5:赤髪と白髪
中は館内図に描かれた通り、他の部屋とは別格のかなり広い部屋――いや、体育館と呼ぶべき空間だった。
部屋の両側にはバスケのゴールがあり、部屋奥は床の高くなったステージまで設置されている。
他にあるのは入学式や卒業式に見かけるパイプ椅子が――十一脚。それからおそらくこの部屋のメインとなる巨大なモニターが、ステージの上から吊り下げられていた。
そしてそして、それら物以外にも、三人の先客の姿が。
一人は赤いショートヘアの、モデルのようにスラリとした体形のイケメン。
一人は金色に染めた髪をオールバックにした、見るからに不良な男性。
最後の一人は透き通るような白いロングの髪をした、杖を持った少女。
このうち二人は見知った顔であり、ついつい「おお」とこの場に相応しくない感動の声が漏れてしまった。
僕のような学校の中で多少名前が知られているだけの探偵とは違う、テレビや雑誌に取り上げられる本物の探偵たち。
場違いにもテンションが上がるのを感じ、意味もなく隣にいる緑川さんにアイコンタクトを送る。しかし緑川さんは彼らのことを知らないのか、驚いた様子は見せず、むしろ僕に対して引いた表情を浮かべてきた。
そんな対照的な行動をとる僕らの元に、彼らのうちの一人――赤髪ショートヘアのイケメンが近づいてきた。
間違いなくこの間のネットニュースで紹介されていた探偵。生で見る探偵の顔は記事に載っていた写真よりも遥かに凛々しく、どこか神々しいオーラのようなものすら感じられた。
緊張からそわそわと体を揺らす僕に対し、彼は右手を差し出した。
「どうも。赤嶺巴です。君たちもこの館に閉じ込められた探偵さんかな?」
「は、初めまして! 今志方時宗です。赤嶺さんに比べたら遥かに底辺ですけど、一応探偵をさせてもらってます」
赤嶺さんの手を握り返しながら自己紹介をすると、彼はふわりとほほ笑んだ。
「今志方君は僕のことを知ってるのか。それは嬉しいな。とはいえ僕もまだまだ未熟な身。おそらく君とそこまで差はないよ」
「いえいえ! 僕なんて本当に学校の小さな事件を解決しているだけの、本当にしょぼい探偵なので。赤嶺さんとは比べ物になりませんよ。この前解決されていた『可動地蔵殺人事件』には本当に衝撃を受けました」
「ああ、あれはちょっと運が味方しただけだよ。それにトリックに関しても大げさに伝えられていたからね」
「その運をつかめたのは赤嶺さんだったからですよ。少なくとも僕じゃあ、どれだけ運が味方してもあのトリックを暴けたとは思えませんから。本当に尊敬します」
「あはは。そこまで言われると照れてしまうね。本当にそんな大した探偵じゃないんだけどな」
「そんなことないです。立ち振る舞いも素敵ですし、探偵ってことを抜きにしても、赤嶺さんみたいなかっこいい男になれたらなって思ってます」
「……」
不意に、赤嶺さんの顔が笑顔のまま凍り付く。握っていた手にも急に力が入りだし、痛いくらいになった。
この唐突な変化の原因がさっぱり分からず、呆然と彼の顔を見つめる。すると横から、おずおずとした声で緑川さんが口を挟んできた。
「あの、その人、女性だと思いますよ」
「…………え?」
緑川さんの言葉が脳内をゆっくりと一周する。それから改めて目の前で青筋を立てている赤嶺さんの全身を見つめた。
顔は、中世的で男性にも女性にも見える。身長は僕と同じぐらいだから最低でも百七十センチ以上。女性にしてはやや高めだ。けれど腕や足を見る限りはかなり細身で、そこは確かに女性っぽいと言えばそうだけど……。
僕がある部分に目を止めかけた直後、苛立ちを含んだ声で、赤嶺さんが口を開いた。
「今志方君。君は僕の活躍が記された記事を読んでくれたんじゃなかったのかな?」
「は、はい。ただ、記事には『王子様探偵』って書いてあったんですけど……」
「だから男だと? というより、こうして対面した以上、普通性別くらいは判断できると思うのだけどね」
「そ、それは……」
ついつい視線が彼――もとい彼女の胸部に向かう。
それを察した彼女は強引に僕の手を振りほどくと、これ見よがしなため息を吐いた。僕は反射的に「すいません!」と頭を下げるも、彼女は既に僕への興味をなくした様子で、
「別に怒ってなどいないさ。ただ、探偵としての実力は疑うけどね」
と冷めた言葉を口にし、そのまま部屋の隅へと移動してしまった。
考えうる限り最悪のファーストコンタクト。テンションが上がって多少盛って話してはいたけれど、それでも尊敬しているのは事実だったのに……。
涙目になりながら緑川さんを見る。彼女は憐れんだ表情で、静かに首を横に振った。
「これはこれは、随分と面白い方もいらっしゃるようですね」
力なく項垂れていると、いつのまにかこちらに近づいてきていた、杖を持った少女が声をかけてきた。
僕は彼女を見て、再びピシリと背筋を伸ばした。
透き通るような白髪。閉じた両の眼。赤嶺さんのスター性とは異なる、まるで異世界から来たかのような神秘性。握っている木製の杖には龍のレリーフが刻まれており、それがまた彼女の存在を幻想的に見せていた。
両目が塞がれているにも拘らず、彼女は僕を真正面から見つめ、白い髪をふわりと揺らした。
「どうもこんにちは。明智真白と申します。以後お見知りおきを」
「し、知ってます。『盲目探偵』明智真白さん。現場を見ずに、事件の概要を聞いただけで犯人を特定してしまう令和の安楽椅子探偵」
「ふふふ、それは大げさですよ。今は科学捜査も進歩していて、必要な情報はほとんど警察の方が調べてくれます。私はそれらの情報を整理するのが少しばかり得意なだけです」
「でもその少しが事件解決の成否を分けてるんですから、それは誇るべきことですよ!」
「そう言っていただけるのは光栄なことです。では、今志方さんの期待を裏切らないよう、ここから脱出するための知恵を絞らないとですね」
「あ、えと、僕の名前、伝えてましたっけ?」
あっさりと名前を言い当てられ、困惑しながら言葉を返す。
すると明智さんは「すみません」と小さく頭を下げ、自身の両耳を指さした。
「見ての通り私は視力を失っているのですが、その分人より聴覚が優れているんです。なので聞き耳を立てていたわけではないですが、先ほどの今志方さんと赤嶺さんの会話も全て耳に入ってしまいました」
「異常聴力の噂、本当だったんだ……」
僕が見た彼女の記事の中に、彼女が人より遥かに優れた聴力を持っていることも書かれていた。それは視覚を失うという代償の結果手にした、彼女の唯一無二の武器。
記事によれば、単純に遠くの音が聞こえるといっただけでなく、近くにいる人の心臓の鼓動音まで聞き取れるらしい。かつてその能力を生かし、事件の詳細すら聞かずに犯人を当てたことまであるという。
さっき僕は彼女のことを令和の安楽椅子探偵と呼んでしまったが、そういう意味ではかなり違う。明智さんは現場に足を運ぶし、積極的に容疑者にも会いに行く。そこでの情報収集時の容疑者の反応(心音)、そして警察が調べた事件の詳細を組み合わせることで事件を解決するというのが、基本的なスタイルだった。
そんな風に彼女の推理方法について思い返していると、記事に書かれていたある噂を思い出しだ。
「あの、明智さんは、相手が嘘をついているかどうかも心音から聞き分けられるって聞いたんですけど、本当ですか?」
彼女は手で口元を隠しながら「ふふふ」と小さな笑い声を漏らすと、「流石にそれはデマですよ」と首を横に振った。
「確かに私の聴力は人より優れていますが、いくら何でもそこまで超人的な力はありません。もしそんな力があるのなら、もっとたくさんの事件を解決に導いていますよ」
「まあそれはそうですよね。すいません、変なこと聞いちゃって」
「いえ、むしろそんなことまで知っていただけて嬉しいです」
優しく微笑む明智さんの表情に、ドキリと胸が高鳴る。
赤くなった顔を隠そうと俯く。だけどすぐに彼女には見えていないことを思い出し、今度は羞恥から顔が赤くなる。
そんな僕の変化に気づけない明智さんは、次に緑川さんへと顔を向けた。
「ところで、こちらの方はいったいどなたでしょうか? 先ほどの赤嶺さんとの会話では名乗られていませんでしたが」
流石の聴力から、見えていないにも拘わらずまっすぐ緑川さんと顔が向かい合う。
緑川さんはどう答えたか悩んでいるようで、あたふたと視線を彷徨わす。
ここは取り持った方がいいかなと感じ、代わりに僕が口を開いた。
「そちらにいるのは緑川サラさんと言って、僕と同じ高校の生徒です。僕もそこまで仲がいいわけじゃないというか、一度ある事件の相談を持ち掛けられた依頼者と相談者程度の仲なので、これ以上説明できないんですけど」
「あ、あの、緑川サラです。よろしくお願いします」
何が恥ずかしいのか、顔を俯かせながらぼそぼそと名前を名乗ると、少しずつ後ずさり始め僕の後ろに隠れてしまった。
うーむ。元々人見知りするタイプではあったと思うけれど、ここまでひどかっただろうか?
この状況と、明智さんという超優秀な探偵のオーラに気圧されてしまったのかもしれないと考えつつ、乾いた笑いで場をつなぐことに。
「あ、あはは……その、彼女は明智さんや赤嶺さんみたいな高名な探偵じゃない一般人だから、ちょっと緊張してるみたいです。このまま何事もなければもう少し落ち着いて話せるかと……たぶん」
「特に気分を害したりはしていませんので、お気遣いなく」
口ではそう言いつつも、先ほどまでと違い笑顔は見せずにじっと緑川さんを見つめている――まあ目は閉じたままなのだけど。
何とも言えない気まずい時間が続いた後、明智さんが「おそらくまだ何も起きないでしょうし、先に彼とも挨拶をしてきてはいかがでしょうか?」と、勧めてきた。
この中で唯一見知らぬ金髪の男性。
不良っぽくてあまり近寄りたくない雰囲気を醸し出しているのだが、こうして勧められた以上断るわけにもいかない。
せっかくだから話しかけに行く前に少し情報を集めておこうかと、明智さんに尋ねてみる。
「ええと、あの人の顔は見たことないんですけど……彼も探偵なんですか? それとも緑川さんと同じようにただの一般人でした?」
明智さんは正確に金髪男性の方へと顔を向けてから、「彼もまた探偵の様ですよ」と言った。
「あまり詳しくは聞かせてもらえませんでしたが、私や赤嶺さんとは違い、裏の世界の探偵をやっているとのことです」
「裏の世界っていうのは」
「世間一般では公表できない、されないような事件のことかと」
「ああ……」
尋ねる前よりさらに話しかける気が失せてくる。
とはいえどうせ関わらなければならないのだろう。
先延ばしにしても意味はないと腹をくくり、明智さんに軽くお辞儀をしてから金髪男性の元に向かって歩き始めた。
当然のように緑川さんも僕の後ろをついてきたので、横に移動し、耳元で彼女に囁いた。
「あの、緑川さんは明智さんのこと苦手なの? 何か警戒しているように見えたけど」
「それはまあ……あんなに聴覚の鋭い人、普通いないし、怖いって感じるよ」
「そうかなあ。別に怖いとは思わないけど?」
緑川さんは首をぶんぶん振り、「怖いよ」と繰り返した。
「私、明智さんの耳がいいって知ってからちょっとだけ場所を移動したの。それなのに、彼女は正確に私の方を向いてきた……。足音だってしてなかったはずなのに……」
「心音を聞き取るのは無理でも、呼吸音とかちょっとした衣擦れの音なら聞き取れるのかもね」
「……やっぱり、怖いでしょ」
「というか、もしかしたらこの会話も聞こえてるかもしれないし、あんまり怖い怖い言わない方がいいんじゃないかな」
僕がそう言うと、恐る恐ると言った様子で緑川さんは後ろを振り向いた。僕もつられて振り向くと、明智さんはちょうどこちらに顔を向けており、しかも今の会話や僕らの動きまで知っていたかのように笑顔で手を振り返してきた。
これには僕も背筋が凍るような寒気を感じ、二人で何事もなかったかのように前を向き、黙って歩みを再開した。