38:誘いと監禁
「さて、着いたはいいが誰もいないか。ふむ」
夜十一時。
僕――赤嶺巴は扉の開いたままの交流室に入ると、中を一通り見まわし、扉のすぐ横に寄りかかった。
二神によって定められたルールである、二十二時以降の外出禁止。殺人事件の後でも皆しっかり守っているのか、道中誰とも会わなかったし、人の気配も一切なかった。
「全く、こんな時間に呼び出すなんて、彼はどういうつもりなのやら」
僕はそう独り言ち、小さくため息を吐く。
ポケットから一枚の紙を取り出し、時間つぶしに眺める。
今日の昼頃、彼――今志方から渡された手紙。一昨日の件があったからかとても気まずそうに、しかしなぜか頬を赤く染めつつ、この手紙だけ渡して走り去ってしまった。
手紙の内容は非常にシンプルなもので、
『二人だけで話したいことがあります。本日二十三時ごろ、交流室に来てください』
とだけ書かれていた。
渡すときの態度を含め、まるで告白のための呼び出しに感じられる。が、彼に限ってそんなことは無いだろう。人が殺された状況下で告白するような非常識さも、告白する度胸もあるようには思えない。そもそも僕のことを男と勘違いしていたわけで、恋愛感情なんて湧くはずもないだろう。
けれど、ではなぜ呼び出されたのかと言われるとまったく理由が分からない。二人きりでの密談なら、別にこの時間、この場所でなくとも可能だ。
何か罠が仕掛けられているんじゃないか。そんな風に疑いもしたが、僕がこの部屋にいる事で彼にメリットがあるとも思えない。まさか殺す気はないだろう。
「……」
僕は腕をさすり、タブレットをつけ時間を確認する。
既に約束の時間を十分過ぎている。
あまり遅刻をするイメージはなかったが、何か起きたのか。それともこれが狙い通りか。
少しの逡巡の後、一度交流室を離れ、彼の部屋を尋ねることを決める。
部屋から出るためにドアノブに手をかけ――
「これは……」
開く気配のない扉。
強くドアノブを回すが、やはりびくともしない。
嫌な思考が頭をよぎり、腕に鳥肌が立つのを感じる。
大声で助けを呼ぼうと息を吸い込んだ直後、背後から、くぐもった声が聞こえてきた。
* * *
「誰もいない。まあ予想はしていましたが」
深夜二時の図書室。
開いたままの扉を通り部屋に入るも、中には誰もおらず。ここに来るまでも常に耳を澄ませていたが、人の気配は全く感じられなかった。
それも当然だろう。こんな夜遅い時間に館内を調べる理由などない。むしろ人の気配がしたらそちらの方が問題だ。
とはいえ、私を呼び出した張本人である彼――今志方の気配がないのは問題なのだけれど。
「騙された……ということなのでしょうか」
一昨日の件の逆恨みで、意味もなく呼び出しを行ったとか。けれどそれはあり得ないとすぐに首を振る。短い時間ではあるが、彼がそう言ったことをするタイプでないことは明白。しかし今この場に彼がいないのもまた事実。
「となれば、この呼び出しを考えたのは彼でない可能性が高いということになりそうですね」
誰もいないのは知りつつも、あえて声に出して言う。私の推測が正しければ、この部屋に人はおらずとも、声は届いているはずだから。
いずれにしろ、ここではいつも通り盲目を演じなければならなそうだ。
「しかし誰の思惑だとしても、目的が読めませんね」
殺人事件が起きた後のアクションであるため、当然事件解決に向けての一手ではあるのだろうが。こんな呼び出しで、犯人を特定できるとは思えない。
「単に部屋から私を追い出したかった、ということでしょうか」
各客室を秘密裏に捜査するため、確実に相手が部屋にいない時間を作り出した。昼間だと他の探偵にピッキングの瞬間を見られるから、深夜に呼び出しを行った。
「ピッキングの技術があり、なおかつそうした提案をすると言えば黒金さんでしょうか。どういった経緯で組んだのかは分かりませんが」
もしこの推理が正しいとしたら、どう動くべきか。
別に見られて困るものは部屋の中にない。なので疑いを払拭してもらうためにも心行くまで調べてもらって構わない。けれど、ただの誘導だと知ったうえで図書室に居続けるのも退屈だ。今志方がいない今、本を読むわけにもいかないし。
「はあ。私としたことが、打つ手を誤りましたね」
クローズドサークル環境下で、偶然にも得られた協力者。それがいかに有益な存在か理解していたにもかかわらず、どうして彼が私に協力をしてくれるのかという、大前提を軽視していた。
「探偵が人気商売であることは嫌というほど知っていたというのに。真実を共有できる相手に浮かれて、甘えが出てしまいましたね。反省しなくては」
そう自省していると、不意に館内を走る足音が聞こえてきた。それもこの図書室に一直線に向かってくる。
先の推理は間違いで、単に遅刻した彼が急いでこちらに向かってきたのか。
けれどその推測は外れ、「バン!」という音と共に図書室の扉が閉められた。
大きな音に眉を曇らせつつ、誰がやったのか確認するため扉を開けようとする。
「……開かない」
ピクリとも動かない扉。
事態の変化に対し急速に脳が動き始める中、背後から小さなノイズ音が聞こえてきた。
* * *
「身だしなみは、これでいい、かな?」
部屋の鏡で何度もチェックしたため、どこもおかしくないのは理解している。何より、まず間違いなく身だしなみを気にするようなイベントではないはずだ。この努力はほぼ百パーセント無意味に終わるだろう。
だけど――
「万が一は想定しておかないと、ね」
私――黒野美海兎はそう独り言ち、もう一度だけ髪型と服装、メイクを見直した。
時刻は深夜一時。
いつもだったら間違いなく寝ている時間だけれど、今日は用事がある。というか呼び出されている。
テーブルに置かれた手紙に目を向ける。彼――今志方さんから貰った手紙。深夜一時に、自分の部屋に来てほしいという、夜のお誘い。
分かっている。時間こそ非常識極まりなく疑ってしまうが、彼が不純な目的で私を呼んだわけではないことを。
彼についてはここに来る前に色々と調査済みだ。交際経験は疎か、恋愛経験もほとんどないことを知っている。
容姿は平凡、運動や勉強が特に秀でているわけでもないことから、元々あまりモテるタイプではない。探偵としての活動を始めてからは彼に対し興味を抱く女性も増えているようだが、告白されるまでには至っていない。自己肯定感が高くないことが影響してか、自身に向けられる好意に対して臆病かつ鈍感になっている節もある。だから好かれていると感じても、そこでぐいぐい迫ることはなく、むしろ距離を取っている様子さえ見受けられた。
とはいえ彼も一介の男子高校生。性欲は勿論あり、本屋で十八禁コーナーを覗いたり、胸の大きな女性や丈の短いスカートを履いた女子高生に目を奪われている姿も確認している。
だからたとえ別の目的があったとしても、深夜に可愛い女子(私)と二人きりになって、邪な目的を抱かないとは限らない。というより、抱くのは間違いないだろう。単に彼の理性と性欲のどちらが勝つかというだけで。
求められた際の対応方法については、百以上のパターンを考案している。どういう流れからであっても、その後に私が主導権を握れるような関係性を結ぶ自信はある。
そう。だからこの準備は無駄じゃない。無駄じゃない。
時計をちらりと見る。呼ばれた時間まであと一分。
そろそろ行こうと、タブレット片手に部屋から出る。
時間が時間であり、廊下には誰もいない。静けさが支配する館内をゆっくり歩いていく。
彼の部屋は私の部屋の二つ隣のため、ゆっくり歩いても十秒とせずに辿り着く。
扉の前で一度深呼吸をしてから、軽く扉を叩く。
力が弱すぎて音が聞こえなかったのか、反応がない。
もう一度、今度は強めに叩いてみようと思ったところで、ふと扉に違和感を覚えた。
よくよく見てみると扉は少し斜めに傾いており、完全に閉め切られてはいなかった。扉の下方に目を向けると、細い棒のようなものが挟まれており、それが扉が閉まるのを妨げていた。
どこか嫌な予感を抱きつつ、私は扉を開け、「今志方さんいますか?」と声をかける。
部屋は暗くなっており、当たり前のように呼びかけに応じる声は返ってこない。
最悪の想像が脳裏を駆け巡る中、私は一歩ずつ、亀のようにゆっくりと部屋の中に入っていく。今のところ、危険な臭いはしてこない。
電気をつけ、室内を見回す。幸いにも彼の死体が転がっているなどということは無かったが、そもそも今志方さんの姿が見当たらない。
何が起きているか分からず部屋で立ち尽くす。すると、なぜかベッドの上に置かれていた熊のぬいぐるみから、聞き慣れた声が流れてきた。




