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第十一話 プロローグ


「空きがない?」

「えぇ、残念ながら……」


 世界は灼熱と蝉の鳴き声に包まれた。身体中から汗を引き出しながら歩き回ること三件目。ここがダメなら絶体絶命。秋から面倒を抱えて新生活を迎えなければならない。

 この春、晴れて高校生となったわたしは入学三ヶ月目にして――高校を去ることにした。

 だって仕方ないじゃないか。わたしはなにも悪くない。休学という手も考えたが、それはそれでやることがない。家業を手伝おうとするも両親が認めず。協議を重ねた結果、転校という形に収まった。


 新たな学校は学園都市。最初に「学園都市」なんて聞いた時は仰々しい表現だと思った。でも詳しく調べてみると開発に伴って街一つが丸々再整備されたとか、それも数年前に終わったばっかりで街はピカピカでハイテク。最先端の技術を凝縮した未来都市に世界中が興味を示しているとかなんとか。


 転入試験はさほど難しくなく転校自体はあっさり決まった。でも今のクラスメイトには転校の件を伏せていた。数ヶ月程度の付き合いで別れを惜しまれても困るし、仲良くしていた子には事後報告するつもり。


 全ては順調、夏休みを境に新生活の始まりだ……と思っていたのに、まさかの弊害があった。

 新居が見つからない。

 学校の寮があると聞いていたが、どこも空きがないらしい。

 学園都市は一つの国みたいになっているらしく、街に入るのに身分証を提示しなければならない。距離で考えても都内から通うのは不可能じゃない。が、一時間以上もかけて移動して入国審査のようなことを毎日やらされると思うと胃が痛くなる。多少お金がかかるのもやむなしで、学校から離れていても学園都市に住めれば問題ない。比較的緩い条件で探しているのに物件がどこもない。ネットで探しても埒が開かないから、今日はわざわざ学園都市の隣街の不動産屋まで足を運んできたのだ。なのにこの有様である。


「むぅ、ここもダメかぁ」

 ここで文句を云ったって意味ないことは分かってる。でも不満を口に出さずにはいられない。なんせ一件目も二件目も断られた後なのだから。


「多分、どこも似たような状況ですよ。今は学生さんだけの街ではありませんから」

 同じ話をさっきも聞いた。物件がないならこの場所に用はない。灼熱に身を委ねる趣味はないのだけれど仕方ない。はぁ、憂鬱だ。地獄の方がマシかもしれない。気乗りしない足取りで立とうとすると、ふらり、とよろけて机にぶつかってしまった。その拍子でバインダーから一枚の紙が抜け落ちる。


「あぁ、ごめんなさい……これ、蒼月の物件では?」

 不思議な話だ。「ない」と断られたから出ようとしたのに「ある」。今わたしが手に持っている物件は間違いなく蒼月のもの。ここは冷房が利いた極楽なのに、先ほどまで親切な対応をしてくれた若いスタッフがみるみると青ざめる。どういうことかと鋭い視線を飛ばしてみる。だが頑なに話そうとしない。


「すみませんね、うちの若いのが。この物件は学生さんに勧めておりませんので」

 奥からふくよかな体格の禿頭の男性が割って入ってきた。教育不足で申し訳ないと頭を下げてくるが、どこか芝居ががった様子だった。どうも怪しい。


「だったら最初からそう云ってくれれば――告知義務って、なんです?」

 資料に目を向けると見慣れない文言が飛び込んできた。よく分からないから尋ねただけなのに、二人ともははっと渇いた笑いをしている。しかし意外にも早く観念した。ここは蒼月の物件、学生でも入居できる、と謝罪してきた。

 同時にあなたのような若い方が住む場所ではないとも云われた。


「殺人事件があった?」

 殺人現場。それは日常に転がっている非現実的な言葉。フィクションならば好奇心を掻き立てられる魔法であり、現実なら目を背けたくなる不快な事象。これほど裏表ハッキリしているものはコレかコインくらいだろう。


    * * *

 事件はおよそ三ヶ月前。マンションの一室で女性の遺体が発見された。頸動脈を鋭利な刃物のようなもので切られて失血死。発見当時、現場は血の海だったという。警察は殺人事件として捜査しているが犯人は未だ捕まっていない。

 学園都市として再整備された蒼月で初めて起きた殺人事件。慎重に捜査しているものの、マンションのオーナーは早く事件を払拭したいと警察に許可なく格安で貸し出したようだ。もちろん内装は綺麗にして。

 この二人も仕事として一応登録しているが、人として未解決事件の現場を売るのは抵抗があるようだ。警察はオーナーの意思に逆らえないため、警察から不動産屋に売りに出すなと注意されたようだ。


    * * *


 女子高生だからと舐められたわけではないようで一安心。とて、わたしももう後がない。ひと月後には二学期が始めるのに住む場所がないなんてバカげた話である。


「内見したいです」

「……聞いてました?」

「殺人事件が起きた現場でしょう? 警察が捜査したいと云ってきたら喜んで貸しますよ。逆に警察の監視付きなら安心して寝れそうです」

 現場より恐怖を感じない少女の方が却って不気味だったかもしれない。二人とも唖然としていたが、禿頭のスタッフが若いスタッフに向かって「準備をしろ」と命令していた。

「あなたのような人はありがたいんですがね、どうも私個人としてはこう……」

「分かってます。でもこうでも動かないと前に進まないでしょう?」


 入国審査、という表現もあながち間違いではないようだ。観念したスタッフ二人が忙しなく動いてくれたおかげで三十分足らずの待ち時間で出発できた。若いスタッフの運転で他愛ない会話を挟みながら車に揺られること三十分、一般道が続いているのにインターチェンジのような関所が見えてきた。そこで一度停車した。

「住むには便利ですが、入るのがちょっと大変で」

 助手席の禿頭が入り口の機械のカメラに向かって書類を向けている。学園都市に入るための申請書だそうだ。半日程度の滞在なら十分程度の手続きで申請が通るとのことで、待たされたのはコレの用意だったようだ。

 入るのが大変、と耳にしただけで胃もたれする話。


 しかし関所を抜けた先に広がる蒼月の街並みに思わず感嘆の声を漏らしてしまった。

 パリのように均等に区画化され、マンハッタンのような天にそびえる高層ビルが立ち並び、それでいて日本のアニメに出てくるような「未来」を感じる空間――それが学園都市、蒼月。


    ◇


 灰色のビルの合間を駆け抜け、蒼月の交通網の要となるモノレールの下を潜り、車は駅の近くの公園の前で停車する。公園では子供たちがキャッキャと駆け回り、その奥には横に広がった多棟型のマンションがある。どうやらお目当ての物件はそこらしい。途中で気分が悪くなったり、嫌だと思ったら遠慮なく云ってくださいと確認されるが、ここにきて引き下がるつもりはない。

 颯爽と車から降りるも照りつける日差しに辟易。最先端の都市を名乗るなら過ごしやすいようにちょちょいと気候を弄ってほしい。ふと公園から溢れる元気いっぱいの子供たちの声が耳に入り、そういえば夏休みだったと思い出す。

「うわぁん」と、唐突に公園の方から泣き声がする。目をやると小学校低学年くらいの女の子が地面に転がっている。周りの子は泣いている女の子を無視してサッカーボールを追いかけ回していた。

 はぁ、まったく、非情な人間の集まりだ。その子の元に一目散に駆け寄った。


「痛かったね、怪我してない?」 顔を上げた女の子の目には涙が溜まっている。

「ひざ、いたい」

 膝下がちょっと擦りむけてる。確か鞄に絆創膏を入れてたはず……あ、あった。運が良かったね。この子はよっぽど日頃から良い子なのだろう。貼ってあげようとするも大丈夫と断られてしまった。その健気な振る舞いに感心する。ならば代わりに頭を撫でてあげよう。女の子ははにかんでいた。


 そんなやり取りをしていると後ろから「紅葉ちゃん」と呼ぶ声が。どうやら友達が迎えに来たようだ。最初の泣き顔とは打って変わって笑顔の少女。「お姉さん、ありがとう」とお礼をしながら友達の方に駆けていった。子供は強いんだか脆いのだか分からない。元気になってくれたなら文句はないけどさ。


「優しいんですね」

 待たせてしまったのに、微笑ましい表情をする若いスタッフ。

「意外でした?」

「いえいえ、そんなこと。……尚更、あの物件を紹介したくないなって」

 彼のその表情に嘘は見えなかった。


    ◇


「わぁ、すごく広い。こんなところ、本当に住めるんだ」


 マンションはオートロック完備。エントランスも廊下もゴミ一つ見かけなかったし、エレベーターの中はいい匂いがした。そのまま四階で降りるとツカツカと足早やに進み、矢継ぎ早に鍵を取り出して四〇四号室に入った。見る限り廊下にも防犯カメラが何台も設置されているし、そもそもオートロックなのだから犯人はある程度絞り込めるはず。それなのに見つからないとはどういうことか。ま、わたしの管轄外なのでどうでもいっか。


 部屋に入ればここで血溜まりの殺人事件が起きたとは思えないほどピカピカで、尚且つ広くてリビングは日当たり良好。正規の家賃だと金に糸目をつけないわたしとて尻込みするような金額。それが殺人現場かつ蒼月という特異な地域ゆえ、月一万円というのは驚きだ。こんな物件即決だ。今の東京の物件より何十倍も住みやすい。

「告知義務があるので説明します」と、若い方のスタッフは資料に目を通しながら淡々と事件の様子を説明した。その口調は早く引き上げたいという気持ちからか、いささか早口でよく聞き取れなかった。どちらにせよ契約しない理由がないけれど。


「今、天塚さんが立っているその場所、リビングとキッチンとの間で血を流した遺体が発見されました。ベランダの方を背にして俯きで倒れていたそうです」

「刃物で首を刺されたんでしたっけ……ふむ」

「未解決事件ということで現在も警察が捜査しています。もしこの物件を契約することになれば私共から警察に契約者様の情報を提供することになっておりまして……、よろしいですか?」

「えぇ、かまいませんよ」

「もちろんご自宅に持ち帰って検討することも可能ですが……、その様子だともうお気持ちは……」

「決めました。今すぐ戻って契約します」


 ――と、初めての学園都市の滞在時間は一時間にも満たず、慌ただしくもなんとか契約を終え、この二週後には蒼月で暮らせることになった。

 世間で本格的な夏休みを迎えると同時に、わたしの高校生活パート2が始まった。


 これはそんな夏に起きた一瞬の出来事。出会いばかりがやってきてドラマティックで、誰にも話せない秘密の夏のひととき。わたしはこれを青春と呼ぶことにした。


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