8:断念と始まり
「きゃっ!」
「ぐえ」
玄関前に二人の人物を発見した瞬間、緑川さんが思い切り僕の首元のシャツを引っ張った。
先ほど笑顔を見せたのが嘘だったかのように怯えモードへと戻った彼女は、つい数秒前に応援すると言っていた探偵(僕)を全力で盾にして身を隠した。
彼女に抱きかけた好意も消え、何すんだこいつと言う感情が湧き上がる。
取り敢えず首を絞めるのを止めるよう言いたいのだが、首を絞められているため声が出せない。
想像以上に強い彼女の力に、振りほどくのも厳しいと感じた僕は、死を覚悟し――
「わ」
「きゃあ!」
足がもつれ彼女を巻き込み床に倒れこんだ。
その衝撃でシャツを引っ張っていた彼女の手も外れ、まともに呼吸ができるように。
ゲホゴホと咳込む僕と、頭を打ったのか床を転げまわる緑川さん。
ただただ無意味な地獄絵図から一分後。ようやく体勢を立て直した僕らは、そんな痴態を黙って見続けていた二人の人物に目を向けた。
白と黒の燕尾服を着た男女の二人組。
共に二十代半ばくらいで、僕が言うのもあれだが、美男美女とも言い難い非常に平凡な顔立ちをしている。ただ、平凡とは言えない特徴もある。
目、というか表情が、完全に死んでいる。
まるで催眠を受け、意識が混濁しているような、虚ろな表情。
時折瞬きをするため生きていると判断できるが、それ以外はピクリとも動かず。マネキンと言われたら納得してしまいそうな様相だ。
そんな生者らしからぬ二人組に恐怖を覚え、僅かに後ずさる。しかし後ろには首元のシャツを掴んでこそいないものの、やはり僕を盾にしていつでも逃げられるよう構えている緑川さんが。
これ以上後ろに引くことはできないと悟った僕は、恐怖を押し殺し彼らに声をかけた。
「こ、こんにちは。あなた方も、僕らと同じで誘拐されてきた方ですか?」
「……」
無反応。
耳が聞こえていないんじゃないかと思うほど、こちらの声が届いている気配がない。
この反応だけでも、彼らが僕らと同じ立場の人間じゃないと察することはできたが、じゃあいったい何なんだという疑問は残る。
僕らをここに連れてきた誘拐犯とは思えない。おそらく共犯者に類する者だとは思うけれど、それにしても尋常な状態ではない。まさかとは思うが、ただの装飾だったりするのだろうか。
恐る恐る男の方に手を伸ばし、その腕を突いてみる。しかしやはり無反応。
実は本当に、瞬きをするだけのマネキンなんじゃないかと思えてきた。
「これ、どう思う?」
「分かりません」
後ろにいる緑川さんに小声で尋ねるも、即答で首を振られた。
彼らの正体は分からないが、いずれにしても今の目的は脱出できないか探ること。
燕尾服の二人組が動かないのをいいことに、玄関扉と思われる扉に手を伸ばし――
「「おやめください」」
両側からがしりと腕を掴まれた。
腕の骨が砕けるんじゃないかと言うほどの強い力。
驚きと恐怖から僕は「うわあ!」と情けない声を上げて飛び退いた。因みに緑川さんは僕を置いて階段の方まで走って逃げていた――どうでもいいが、緑川さんは非常に足が速い。陸上部ですら全力逃走時の緑川さんにはまるで歯が立たなかった。
一人取り残された僕は、腕をつかんできた燕尾服カップルの顔を交互に見回した。けれど僕が扉から離れたため興味を失ったのか、二人とも虚ろな表情のまま、制止した姿に戻ってしまっていた。
「これは、ちょっと僕だけじゃ突破するのは無理そうだ」
先ほどはマネキンのように感じていた虚ろな表情も、脱出を妨害された今では、人に危害を加えることに躊躇いのないサイコパスのように感じられた。
どんな言葉を投げかけても説得できず、体型に似合わない恐ろしい怪力で出口を守る門番の存在。これが他の探偵も脱出を諦めていた理由かと、ひとまずの答えを得ることはできた。
一旦体育ホールに戻ろうと、僕は踵を返す。
緑川さんは(一応)僕の身を案じていたようで、二階までは上がらず階段のところで震えながらこちらを覗き込んでいた。
置いていったことを責めればいいのか、安心してもらえるよう励ますのがいいのか。
数秒悩んだ末、なかったことにしてしまおうという結論に至った。
「玄関からの脱出は無理そうなの分かったし、体育ホールに戻ろうか」
「……うん」
僕が階段を上り始めると、変わらずぴたりと後ろについてきた。盾にしたことに対して罪悪感はないらしい。
そこからは特に何も起きず、間もなく体育ホールの前まで戻ってきた。どこか安堵しつつ扉を開くと、そこには明智さんや赤嶺さんだけでなく、さらに五人の人物が増えていた。
その中にはこれまた見覚えのある有名な探偵もおり――と、状況把握を始めた直後。これまでずっと暗闇を映し続けていたモニターが、光を灯した。