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弟が私のために偽装結婚したらしい(笑)

作者: ミツリ

 あらまぁ、ばかなことをしたものだこと。

 弟と己の侍女の婚姻の知らせを受けた私が思ったのはそれだけだった。


 脆弱でいつ死ぬかも分からない侯爵家の役立たず。憐れまれ労られ大事に大事に囲われているお姫様。それが私。

 私の両親は愚かでかわいい人たちだった。家に何の益ももたらすことのない役立たずな娘を、繊細な硝子細工のようにそうっとそうっと大切にした。領地の端にでも追いやって死ぬに任せればいいものを、いいえ、この体だもの、毒のひとつでも盛って素知らぬ顔で病死したことにすれば多くの面倒は増えなかったはずなのに。

 どうしてか、彼らは貴重な血税を費やして、私の命を延ばすことに腐心した。

 ただひとつ有難かったのは、我らの領民は両親に似たのか、そもそも土地柄なのか、善良な人が多かったので私への浪費は全て美談として扱われた。私のために別段増税があったわけでもないのが一番の理由だろうけど。父は本当に、私を無意味に生かしていること以外は有能な領主なのだ。

 そういうわけで、私がなんとかデビュタントこそ虚弱ゆえ叶わない身なれど十六歳を息も絶え絶え迎える頃には、我が家はただでさえ貴族としては高位の侯爵位をいただくに飽き足らず、領主は才気煥発かつ人品骨柄まで申し分ないとのことで国内どころか近隣諸国にも広く知られるなんともやんごとない押しも押されもせぬ家柄と化していた。


 だからこの婚姻は、本当に、私の延命と同じくらい、もしくはそれ以上の下策中の下策だった。特例中の特例とも言える。

 本来であれば侯爵家の侍女、つまりは本人すらも貴族に列する身ではあれど、所詮は下級貴族。今をときめく侯爵家の嫡男である弟と婚姻など有り得はしないことだった。私というカードは切れるはずもないのだからなおのこと。弟の配偶者は、侯爵家に益をもたらす女性でなくてはならないはずだった。今の我が家の評判であれば、国内外の王族の降嫁すら望めるというのに。なんて浅はか極まりない。


 けれど、私より少し年上の彼女は本当に、私の両親の目にも留まるほどに献身的に私を支える、幼い頃からの仲だった。最初はベッドから離れられない私の話し相手として連れてこられ、そのまま専属の侍女となった。私より一足早く適齢期となり実家へ連れ戻されそうになったその子は涙ながらに私の枕元へ伏せたものだ。

 どこにも行きたくない。生涯私の傍にいたい。私の傍にいることこそが幸福なのだと切々と訴えた。

 心身健康で何ひとつ瑕疵のない貴族の娘なのだから、家のために為すべきことをなさいと私が説得をする前に、彼女の忠節に両親はいたく感動し、すぐに彼女の実家と掛け合い今しばらく私の傍にいられるよう取り計らった。けれどそれもほんの数年限り。我が家の覚えめでたい子爵家令嬢なんて、引く手あまたに決まっているのだ。上から下、貴族から豪商までどこの家からもちょうどよく手が届く。高位貴族に図らずも囲われた下級貴族の悲しい運命だった。

 そしてとうとう、彼女の実家が「もうこれ以上貴家の御家名をもってしても娘の縁談を断るのは無理だ」と悲鳴を上げた。むしろ数年よく頑張ったと思う。我が家が後ろにいるとはいえ、むしろだからこそ、きっと社交場などでも針の筵だっただろう。

 これにはさすがの両親も折れ、とうとう彼女に暇を出す日が来たかと私も感慨深く物思いに耽っていたところ。


 なんと弟が名乗りをあげた。


 彼女をどこか高位貴族の養女とし、そのうえで己の妻にと。姉の唯一無二の理解者をどうか最後まで傍にいさせてやりたいと。彼女の長年の滅私奉公にも報いたいと。そういうことだった。

 本当に。安い大衆演劇にも劣る。

 ただ、うまくやったものだと面白くもあった。彼女の方は知らないが、弟は確実に彼いわく私の唯一無二の理解者に懸想をしていた。いつか必ず散ると思っていた、おそらく彼女を独り占めしたせいで幾度となく睨まれた私しか知る由のない弟の恋心。まさか私をだしにして成就せしめるとは。我が弟ながら本当にうまくやったものだ。

 私可愛さに目の眩んでいる両親をまんまと丸め込んで。次期侯爵夫人が子爵家出身の元使用人だなんて。出たこともないけれど、社交界でどんな奇異の目で見られるのやら。

 それとも私への忠節を尽くした令嬢への褒美として、なんて。これもまた美談にでもなるのかしら。

 想像しかすることはできない。何と言っても私、この屋敷から一度として外に出たこともない、世間知らずなものだから。


「お嬢様」


 ああ、あの子の声がする。もう光すらまともに認識できない視界の中に、どうしてか彼女の麦穂色の髪が見えた気がした。本物の麦穂は終ぞ見ることはなかったけれど、絵に描かれたその色は彼女の髪色とよく似ていたから、私にとっての麦穂の色とは彼女の髪のことだった。

 ああ、かなしい、かなしいわ。麦穂の髪。海の瞳。私が生涯知ることのなかった世界の一端を私に教えてくれる色が、もう見えない。

 私のあなた。かわいいあなた。妹のようだと私を撫でた指先すら、もう握り込まれた左手の熱でしか感じられない。そのくせ、妹に向けるにはいささか激しい執着と忠義と奉仕を一心に私に捧げてみせた。

 あなたを手に入れるために、弟は「俺は姉上を何よりも大切に思っている。将来の妻よりも。だから、俺は自分よりも姉上を優先されても文句ひとつ言わない女性を妻として迎えたい。そして君は、姉上から離れたくない。どうだろう。俺たちの利害は一致していないだろうか」なんて言ったらしい。

 ベッドから出られないもので、室内で味わえる娯楽として読書が趣味だった私でもお目に掛ったことがないような酷い口説き文句だ。まぁ、この子にはよくよく響いたようだけど。


『弟君はお嬢様を最優先できる環境がほしかったのですよ。だからこれは偽装結婚なのだそうです』


 私に隠し事をほとんどしない彼女が包み隠さずそんなことを報告してきたので、咳き込むまで笑ってしまった。

 私を! 最優先に!? 何よりも大切に思って!? ああ、彼女は言葉を濁したけれどもしかして禁断の愛すら匂わせたのかしら? 私に? 許されぬ想いを抱いているって? なんって愉快なのかしら! どうしてその茶番を私の前で披露してくれなかったの!? 死ぬ間際までその記憶ひとつで私ずっと愉しく笑っていられたでしょうに! 酷い弟だわ!


 まぁ確かに、ちょっと異常なくらい私に傾倒している彼女を丸め込むにはそれだけの嘘が必要だったのかもしれない。

 私が死んだらあっという間に後を追ってきそうだもの。今度はどう引き留めるつもりかしら。私の血統を残すために子供でも孕ませるのかしら。自分の娘というより、私の姪だと思えば愛せるだろうとでもまた丸め込んで。

 こうしてみると弟もとんでもないけど、彼女もまぁとんでもないわよね。

 私そんなに執着されるような人間ではないと思うのだけど。「可哀想」だけでここまで思い入れができるのも才能なのかしら。


「お嬢様、お嬢様。いやです、いや、置いていかないで」


 私の名を懸命に呼ぶ両親の声に混じって、この世の終わりを今まさに迎えようとしているかのような彼女の声がする。ポーズとしてなのか、はたまた一応最低限の肉親の情はあったのか、控えめながら弟の声もする。


 脆弱でいつ死ぬかも分からない侯爵家の役立たず。憐れまれ労られ大事に大事に囲われているお姫様。

 そんな、つまらなくて最悪で残酷な一生が、やっと終わる。やっと解放される。

 周囲の愛情を一身に受けて懸命に生きる病弱な少女という役を、ようやく降りることができる。

 その愛情が本物だとして。私が健康に生まれたところで、同じような愛情が注がれていたとして。それでも、憐れまれ続けたこの生涯が、どこにも行けず何にもなれなかったこの人生が、幸福だったなんて口が裂けても言ってやりたくない。

 貴族としての義務を果たせるくせに私を理由に拒む彼女が厭わしかった。

 後継者として多くの物事をこなし、どこへなりとも忙しく出かけていく弟が妬ましくて仕方がなかった。

 なんにもできない私にとって、やわいやわい鳥籠の中で、与えられる食べやすく砕かれた餌を啄むことだけが生きるということだった。

 すぐに熱が出る体が嫌いだった。満足に歩けもしない、食事もできない、ただ民の血税をドブに捨てて長らえる命が忌まわしくてならなかった。

 何も知らない私にも、本は恥くらいは教えてくれた。意味もないのに生きていることが恥ずかしかった。憐れまれ、愛玩され、燃え落ちるのを待たれるばかりの命。屈辱でなくてなんだというのだろう。


 それでも、私は愛らしい少女の仮面を被り続けた。だってもう、それしか私に許された役はなかった。癇癪を起こしたところで「可哀想なお嬢様」の枠からは逃げられない。ならば、私を何ひとつ癒しはしない、砂糖の塊のような愛とやらを口いっぱいに詰め込んでくる家族に報いるくらいしかもう私にできることは残されていなかった。


 そんな私が。弟の道ならぬ恋の一助となれたんですって!

 こんなめでたいことはない。侯爵家のお荷物が最後にひとつお役に立てたことを喜ぶべきかしら。いいえ、やはり腹立たしい。よくもまぁぬけぬけと利用してくれたものだと、唾のひとつでも吐きかけてやりたいくらいだ。

 私を愛している? そう、そうね。父上も母上も、彼女もあなたも、等しく、真実、私を愛してくれていたのでしょう。たとえその愛が、私を束の間慰めこそすれど、救ったことなど一度としてないとしても。

 愛しくて愚かな私の弟。かわいいあなたにかわいいこの子を残してあげましょう。


「おじょうさま、おじょうさまぁ!」


 けれど、この子の永遠は私のもの。この子の愛も忠節も、私を通してこそ、あなたに注がれる。

 私の弟だからあなたは愛される。大事にされる。尊ばれ、貞節を守られる。裏切られることはない。


 もう舌すら重くて動かせず、言葉すらも発することができない。

 だから指先にだけ感じるかわいい子の体温にだけじっと集中した。

 本当は分かっている。人生は長い。私のたった十六年など、容易く追い越されて、置いていかれて、忘れ去られてしまう。

 永遠なんてない。弟とこの子が私の死をスパイスにして愛が燃え上がるのかもしれないし、この死は愛の肥料にすらなれずただ打ち捨てられ二人は冷めた夫婦となるのかもしれないし、別れすらするのかもしれない。

 ここで終わる私には、未来はひとつだって分からない。分からない、から。


 この体温ひとつ、握り締めて逝きましょう。この耳朶を撫でる哀惜を信じて参りましょう。

 私は愛され、惜しまれ、誰かの心に刻まれて死ぬ。

 この命が、注がれる憐みと愛情が、何もかもが、屈辱だったのだと誰に明かすこともなく。何も知らない、無垢でか弱い令嬢として終わっていく。


 美しくない未来など知らないわ。

 私は、私に優しいものだけを抱いて眠るの。

 私は愛されていた。大切にされていた。この人たちの人生に、傷を付けて去っていく。

 この人たちの永遠を貰って飛び立つの。

 永遠に塞がらない、愛した娘の、姉の、主人の、穴。

 その穴がきっと永遠だと信じて、それだけをここまでおめおめと生きた報酬に、この悲劇は終幕を迎える。


 おやすみなさい。かわいい子らよ。

 どうか願わくば、どんな形であれ。あなた方の終わりが、私と同じように、寂しく、悲しく、恐ろしく、腹立たしく、穏やかで――祈りと呪いに満ちたものでありますように。

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