31:絶望と先送り
「どちらさまですか…って、赤嶺さん。どうしました?」
「一旦、何も聞かずに付いてきてくれ。あと、タブレットも持ってきてほしい」
来訪者は赤嶺さん。
これまでに見たこともない程緊迫した表情であり、凶事が起きたことをすぐに察した。
彼女の言葉に黙って頷き、タブレット片手に部屋から出る。
赤嶺さんは何も言わず歩き出し、階段を下りていく。
そうして連れていかれたのは、一階の放送室だった。
「これ、どう思う」
「どうって……」
放送室の扉。例に漏れずこの扉の上部にも小窓がついているのだが、どういうわけか今は幾重にも重ねられたガムテープによって塞がれていた。
端的に言って、かなり奇妙だ。自室以外は鍵がかからず、放送室にも当然鍵はない。つまり部屋の出入りは自由なわけで、窓ガラスだけを封じる意味は本来ない。というか無意味だ。
だから奇妙ではあるが気にするほどのことでもないように思える――が、昨日の今日である。軽んじてよい些事とも思えなかった。
僕はおもむろにドアノブを握り、扉を開けようと試みる。
しかしいくら押しても引いてもドアはピクリともせず、開く気配はなかった。
「ドア、ロックされているよね」
「されてますね」
ドアがロックされていることを確認される。
僕は振り返ると、「ガムテープ剥がしますか?」と尋ねた。
「ああ、お願いするよ。その前に写真は撮っておいてくれ」
「了解です」
タブレットのカメラ機能を使い小窓を中心に写真を撮っていく。
一通り撮り終えた後、僕は赤嶺さんにアイコンタクトを送り、慎重にガムテープを剥がし始めた。
驚くことに五重にも重ねられていたガムテープ。さらにその下には段ボールまで留められていた。改めてそこも写真に収めてから、段ボールを外す。
こうして開放された小窓から中を覗き込んだ僕らは――床に倒れ伏し、ピクリとも動かない姫路さんの姿。そしてその横に描かれた『〇』のマークを目撃した。
* * *
「しかし意味が分からねえな。放送室に死体があることも、スフィアのマークがあることも。犯人は自殺に見せかけるつもりがあんのか無いのかどっちだ」
「自殺説を捨てるのは時期尚早かと。姫路さんのメンタルが崩壊寸前だったことに疑いの余地はありません。今の彼女なら、私たちへの当てつけのためだけにこのような自殺をする可能性もゼロとは言えないでしょう」
「だが、それにしては用意周到過ぎるでござらぬか? 練炭の調達に窓ガラス破砕防止用の段ボールとガムテープ。とても彼女一人で準備できたとは思い難き周到さ。まさかとは思うが、如月殿がまた手を貸していたりは――」
「してないよ。事件が起きること自体は歓迎だけど、僕自身は誰かが死ぬことを望んではいないからね。死んだら遊べなくなっちゃうし、そんな勿体ないことはしないさ」
「てかてか、間違いなく自殺じゃないよ! 私の天才的頭脳が他殺だって告げてるから!」
放送室の前に十人の探偵たちが集まっている。
未だ扉は開かず、中で倒れている姫路さんの救出はできていない。けれど探偵たちの様子に焦りはない。既に彼女が事切れているのを確信しているからだ。
そして僕は、皆の輪から少し離れたところで、一人呆けていた。
死体。
姫路さんの死体。
昨日まで生きていた彼女の、抜け殻。
もう二度と動き話すことのない、屍。
「そうだよな。人って、死ぬんだよな」
小窓から覗いた室内は、午前に見た時の面影がない程荒れていた。
放送用の設備は全て壊され、置かれていた段ボールの中身は全てぶちまけられ足の踏み場もない有様。
けれどそれ以上に象徴的なのは、天井にある換気口から吊り下げられた巨大な練炭だ。今も火がついており、現在進行形で一酸化炭素が吐き出されている。
練炭の存在に気付いた時、勿論扉をこじ開けられないか試した。しかし腕力ではどうしても扉を開けることはできず、少しでも換気されるよう小窓を全開にしてから、皆を呼びに行った。
放送室の惨状を知った探偵たちは、当然部屋を開けるために奔走した。が、結果開けることも壊すこともできなかった。
そして今。僕らが放送室を確認してから早一時間が経過し、誰もが彼女の生存を諦めていた。
「大丈夫?」
「……緑川さんは、平気そうだね」
呆けていた僕の肩をツンツンとつつき、緑川さんが隣に座り込む。
死体を見た後だ。これまでの緑川さんのイメージ的に、もっと怯えていると思ったのに。意外にも彼女は冷静さを保っていた。
長いエメラルドの髪を壁につけないよう手で押さえつつ、緑川さんは虚空を見上げて言った。
「今は、うん、平気かも。今この場は、そこまで危険じゃないと思うから」
「でも、この学校は人があっさり死ぬ、危険な場所に変わったよ」
「それはここに限らずそうだから……」
「……まあそれはそうだね」
人は死ぬ。今この瞬間も、どこかで誰かが死んでいる。
そんなのは分かっている。だけど、今ここで起きた死は、他のどの死因とも違う。
彼女の死因には、僕自身が関わっているのだから。
前向きに議論を進めている皆を見ていられず、視線を床に落とした。
「もしかして、後悔してる?」
「……どうだろうね」
気遣っているのか、単に無神経なだけか分からないが、珍しく緑川さんから積極的に話しかけてくる。
「スフィアのマークがあったし、姫路さんの性格からしても自殺だとは思えない。だけど、彼女が狙われたのは、たぶん僕のせいだ。僕が昨日、彼女を追い詰めたから――」
「犯人に付け入らせる隙を作った?」
「……」
姫路さんのメンタルが限界寸前だったのは知っていた。にもかかわらず、僕は真相を明らかにすることを第一に考え、彼女を追い詰めてしまった。
探偵の本質は謎の解明。
そう言った如月の言葉を何一つ否定できない。あまりに厚顔無恥な自分を思い返し、ただただ死にたくなる。
これだけ優秀な探偵が集まっているのだ。僕でなければ、きっと誰かがもっと平和に事件を解決してくれたはず。何を調子に乗っていたのか。なぜ推理なんてしてしまったのか。
自分自身への苛立ちから、自然と拳に力が入る。すると、そんな僕の耳に緑川さんの涼やかな声が響いた。
「それで、これからどうするの?」
「これから……?」
「うん。後悔しようがしまいが、今後どうするかは選ばないとだから。もう推理はしない? それとも犯人を捜す?」
「そんなの……」
分からない。
責任を取って彼女の仇を取るべき? でもそれは如月が言っていたように、勝手に被害者を作り出しているだけにならないか。
なら、推理は皆に任せてサポートに徹するべき? だけどそれは責任から目をそらしているだけなんじゃないか。
どんな選択肢を選んでもそれが正しいとは思えず、頭がぐらぐらする。
自分一人ではどうしても前に踏み出せそうになく、縋る思いで僕は緑川さん見上げる。すると、怯えを纏わない、底なし沼のようなヒスイ色の瞳が視界を占領した。
「悩んでる時は、初心に立ち返ればいいんじゃないか」
「初心?」
「今志方君が探偵をやっている理由。今志方君を探偵たらしめた原因。この前、語ってくれたよね」
ヒスイの瞳に映る僕の姿。
何の特徴もない凡庸な容姿。そんな一般人が、どうして探偵になったかと言えば――
「……見ること。冷静に、目の前で起きたことを、見続けること」
「うん。今志方君がこれからどうすべきかは私には何も言えないけど、今志方君を探偵にしたその生き方を変える必要はないと思うんだ。余すことなく全て見て、その上でどうしたいか決めたらいい」
「……それって結局、問題の先送りってことだよね」
「そうだよ。答えのない問題に対する解答は、答えを出さざるを得ない状況まで逃げることだと思ってるから」
そう言って、緑川さんはふわりとほほ笑んだ。




