅に到着。改札を抜けた先には先日と同じ光景が広がっている。
下見の時は一人暮らしには広すぎるかなと心配した部屋も、リビングがダンボールで埋めつくされると程よく思える。使ってない部屋が二部屋できたけど大は小を兼ねるともいうし気にしない気にしない。その後も部屋の鍵を受け取ったり、水道等々のインフラの立ち合いをしたり、一人きりになれたのは夕方だった。
静寂に包まれた新居。これから新しい生活が始まると思うと高揚する。だけど現実に目を向ければゲンナリ。眼前に積まれたダンボールが希望を吸い取った。あと今日は簡易的な寝床だけ用意して、駅前のスーパーで弁当買ってきて寝よう。明日は午後から学園で担任の先生と会う予定になってるし。朝イチで役所に行った後に学園に……しばらくは忙しいな。
――ピンポーン
部屋のチャイムが響く。誰だろう、業者が忘れ物したのかな。無警戒に扉を開けると、そこにいたのはワイシャツに真紅のネクタイをぶら下げ、ちょび髭を生やした四十代くらいの男性だった。知らない人だ。なのに挨拶もなしに「あんたね」と愛想を尽かされる。
「どんな変わり者かと思えば世間知らずのお嬢様、か。警護する身にもなってくれ」
「……どちら様で?」
随分と無礼だ。初対面なのに自己紹介もないし、どの立場で物申しているのかと説教したくなる。ちょび髭はわたしの敵意を察する前に澱みない手つきで懐から手帳を取り出した。
「刑事の幕部だ。みなまで云わなくたって分かるだろう? 上がらせてもらうよ」
警察を無碍にしたら後々面倒なことになる。気は進まないが仕方ない、と渋々家に招いた。遺体があったと説明された場所を見つめながら「綺麗になったな」と嫌味たらしくつぶやいた。
「天塚さん、だっけ? 殺人現場に住むなら自分で警戒してもらわないと。玄関に見知らぬ人が立ってたらチェーンかけるとかさ。そもそもここはオートロックなんだから、いきなり尋ねてくることが不自然なんだよ」
「は、はぁ」
「警察も人手があるもんでね。常にここを警備できるわけじゃないんだ……ったく、ここのオーナーも何を考えているんだか」
いちいち嫌味を挟まないと話せないようだ。だったら早く犯人を捕まえてこいと、喉元まで出かかった正論を飲み込んで「気をつけます」と愛想笑いで濁した。
幕部はしげしげとわたしの顔を見てくる。今度はダンボールが積まれた部屋を一瞥。華の女子高生の部屋を観察するとは刑事とて感心しない。
「……ご両親は?」
この秋から蒼月学園に通うこと、わたしの家族構成は不動産屋を通じて警察に届いているはず。さてやコイツ、結構な無能だな? それなら口が悪いのも頷ける。
「仕事でヨーロッパに」
「それは大変ですな。寂しくありません?」
「もう慣れてますから。それにしょっちゅう連絡取ってますし」
「ここに住むと決まった時はなんと?」
「特に何も云われませんでした。なんせ他に物件が見つかりませんでしたから。『仕方がないね』って云われたくらい」
「殺人現場に自分の娘を住ませるとは、寛大な心がある親御さんで羨ましいですな」
「……それ、馬鹿にしてます?」
「あぁ、気分を悪くしたら失礼。感性は人それぞれですから」
むかつく刑事。幕部に対する感情はそれしかなかった。わたしの悪口は許すとして親を馬鹿にするのは許せない。確かに滅多なことで帰ってこないし、連絡もなくいきなり帰ってきたり、ドタバタしてゆっくり話もできないまま帰ったりと立派な親とは云えないが、それでも地上で一番大切な人たち。それ以上の侮辱は許せない。
わたしの気持ちとは裏腹に、品定めが完了した幕部は「不審なことを見かけたらすぐ連絡を」と警察らしい言葉を残して去ろうとした。どうやら今日は様子を見にきただけのようだ。
「あぁ、最後に」
早く帰ってほしい。どうせ防犯意識だの家族のことだの嫌味なのだろうし。
「……ほどほど、に」
背筋がゾッとした。反応しなければしらばっくれたものの、変に動揺してしまったせいで肯定してしまった。幕部はニヤリと不敵な笑みを浮かべながらクタクタになった革靴を履く。
「……っはは、なんのことやら」
と、愛想よく返してみたものの多分手遅れ。幕部が去ったのを見届けた後、慌てて自分の身体と服とを嗅いでみる。……無臭だと思うんだけどな。どうして気づかれたんだろう。
――少なくとも無能ではないようだ。刑事の勘というやつかも。
まったく、蒼月に来て早々面倒に巻き込まれてしまった。せめて学園では楽に呼吸していたい……けど無理だろう。だって蒼月学園は手のかかる連中が集まっていると、もっぱらの噂なのだから。