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第一話 天塚凛の新しい日常


「凛ちゃん、凛ちゃん! ついに外部の子から依頼がきたよ」


 澄み渡る蒼空の下。一人静かに屋上でパンを齧っていると早速、賑やかな人間が静けさをぶち壊した。彼女はクラスメイトにして、わたしが所属している部活の部長さん——結月志保(ゆづきしほ)。普段はおっとりしているけれど、真面目で誰よりも他人に優しく、困っている人を見捨てない。イマドキ、己を犠牲にして誰かを助ける人間はそうはいない。その心意気は称賛に値するが、危なかっしくて放っておけない。よほど急いで駆け上がってきたのか息を荒げているが嬉しそうだ。


「やったね志保。念願かなってよかったね。あ、この飴ちゃんあげる」


 ポケットに入っていた飴玉をご祝儀として渡す。志保は「ありがとう」と礼を言いながら口の中に放り込んだ。飴玉一個で無邪気な笑顔が見られるとは平和な時代になったものだ。

 夏は過ぎた。二学期が始まってからちょうど二週間。ということは、わたしがこの学園に転入してからちょうど二週間。一ヶ月前は家が決まらず、引っ越し先を探して不動産を練り歩いていたと思うと時間の早さに驚愕する。

 


「ねぇ、聞いてる?」

 志保がわたしの顔を覗き込む。

「や、ごめんごめん。なんだっけ」

「人を探しているんだって。なんでも助けてもらったお礼を言いたいみたい」

「殊勝な心がけだね。……じゃ、頑張って」

 依頼の内容とやらも聞いたことだし、パンのゴミと飲みかけの紙パックジュースをくしゃっと掴んで、さりげなく屋上から離れようとした。

 志保が外部の子から依頼を貰って嬉しそうでなにより。でも、志保の喜びとわたしの面倒は別。

 わたしは物事に介入せず、荒波を立てず、静かに生きたい。この学園に転入したのだって面倒ごとを避けて「不運な出来事」から逃げてきたから。

 卑怯と言われようと嫌なものは嫌。逃げられる環境なら逃げるに越したことはない。依頼だって同じだ。利だけを得られるなら兎に角、依頼者から話を聞いたり、証拠を掻き集めたり、証拠を繋ぎ合わせて真実を求めるその過程が——大っ嫌い。


 時代はタイムパフォーマンス。過程を吹っ飛ばして結果だけ求める。それがこの世を生きる最善策だ。


「……凛ちゃん、手伝ってくれないの? 同じ部活の仲間なのに」

「入部したのは、あくまでも利害が一致したから。志保が幽霊部員でも問題ないって言うから入部届けを出したわけで。それにわたしはどちらかって言われると安楽椅子探偵なの。自分の足を使って情報を集めるなんてナンセンス。最後の仕上げになったら呼んでね」

 そう言って屋上の扉に手を伸ばした。


 非情と思われるだろうが、これは最初に彼女と契約したこと。むしろ契約外を情で訴えてくる方が非情なのだ。彼女もそれを理解しているからか、わたしが屋上が出て行っても何も言わなかった。後ろの方で「凛ちゃんのケチ」と聞こえた気がするが、きっと気のせいだろう。

 ケチで結構。周りから後ろ指を指されたって構わない。


 けど、わたしはこの人生をとことんエンジョイしてみせる。それこそ天塚凛(あまづかりん)が人間として生を受けた証左なのだから。


    ◇


「いいか。最近はこの辺りも物騒だから、なるべく集団で帰るように。何かあったら周りに助けを求めろ」


 帰り間際のホームルーム。我がクラスを受け持つ担任、赤城は長い年月を経てすり減らした声帯でクラス中に呼びかける。小学生なら元気よく「はぁい」と答えるが、蒼月学園高等部2年1組は思春期特有の反抗心と捻くれ者が集まったせいで、うんともすんとも答えない。唯一反応するのが志保だったが、肝心の彼女は昼休みのことですっかり機嫌を損ねている。

 いつも返事をする志保の声が聞こえないことで教室が騒つく。常に不機嫌そうに眉間に皺を寄せる頑固ジジイの赤城でさえ、「おや?」と教室のど真ん中の席に座る志保を見ていた。

 しかし教員生活三十年の大ベテランはあえて触れず、なんとも歯切れの悪い雰囲気で今日の学校は幕を下ろした。わたしは悪くない。


    ◇ ◇ ◇


 前の学校なら「寄り道しよう」とか誘われて池袋や渋谷、新宿に駆り出したもの。だが学園都市蒼月には若者の娯楽が揃っている。カラオケ、ファミレス、ボウリング場、ショッピングモールもあって映画館も併設されている。前の学校の友達からは「なんでもあって羨ましい」と言われてしまった。

 学生の目線で見ると天国かもしれない。でもこの街で暮らすとなるとリスクもある。

 学園都市蒼月に住む人間の七割は蒼月学園に関係する人間。残りの三割は再開発以前から住んでいる住民。現状、この街にはもともと住んでいた人間と再開発によって入ってきた人間の二種類がいる。急激に余所者が入ってきたことで元の住民はよく思っていない。


 対して余所者は余所者で「オレたちがこの街に出資したんだぞ」と威張っている。というのも、学生都市蒼月が完成に至るまでには、言葉にし難い悲惨な争いが何度も起きている。わたしも調べるのも面倒なので詳しくは知らないが、財界が金銭援助をしたせいで「面倒なこと」が沢山起きたようだ。さらに学生都市はいろんなところが目をつけた。代表的なのは芸能界。

 東京との交通は問題ない。お抱えの俳優をまとめて蒼月学園に入れることで、学園都市にマンション丸々一棟を購入して俳優同士を共同生活させる。事務所の見解は「人としての成長を促すため」とか聞こえのいいことを言っているが、実のところは俳優の相互監視。共同生活しながら相手を監視し、怪しいところがあれば事務所に連絡するシステムだとか。


 他にも蒼月は将来を有望しされたアスリートや再開発の縁で政治家の子どもなんかも入学している。

 一芸に秀でて推薦で入ってきた人は外部の生徒。一方で受験を合格して入学した生徒は内部の生徒、なんて分け方をされている。受験を受けた生徒にも元からこの街で育った人も多い。志保のように「学園都市」に憧れて入学した生徒もいる。

 誰が偉い、誰が隠した、と、スクールカーストは目につかないが内部組と外部組といったグループは存在している。国籍や人種が異なるならまだしも、同じ制服を着て同じ学校に通っている生徒たちがみみっちく争っているなんて、ほんと、人間は何年経っても同じことを繰り返しだ。


 もちろん内部だとか外部なんてどうでもいい。ましてわたしは転入組。いわば内部にも外部にも属さない第三者。もともと関わる権利もないのだ。だからせめてクラスメイト、それから学年との子だけは適度にやり取りして親睦を深めたい。転入から二週間でその考えに至った。


 面倒に踏み入れないスタンスはある意味蒼月で効率的な生き方なのかもしれない。


    * * *


「さぁて、かーえろっと」

 机の横に吊るされた通学カバンを手にし、特にこの後やることもないのに颯爽と教室を出た。

 帰ったらまだ引っ越しのダンボールが残ってるから処分しないと。初日と比べるとだいぶ住めるようになった。引っ越ししてしばらくはソファーの上で寝てたっけ。そんなことも今はもう懐かしくもある。

 帰ったらやることを頭に浮かべながら階段を駆け降りる。昇降口まであっという間。しかしここは最後の難所なのだ。一瞬でも隙を見せると捕まる。捕まったら最後、泣いても喚いても終わるまで解放してくれない地獄が待ち構えている。それだけは何がなんでも絶対に当たりたくない。


 階段の最後の段差を踏み、三回深呼吸。ここから数十メートルの先にある下駄箱にダッシュして、速攻で外履に履き替え、脇目も振らず外に出る。今のところ勝率は四割。今日ならいける!

 周りの生徒なんて気にも止めず全速力。上履きを脱い外履を履き替えたまでは完璧だった。あとは急いで校舎の外に出れば……というところでまさかの志保の後ろ姿があったのだ。


「かくほー!」


 呆気に取られている隙に男子生徒三人がわたしの周りを取り囲んだ。

 女子をとっ捕まえるなんて野蛮。でも意地でも身体に触れない姿勢は紳士的で感心する。単に女慣れしていない男の可能性も捨てきれないが。

「天塚氏を捕まえました!」

 子分その1が廊下の方へ呼ぶかける。すると奥から体格がいい男がどすどすと音を立て現れた。彼は卓上ゲーム部の部長さん。一時はとあるゲームで世界大会にも出場したことがある凄腕のプレイヤー。しかしそのゲームの認知度は低く、世界大会に出場する腕を持ちながら一般受験で入学した内部組。将棋やチェスのような世界的なゲームなら推薦で入学した外部組だっただろう。


「よくやった。……さて天塚氏。今日こそは入部してくれるかな」

 いつものパターンだ。いつものパターンにはいつものパターンで返すしかない。

「お断りします。もう部活入ってますし」

「ま、いい。この学園は掛け持ちに制限はないからな。きみが入部届けを出してくれれば丸く収まる」

「だから何度も説明したじゃないですか。……わたし、トランプとかサイコロとかコマとか使うボードゲーム全般がすっごく嫌いなんです。一種のトラウマがありまして、ゲームをすると蕁麻疹も出てきて——」

「それは知ってる。だが無理を通してでもお願いしてるのだ、どうかこのとおり」 「このとぉり」


 四人は深々と頭を下げる。

 頼られるのは悪い気はしない。が、これに関しては申し訳なく断っているのだ。過去のトラウマのせいでボードゲームするだけでも体調が悪くなる。この場から逃げ出す嘘ではない。たとえすぐ終わるババ抜きであっても大富豪でもあっても、必ず体調が悪くなる。

「近々病院に行く予定なので医者に相談してみます。あっ、あくまでも治すためではなく、公正な診断書を作ってもらうために。そうしたらあなたたちも諦めてくださいね」

 彼らは項垂れた。蒼月学園の生徒は必ず部活動に所属しなければならない。運動部、文化部、同好会関わらず、学校公認なら何でも認められている。

 しかし、同好会と部活動では大きな差がある。まずは部室があるかどうか。学園の校舎の隣には立派な部室等があり、公認の部活には部室が当てがわれている。優秀な成績を残せば待遇も良くなる。

 同好会から部活になるには部員五名、それと実績記録を文化祭に行われる研究発表会で報告しなければならないのだ。運動部なんかは優勝トロフィーを見せれば存続確定。文化部はちょっと厳しくて、続けるには教師たちの前で研究発表しなければならないのだ。

 卓上ゲーム同好会は一応文化系だが、ゲーム大会の優勝トロフィーを見せればおそらく部に昇格。だからわたしの籍と腕を欲しているわけである。


「ゲーム以外で協力することがあったら絶対手を貸すから」

 部長さんに手を伸ばす。本来なら握手で締めくくって感動のワンシーン……なのに、変わり者が多い学校ではテンプレは通用しなかった。

「明日こそは天塚氏を部に入れてやる。じゃあな、わはは」

 と捨て台詞を吐きながら子分を引き連れてどこかに行ってしまった。はぁ、こんなことになるなら最初からゲームの誘いに乗らなければよかった。

 短いやり取りで精神が疲労し嘆息が出た。ま、今日の難所は越えたし、早く家に帰って片付けなきゃ。


    ◇


 校舎を出て、最寄りのモノレール駅へと向かう。そんな時、またも見慣れた後ろ姿を見てしまった。志保の隣にいるのは……うちの学校の男だ。でも見たことがない。男の方はなんというか……茶髪で腰パンでチャラチャラしている。恋人、って空気ではない。

 よく見ると志保の手には手帳——あの子、昼間の依頼の情報探しをしているのか?

 ……ちょっと、ほんのちょっと気掛かりになったため、二人に気づかず遠目から尾行しようとした——


「おい、あの男、二年の松尾だぞ」


 唐突に耳元をくすぐる声につい、「ひゃ」と年甲斐もなく可愛らしい声を出してしまった。話しかけた張本人は口元に人差し指を出し、じっと静かに二人の方を向いている。


「な、なんであなたがここにいるんです?」

「帰ろうと思ってたらどこぞの誰かさんたちが下駄箱を占領していてな。ソイツに文句言ってやろうと思ってたら……これに出会しちゃったわけ」


 彼もクラスメイトで名前は春夏冬(あきなし)(みやび)。彼は推薦で入った外部生。昔は子役として有名だったが、現在は休業中。夢を諦めたわけではなく、今は一度きりしかない学生生活を堪能して、無事に高校を卒業してからは再び芸能界に戻るという。外部生ではあるが他の外部生や内部生とも仲がいい稀有な存在。

 わたしには転入早々突っかかってきたが、なんだかんだあって今は普通のクラスメイトとして落ち着いている。たまにちょっかい出してくるのは面倒ですけれど。


「あなたのことは興味ないです。どうでもいいです。それより志保の隣にいる松尾って人のこと教えてください」

「どうでもいいって、それは流石に俺も傷つく……」

「いいからっ!」

 はぁ、とため息をつきながらも、松尾という生徒の話をしてくれた。


「松尾は内部生なんだけど、外部の連中とネットで絡み出してからネットでそれなりに有名になった。だけどアイツは虚言癖でな。自分の投稿に芸能人が『いいね』しただけで、『あの女優さんと友達なんだ』って言いふらすんだ。外部の奴らは当然嘘だってわかってるけど、内部の人は簡単に信じちゃうだろ? こんな有名人が集まる学校なんだからありえない話ではない。悪い噂も絶えないし、アイツが何するかわかったものじゃないぞ」

「つまり、すぐ志保を助けた方がいいってことね——」

 すぐに志保の元へ駆け寄ろうとしたが、雅はわたしの腕を掴んだ。

「待て、ネットでそれなりの有名人って言ったばかりだろ。あることないこと、たとえ純度百パーの嘘でもネットの世界では正当化しちまうんだ。志保ちゃんも、お前も、何も悪いことしてないのに悪者扱いなんて最悪だろう? だから今は様子見しよう。俺が危険だと判断したら助けに行く。それでいいな」

 黙って首肯した。対処を見誤れば面倒が倍になって襲ってくる。それが地上のルール。

 部外者の人間に指図されるのは癪だけど、言ってることも間違ってない。今は人が多い場所だから何か起きることはないはずだ。

 春夏冬雅は子役を経験しただけあって周りに目を配れる。状況把握能力はわたし自身高く評価しているし、頭の回転も早く成績も優秀な部類。性格はツンツンしてるところもある一方、芸能界出身とは思えないくらい根がしっかりしているから友人も多く、彼に恋焦がれる女生徒も少なくない。


「で、そろそろ教えてもらおうか」

「何をです?」

 雅はジッと冷たい視線をぶつけてくる。しばらく考えてみると、彼の疑問に見当がついた。

「なぜ、志保と松尾が一緒にいるのかって?」

「そうだ。あの二人に接点なんてないだろう? とすると志保ちゃんから松尾に話しかけたんだ。たとえば『情報収集してる』とか。お前、彼女と同じ部活だろう? 事情を知ってるはずだ、教えろ」

 教えろ、とはまた上から目線。個人的にはどうも彼が苦手だったりする。なぜかわたしにだけ威圧的だし、頭の回転が早いから思考を見透かされてる気がして。わたしなんかより探偵に向いている。

 ま、今回は事情が事情のため、特例措置として「面倒」を排除してしっかりと説明した。

「なんでお前がいてやらなかったんだよ」とは言うが、「契約外」だとしっかり反論した。一時芸能事務所に身を寄せていた彼としても「契約」の重さは重々理解しているようで黙ってしまった。


    ◇


「ほんとにあの二人に接点ないのでしょうね」

「あ、あぁ、そのはず」

「その割にはすごく仲良く話してるけど」

「そりゃあんな可愛い子と会話したら、男は誰でも嬉しいさ」

「へー、男って単純ですね」


 志保と松尾は十分ほどで場所を移動し、近くのファストフードに移った。わたしたちもその後を追って店に入る。幸運にも店内はボックスシート。すぐ隣のシートにいてもバレる心配はなかった。

 二人の会話は筒抜けだった。わたしは盗み聞きに徹し、雅にわたしの分のフライドポテトを買いに行かせる。戻ってきた時に「こき使いやがって」と鋭い視線をぶつけてきたが無視した。


「オレは別に構わないよ。ネタも増えるし」

「ありがとうございます!」


 ふむ、雅の言った通り、志保が情報収集をしただけのようだ。

 よかった。穏便に終わりそうで。

 これでもし、


    ○


『情報提供する代わりに、これから夜まで、いいよね』

『初めてなのでその、優しく、してくださいね』


    ○


 ってことになったら……


「わあぁあ!」

「わっ! びっくりしたぁ」

 目の前の雅がお化けでも見たような頓狂な声をあげた。

「急に変な声出すなよ」

「や、ごめん。志保ちゃんが変なことをするからつい」

「進展あったのか?」

「あ、妄想の世界の志保ちゃんの方ね」

「は? 頭でも打ったか?」

 失礼なことを言うやつは放っておいて……っと。引き続き後ろの席に耳を傾ける。




「で、その……お礼の件、なんですけれど」

「あぁ。今日の夜だっけ? オレはいつでもいいけど……本当にいいの?」

「はい! その、実は憧れだったんです。周りに頼れる人がいなくて……、松尾さんなら大丈夫かなって」




「わぁぁああぁ!」

「ひゃっ! だ、だから変な声出すなって」

 今度は女の子みたいな悲鳴をあげる雅。この反応、ちょっと癖になる……ではなくて!

「だって志保ちゃんが!」

「落ち着けって。俺の目をしっかり見ろ」

 言われるがまま、雅の目を見る。二重の瞼に鳶色の瞳。子役時代はテレビのコマーシャルに出演して一世を風靡した。今は最前線から遠のいているとはいえ、時折エキストラ役としてドラマに出るとネットを中心に話題になる。人を一瞬で虜にする魅惑の眼差しは衰えていないようで、不思議とわたしも平常心を取り戻せた。


「もう大丈夫か?」

「う、うん」

 息を楽に吐けた。胸の動悸もだいぶ和らいだ。その礼からか聞き違いと疑われることを覚悟して、耳にしたありのままを話す。あぁ、また悪態をつかれるだろうな。

「……すぐに手を打たないと」

 え? 今なんて言った? 転入してから散々悪口を飛ばしてきた春夏冬雅がまさか、すんなりわたしを信用した? そんなバカな。

「止めさせないと。結月っておっとりしてて危なっかしいからな……お前もぼうっとしないで考えろよ。友達だろう?」

「……わたしが言ったこと、信じるの?」

「今更なに言ってんの? 確かにお前は面倒くさがりの癖に気分屋で秘密主義者かもしれないけど、信用してないわけじゃない。どころか俺はお前のこと……」

「わたしのこと?」

「——だぁ! なんでこういう時に限って変に突っかかってくるんだ。今はどうするべきか考える時——ま、もう手遅れ、か」

「手遅れ?」


 雅が肘をついて見上げる先には顔を真っ赤にしながら両手で顔を覆う志保がいた。

 不意に現れた尾行相手を前に言葉を失ってしまった。

「あ、お構いなく。どうぞどーぞ、続けて」

「そんなんじゃねぇよ……別に」

「大丈夫! 私って結構口硬いから」

 二人の会話の意味がよくわからない。人間って時々、テレパシーみたいな会話をするから理解できない。わたしもまだまだ勉強不足だね……ってこんな茶番をしてる場合じゃない!


「アイツは? アイツはどこ行った? 志保ちゃんをたらし込んだ不届きものを成敗しないと」

「アイツって松尾先輩のこと? 先に帰ってもらったよ。いろいろ準備してもらうし」

「じ、準備!? はわわわ、大変だ。今すぐあの野郎を地獄に突き落とさないと」

「あぁ、またパニックになりやがって。落ち着けっ、それになんだか話が噛み合わないぞ。松尾と何を話したか教えてもらおうか」

 雅が迫るも、とぼけた顔を浮かべる志保。どうやら自分が尾行されていたとはつゆ知らず。そのままわたしの隣に腰を下ろし、何が起きたか説明してくれた。

「昨日、わたしのところに『人を探してる』って依頼があってね。でも人探しって人手がいるでしょう? なのに、どっかの誰かさんが協力してくれないから、松尾さんに手伝ってもらったの」

 隣から鋭い視線が飛んでくる。けど見なかったことにして続きを促す。

「でも私だけ頼み事するのも気が引けて……、で、そういえば最近、SNSにシューティングゲームにハマってるって投稿してたの思い出したの。私もそのゲームやってるから一緒にやりませんかって誘ってね、今日遊ぶことに」


 ——なぁんだ、そんなことか。よかった。志保が悪い人に騙されてなくて。心配が取れて笑顔が溢れた。おかげでフライドポテトを食べる手が止まらなくなり、プレートの上はすっかり綺麗に片付いた。

 ついでに雅のところからもポテトをひとつまみ拝借。あ、コイツ、自分だけ違う味にしてる。コンソメかな。もう一口……後もう一口だけ貰っちゃおう。


「結局、コイツがサボった尻拭いをしただけか。って、おい、勝手に俺の分、食うな」

「でも今回の依頼は転入してきたばかりの凛ちゃんには荷が重かったかも。松尾さんでも時間がかかるかもって」

「よかったら俺にも依頼の内容教えてくれないか? コイツよりか頼りになるはずだ」

「え、本当? ありがとう。凛ちゃんも手伝ってくれるよね?」

 ま、ここまで来てしまった以上、引き返す方が面倒だ。なし崩し的だが、わたしは部員として部活動に邁進することに。

「ん、わひゃっは」

「あーあ、俺の分全部食べやがって。口に詰め込んで喋るなよ」


    ◇


「彼」と会ったのは入学式の次の日だという。


 依頼者の女子生徒が担任に呼ばれ、書類を職員室まで運んでいた時のこと。階段を降りて職員室に向かおうとした曲がり角で、影から歩いてきた男子生徒とぶつかってしまったようだ。書類は廊下にバラバラ。自分は尻餅をついてしまった。さぞかし恥ずかしいと思っただろう。相手もぶつかって痛い思いをさせてしまっただろう。開口一番に「すみません」と謝るが、男性は怒るそぶりも見せず「大丈夫ですか?」と自分を心配してくれたそうだ。最後は散らばった書類をかき集めるのを手伝ってくれたそうだ。

 その優しさは彼女の琴線に直撃。俗にいう「一目惚れ」というやつだ。


 わぁ、なんとロマンティックな話でしょう。恋と浪漫は人を人たらしめる重要なファクター。人として生まれたからには恋をしてなんぼ。浪漫を抱かなくては人間として落第。

 鳥は当然のように空を飛ぶし、魚は当たり前のように海を泳ぐ。生まれ持った権利を行使しなくて人生損。人間は数式を自在に操り、常に感情を携えて生きるべき。間違っても感情に操られてはならない。

 ロマンティックな話で済めば良かったのだが、残念ながらこの話は甘いどころかほろ苦いまま。その一目惚れした相手が誰かわからないとのこと。


「幽霊かな?」

「バカなこと言うな」

 幽霊の線は一瞬で打ち消された。肉体があるなら尚更、見つからないというのは不自然だ。

「その日、外部の来客者はゼロ。先生に確認したみたい。だから蒼月の生徒なのは間違いない」

「男ではなくて女だった、なんてこともないかな?」

「ありえる……というのも、蒼月は演劇部もあって芸能関係者も多いから、相手の演技によっては勘違いしてもおかしくない。そうするとだいぶ数は絞れる。その線で俺が探そっか」

「ありがとう。雅くんがいると百人力だよ」

 志保は嬉しそうにして、胸の前でパンと手を叩いた。演劇部。なるほど、そんな可能性もあるのか。月日による知識の差はどうしようもできない。雅の調査が無駄足になってもわたしは苦労しないし、演劇部の線を消せるならありがたい。

 一つを投じるどころか、何もしないで二つを得る。そう、これこそわたしの理想の日常だ。


「んじゃ、先帰るわ。進展あったら連絡する」

 はいはい。早く行ってくださいな。別にいたところとて全く困らないし。

 なのにどうしてか。彼はスマホを手にしたままシートから去ろうとしない。うん? まだ話すことがあるのか?


「進展あったら連絡する」

 壊れた機械のように同じことを繰り返す。今聞いたばかりだぞ。目の前にいて聞こえてないと思ったのだろうか。とりあえず小さく相槌を打った。……なのに雅は席を立とうとしない。早く帰れとも言えず、気まずい時間が流れた。志保に助けを求めたが、昼休みの仕返しと言わんばかりに外方を向かれてしまった。わたしにどうしろと言うのだ。


「えっと、……頑張って、ね?」

 応援してほしいと思ったが、隣からドンと肘を押される。どうやら不正解だったようである。志保は嘆息を漏らし、何かを言おうとした。しかしその前に雅が割り込んだ。

「れ、ん、ら、く、先、教えてくれよ」

「あれ、前に教えなかった?」

「前のは事務所のスマホ。プライベート用のには連絡先入ってない」

 なんだかそんなこと言ってたような気がする。教えて欲しいなら最初から言ってくれればいいのに。というか志保から教えてもらえばいいのに。なんでわたしが面倒なことをしなきゃいけないんだ。今日のところはポテト代として教えたげるけどさ。


    ◇


「ただいまぁ」

 結局あの後、松尾から連絡が来ないかと期待して待ってはみたけれど進展はなかった。今日は家の片付けもあるからと解散することになった。


 モノレール駅から徒歩五分。さらに周辺にはスーパーコンビニドラッグストア等々、生活に困ることを知らない素敵な立地。6LDK、トイレ風呂別、オートロック完備。女子高生が一人暮らしするには天国のような環境。ソファーやらローテーブル、ドレッサーを置いても十分な広さである。

 住む前も、住んでからはしばらく擦った揉んだがあったが、今となってはこの家が落ち着く。前の家から持ってきた荷物もほぼ片付けを終えて、残るは調理器具をどうしまうか考えるだけ。初日はダンボールの山を見て深く絶望した。結局その日の夜はソファーの上でタオルケットをかけて寝たっけ。懐かしい。今はしっかり毛布をかけて寝ている。

 せっかく部屋も片付いてきたし今日の夕飯は……コンビニでパスタ買ってこよっと。慣れない環境と癖のある連中のせいで精神的な疲労が蓄積している。今日は早く課題を終わらせて早く寝よう。と思った矢先にスマホがブブブと揺れた。志保からメッセージが入ってる。


 えぇっと……『見つかった! 松尾先輩がSNSで呼びかけたら名乗ってきた人がいた。早速明日、二人を合わせることにした!』

 なんだ、呆気ない幕引きじゃないか。依頼者におめでとうと伝えておいてと送り、テーブルにスマホを置いた。ふぅ、と軽く息を吐き、静かに目を閉じる。

 いっときの安らぎをぶち壊すようにまたもスマホが鳴った。無視を決め込もうにもずっと鳴っている。電話だ。


『結月からメッセージ送られてきた?』

 誰かと思えば相手は春夏冬雅だ。

 うん、送られてきた。見つかって良かったねと言ったのだが、不服そうに話を続けた。


『実は依頼者、名前は清霜呂那(せいしんろな)って子で、業界でも歌と声がいいって評判の期待のホープなんだ。どうやらその子は結月に依頼する前から、上級生、外部、内部問わず色んな人に聞き込みをしてたらしい。だから外部の友達は清霜呂那が人探してるって全部知ってたんだ』

「別に周りが知っててもいいじゃない……あ、そうか。期待のホープが一目惚れ相手を探してるってなったら、いろいろと面倒が起こるってことか。芸能界から叩き落とそうとする輩が現れたり」

『そうだ。だから松尾が見つけた人ってのは初恋相手じゃない可能性がある。もしかすると松尾も清霜呂那を嵌めようとしてる側の可能性も』

「ならこれから彼女に事情を伝えて、数日は注意してほしいって忠告しようか」

『けど俺が言ったのは可能性の一つ。万が一本物ということもある。それに向こうの事務所は大手だ。大切な若手に何か起きたら事務所が黙ってねぇよ。悪戯に手を出す奴は人生覚悟しないと』


 事務所って怖いな。小学生並みの感想しか出てこない。


「明日、その審議を兼ねて、依頼者と会うところを見届けよう。偽物だったらソッコーで警察……や、事務所に連絡でいいね」

 とりあえず雅との打ち合わせを終え、今度は志保にメッセージを送る。

『二人が会う時、わたしも雅くんも一緒に行く』

 これでよし。

 期待のホープに何か起きれば大変だ。落ち合わせたわたしたちにも責任はあるし、面倒なことになりかねない。色々と準備していこう。


 ……だけど、だけどもだ。

 仮に松尾の元に「自分です」と名乗ってきたやつが偽物だった場合、本当の相手は何処に?

 もう数ヶ月も経っている話だ。相手が覚えていないと言われればおしまいだけど、どうも引っかかるところがある。


 ぶつかってきた男の子の立場になってみる。

 ぶつかってきた女の子が芸能界期待のホープ、清霜呂那だとわかった。彼女に手を出せばこわーい事務所がついてくる。だから彼女が探しているのを知ってわざと距離を置いた。

 だけど男って可愛い子が目の前にいたら後先考えずに本能に従うんじゃない? 相手が自分に好意を抱いているなら尚更、手を出すかは置いておいて友達としてお出かけしたいと思うのが人間の男の行動だと思う。事務所云々にしても、自分を探しているならすぐに名乗り出ても不思議じゃないと思うのに。それか、彼女との接触を極力抑えたい立場。


 …………や、……あぁ、そうか。その可能性も十分ありえる。むしろ、こうとしか考えられない。

 となってくると、やっぱりわたしの手では追えないな。こうなったら協力してもらうっきゃないね。

 今は本能(めんどう)より、蒼月学園の天塚凛としての使命を遂行しなきゃね。


    ◇


 次の日の昼休み。予定通りに体育館の裏側で集合した。わたしたちは三人と依頼者である清霜呂那。清霜は黒髪のショートボブでしっかり者のイメージが伝わってくる、初めて顔を合わせた時は礼儀正しくお辞儀をしていたし、雅を前にしても動じなかった。


「緊張してる?」 「はい、とっても」

 確かに声はハキハキとしていて耳障りがいい。この子が蒼月の放送部なんかに入ったらさぞかし昼休みは極楽だろう。

 なんてことを思っていると、向かい側から人影が現れた。後ろにいる雅に目を向ける。しかし彼はかぶりを振った。どうやら芸能の関係者ではないらしい。


「あ、あなたが、あの時助けてくれた人ですか」

「はい、その、名乗り出るのが遅れてしまって申し訳ありません。と言うのも僕なんかが呂那さんと話すのは気が引けてしまって」

 名乗り出た彼はツーブロックで体格も良く、第一印象は怖い人かと思えば、話してみると意外にも腰が低く、礼儀正しい子だった。清霜は彼の元に駆け寄り、仲睦まじめに会話をしていた。


 わたしたちはその光景を微笑ましく見守った。「俺たちの予想、外れたようだな」と雅は遠い目をして言っていた。志保は良かったねと胸を撫で下ろす。

 その後も話が続きそうだったので、一度彼女と話すために申し訳ないが切り上げてもらうことにした。別れ際にはしっかりと連絡先を交換して、互いに手を振って解散した。


「本当にありがとうございました!」

 満面の笑みをぶつけてくる清霜。志保も雅も笑っていたが、わたしはまだ笑みは出なかった。

「あの子がぶつかってきた相手なの?」

「……はい」

「本当に?」

「おい、ここまできてそんなこと聞くのは野暮じゃないか? 悪いな、バカが空気読めなくて」

 しかし、依頼者の顔は自然な笑みからぎこちない笑みに変化していた。芸能界にいた彼なら表情だけで感情の変化を読み取れるのは得意だろう。彼も彼女の違和感に気がついたようである。

 しかし清霜は口を割ろうとしない。固く閉ざしたまま。彼女が納得しているなら別にいいが。この部活は人助けを主にしている部活。依頼者が納得できない限り、依頼は失敗ということになるのだ。それを彼女がわかっているのかいないのか。志保が説得しようと思ったが、このままでは埒が明かない。面倒だがわたしの推理を披露する時だ。


「呂那ちゃんはコンタクト?」

 遠回しな切り口で緊張を和らげようとしたが、彼女は緊張を解こうともしない。

 はぁ……、なら全部ぶちまけるか。

「入学式の時の呂那ちゃんは眼鏡をかけていた。変装目的じゃなくて、これはコンタクトレンズが装着できなくて代わりに身につけてたものだよね?」

 清霜の体がビクッと反応した。どうやらわたしの推理は真実に近いようだ。

「コンタクトレンズが家になくなったか、あるいは目の状態が悪くて一時的に眼鏡生活をしていたのかまではわからない。でも呂那ちゃんのクラスの子に訊いてみたら、入学してからしばらく眼鏡をつけてたって証言がいくつもあってね。となるとあの日も眼鏡だった可能性が高い」

 清霜は黙る。先ほどの硬直は緩んだものの、口はもっと強固な守りになってしまった。

「人とぶつかったら眼鏡も吹き飛んじゃうかもしれないね。そうなると視力次第ではぶつかった相手の顔もボヤけて見えないかも。優しさに一目惚れしたのは事実。でも本当は相手の顔を覚えていなかったのではなく、見えていなかった。さっきの子はおそらくその現場の一部始終を見ていたのでしょうね。だから話に齟齬がなかったのです。でも助けてくれた人……あなたが一目惚れした相手は別の人です」


 依頼者が隠していた真実を全て暴いてしまった責任は感じている。が、これも全ては自分のためだ。

 もう隠しきれないと観念した清霜はわっと泣き出してしまった。すかさず志保はハンカチを差し出し、雅はわたしの方を見て睨んだ。


「お前っ……」

「中途半端に解決する方が本人にとって最悪だと思いますが? 後悔ってもっと大人になって社会人になって、結婚して子供ができて、幸せな家庭を築いている時に唐突にフラッシュバックして思い出すものなのです。今ここで真実から逃げると、一生後悔を抱えたまま生き、呂那ちゃん自身が将来困るのです。今は辛いかもしれません。泣いてスッキリするなら話はもう終わりです。ですが……ここで真実に立ち向かってくれるなら、あなたの一目惚れ相手に会わせてあげましょう」

 その言葉に依頼者と志保が声に出して驚いた。対して雅は二人と違うことで驚いていた。


「まさか昨日、俺に調べさせたやつが、清霜呂那の一目惚れの相手? いや、そんなバカな」

「今朝、その人と会ってきました。で、言質も取ってきました。わたしの勘は大当たり」

「本当……です?」

「実のところ、あなたは真実に気づいているんじゃないですか? 最初はわからなかったのかもしれませんが、自ら情報を集めていくうちに気づいてしまった。視界がぼやけていて顔が見えなかったとはいえ、声や仕草を覚えていそうですし」

 清霜はまた無言になった。無言は肯定。実にわかりやすくて助かるね。


「どうしてもって頭を下げて、今日の昼休みだけ時間をいただきました——この紙にその場所書いたから、会いたければ会いに行って。来るか来ないかは呂那ちゃんに任せるとも伝えてあるから」


 清霜は目と鼻をハンカチで拭き、紙を奪い去るような形で校舎の方に消えて行った。

 少し荒療治だったけど、これで丸く収まってくれるなら十分だ。わたしが欲しかったのも、今のでちょっぴり貯まったし。


「ね、どういうこと? 私にも教えて」

「あぁ、ごめんごめん。一緒にパン食べながら説明するよ。今回は雅も探してくれてありがとう。助かった」

 今回はちゃんとお礼を言う。だがわたしの誤り方に不満があるのか、唇を尖らせて何も言わないままどこかに行ってしまった。

「結論から話すと一目惚れした相手が先生だったんだ」

「せ、先生!?」

「今二年生の英語を受け持ってるって言ったかな。さっきも言った通り、呂那ちゃんは裸眼で生徒と先生の見分けがつかなかった。多分あの時、先生はシャツ姿だったんじゃないかな。それで呂那ちゃんは男子生徒と勘違いして探してたってわけ」

「ならあの男の子は?」

「多分やり取りを偶然目撃したんじゃない? 見た限り悪意はなさそう出し、きっと呂那ちゃんとお近づきになりたいんじゃないかな。だからあんな嘘ついたんだと思う」

「だったら先生が名乗り出なかった理由は?」

「彼女は将来を有望視された卵。事務所が大切にしている、かつ生徒に好かれているなんて言われても名乗り出るわけにはいかないさ。だからわたしが今回頭を下げて、これっきりという約束で待っててもらった」

「はえー、凛ちゃんってすごいね」


 志保はパチパチと拍手する。こうして今回の依頼はコンプリート。 

 放っておけば見せかけのハッピーエンド。しかし、わたしが介入したことで依頼者は荊の道に入ってしまった。これでやり方が正しかったのかわからない。

 でもわたしたちの依頼は「人を探す」こと。しっかりと仕事を果たした以上、文句を言われる筋合いはない。たとえ荊の道からバッドエンドに進もうと、これからを決めるのは彼女たちだ。

『Q.E.D.』 これにて依頼はおしまいだ。

 まったく、一目惚れというのは厄介だね。


    ◇


 今日のお昼ご飯はメロンパン。蒼月学園は学食がいくつもあってよりどりみどり。各々に特色があって探索が面白い。このメロンパンなんかはパンが美味しいと評判の東館の購買で売られている。噂は予々聞いていたけど暇がなく、ようやく今日買うことができた。


「いっただきまーーー」

「あ、本当にこんなところにいた。おぉい、言伝預かってきたぞ」

 パンに齧り付く一秒前。至福の時間に土足で踏み入る不届きものが現れた。

 雅がなんでこんなところに。

「なんか用です? こう見えて忙しいんですけど」

「文化祭の打ち合わせで忙しい結月に代わってきてやったんだ。お前らのために親切で動いてる人を粗末にするんじゃない。——さっき教室に清霜呂那が来た。親切にも俺と事後報告しにわざわざな」

「清霜——あぁ、あの子か。どうなりました?」

「意外と理性的でな、一目惚れの先生に会って、改めてお礼を言って、そのままお終いだとさ」

「へぇ」

 腹の虫が我慢できず、メロンパンにかぶりついた。

 …………おいしー! 口に含んだ瞬間、生地からメロンの甘い香りが襲いかかってくる。生地自体も柔らかくて甘くて、一口食べ始めたらもう止まらない。そのまま間をおかず、ペロリと一個平らげた。


「ちなみに名乗り出たやつは『嘘でした』って正直に打ち明けたみたい。その正直さに免じてお友達から再出発だって。こっそりあの子に付き合うのかって訊いたら否定してたけど、本人は満更でもなさそうだった。時間の問題かもな」

「ふぅん」

 食べ盛りの女子高生がパン一個で足りるわけない。良かった、もう一個メロンパン買っておいて。あ! 話を聞く代わりにコイツにお茶買ってきてもらえばよかったな。

「あまり驚かないんだな。面倒くさがりのお前が動いたから、てっきり清霜呂那に肩入れしてるものかと」

「あの日、先生を待たせてるって伝えた時点で『感謝』と『幸福』が溢れ落ちましたから。もとより彼女は一目惚れの相手にお礼を言いたかっただけで、告白するなんてなかったのかな。普通なら自分の気持ちを打ち明け、いい返事をもらってようやく『幸福』が溢れるものですから」


 制服の胸ポケットからまんまるのガラス玉を取り出す。ようやく青みがかかったばかり。でも四捨五入するとまだ無色透明。広大な蒼空にはまだまだ叶わない。このガラス玉が蒼色に染まる頃にはきっと、天塚凛の命は風前の灯火。一瞬でも気を抜くと間に合わない計算だ。

 感情は非常に厄介。人間はまだ知らないだけ。本当は神様だって手を焼く代物なんだぞって言いふらしてやりたい。ま、不用意に地上を混乱させることはしたくない。


 なんたって天塚凛は自由なんだ。自らの手で平穏をぶち壊すなんて愚かにも程がある。


 人は感情を揺さぶられると、その感情をちょっとだけ外に漏らす。本来なら人の目に見えず、知らずに勝手に消える儚いもの。世界になんの価値もない残滓を掻き集めているだけ。

 これから一生懸命頑張って集めてその暁には——天に反旗を翻す。それが「わたし」の使命である。


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