45:消えた二人と僕のやり方
赤嶺さんは別れ際、「ところで、女子トイレでの会話はドキドキしたかい?」と悪戯な笑みを浮かべ聞いてきた。
やっぱり天然でなくわざとだったらしい。
苦笑いする僕に対し、手をひらひらと振りながら彼女は三階に上がっていった。
トイレに連れ込まれた時こそどうなるかと思ったが、結果として赤嶺さんのメンタルケアもできたし、何より僕自身の覚悟も深まった。
探偵館から脱出という意味での進展はなくとも、決して前に進んでいないわけじゃない。浴場へ向かう僕の歩みは、部屋を出た時より軽かった。
その後は誰に会うこともなく男湯に到着。時刻は午後五時前ということもあり、中には誰もいなかった。
広い湯船を独り占めする幸せを堪能すること三十分。
しっかり心と体の洗浄を済ませた僕は、黒金の様子を見に行くことにした。
昨日――というか今日の早朝での話し合いから、館のギミックを利用して黒金を閉じ込めることが決定した。ただそうなると、ギミックを発動させるためには誰か一人が長時間監禁部屋にとどまり続ける必要がある。またギミックを発動させるまでの間は閉じ込めておくことができないため、見張りを立てる必要もあった。
そこでギミック発動までの引き籠り役として明智さんが保健室に。黒金の見張りには、彼を犯人として指摘した胡桃沢さんと、ここまで大した活躍のない群青さんがつくことになった。
既にあれから十二時間近く経過している。とっくに保健室に移動させられていると考え、そちらへ歩を進めた。
保健室の扉の小窓から中を覗く。するとベッドの上に明智さんが横になっているのが見えたため、驚きつつもドアノブに手をかけた。
すんなりと扉は開き、部屋の中に足を踏み入れる。
ベッドに近づくと、小窓から覗いた通り横になっている明智さんがいた。一瞬最悪の想像が頭をよぎったがそれは杞憂で、すやすやと可愛らしい寝息を立てながら寝ているようだった。
僕らの策のせいで深夜に呼び出してしまったから、彼女も寝不足だったのだろう。ここまで無防備な姿を見るのは初めてだったので、少し悪戯心が湧いてくる。ただ仕返しを考えると怖いので行動には移さない。
大人しく肩をゆすって起こすことに。
かなり深い眠りについておりなかなか目を覚まさなかったが、強めに揺さぶったらころりと転がり、僅かに目を開けた。
「……今志方さん?」
「起きましたか? 一応、ここには僕しかいないので、目を開けてても大丈夫ですよ」
「……結構です」
明智さんは目を閉じたままゆっくり体を起こすと、右手で軽く頭を押さえた。
左手で杖を探す素振りを見せたため、僕は床に転がっていた杖を彼女の左手に乗せた。
彼女は杖を受け取るとなぜか眉間に皺をよせ、「どこにありました?」と聞いてきた。
「どこって、床に落ちてましたけど」
「床に、落ちてた」
「昨日は遅くまで起きてましたからね。寝落ちしちゃったんですか?」
「そう、なのでしょうね」
「もう午後五時ですし、胡桃沢さんたちが起こしに来てもおかしくなかったと思うんですけど。もしかして二人も寝落ちしちゃってるのかな」
「……見に行きましょう」
いうや否やベッドから下り駆け出そうとする。しかし寝起きで足がおぼつかず、転びそうになる。僕は慌てて彼女を支えると、「急にどうしたんですか?」と尋ねた。
「嫌な予感がします」
「嫌な予感って、まさか二人の身に何か起きたと?」
「分かりません。ただ、私が杖を落としたまま寝るなんて、普通じゃありません」
「誰かに眠らされた可能性が……?」
「私もここまで異常な状況に長期間置かれたことは無いので、単に疲れが出ただけという可能性もあります。ですがそうでないのなら――」
「行きましょう」
いい加減、僕だってこの館で起きる違和感を軽視することの危険性は理解している。
実際、寝起きであることだけが原因とは思えないほど、彼女はふらふらして体に力が入っていないように見えた。
手を引いて少し歩くも、彼女が転びそうになったため、「少し失礼します」と言って僕は彼女を抱き上げた。
「え、ちょっと!」
「こっちの方が早いと思うので、少し我慢してください。それより、何か音が聞こえないか耳を澄ませておいてください」
普段とは異なり、ただの少女のようにわたつく彼女をお姫様抱っこしたまま走り出す。
そこまで力が強いわけではないが、明智さんはかなり小柄で華奢なため思ったより楽に動ける。
黒金を見張る場所としては、交流室を選んでいた。保健室から出て左手をまっすぐ進めばすぐにたどり着く。
ものの一分もかからず交流室に辿り着くと、明智さんを床に下し、ドアノブを回した。今度もあっさりと扉は開いたため、警戒しつつ素早く中に入り「胡桃沢さん! 群青さん! いますか!」と大声で声をかけた。
血の臭いはしないものの、ぱっと見まわした限りでは二人の姿は見えず、声も返ってこない。
早歩きで部屋の中を見て回る。すると置かれたソファの一つで、黒金が横になって寝ている姿があった。
ほっとする気持ちと同時に、姿の見えない二人に対しより焦燥感が募る。
壁にもたれつつ部屋に入って来た明智さんが、「どのような状況ですか?」と尋ねてきた。
「取り敢えず、荒れた形跡はないですし死体とかもありません。ただ、胡桃沢さんと群青さんの姿もありません。黒金はソファで横になって寝ていますけど」
「でしたら、まずは黒金さんを起こして事情を聴きましょう」
怪しい足取りながらコツコツと杖を突いて、僕の方に向かってくる。
その間に、明智さんにしたように黒金の肩を揺すり起こしにかかる。
「黒金。起きろ。二人がどこに行ったか知らないか」
「ん、なんだ……。ようやく監禁の準備が整ったのか?」
大きな欠伸をしながら黒金が目を覚ました。
ソファに寝そべったまま大きく両腕を上げ身体を伸ばす。それから乱暴に目をこすり、きょろきょろと周囲を見回した。
「んだよ今志方と盲目探偵じゃねえか。勘女とオタク野郎はどうした」
「それはこちらのセリフです。彼らがどこに行ったかご存じではないのですか?」
険しい顔で明智さんが尋ねると、黒金は驚きと諦観を含んだような複雑な笑みを浮かべ、「知らねえな」と呟いた。
「トイレにでも行ってんじゃねえか」
「今の時刻は午後五時です。本来ならとっくにあなたを連行している時間です。それなのにあなたを一人放置し出歩くなど考えられません」
「それを言うなら今までお前は何してたんだよ。保健室でお昼寝でもしてたのか?」
「……そうですね。寝ていたのは間違いありません」
「は! 殺人犯を放置して昼寝とは余裕だな。これであの二人が死んでたらとんだ戦犯だぜ」
「黒金。それは不謹慎だろ」
「不謹慎? 殺人犯相手に今更だろ」
「……それは姫路さんを殺したことを認めてるの」
「さてな。お前らが俺を犯人と指摘したからこう言ったまでだ」
「……」
どこまで本気か分からない黒金の言動に怒りが込み上げる。今が言い争いをしているような場面でないことは誰より分かっているはずなのに。
話にならないと見切りをつけたのか、明智さんは「行きましょう」と促してくる。保健室で寝ていた明智さんを襲っていないことから、黒金が僕らを今すぐ殺そうとする可能性は低い。だったらひとまず放置して、消えた二人を探すべきだという考えだろう。
だけど、今の僕の考えは違う。
ソファに寝ころんだままの黒金の正面に移動。
にやにやと笑みを浮かべる黒金の顔を数秒見つめた後、僕は土下座した。




