29:終わりと始まり
「うん、御見事。実に楽しい催しになったね」
会議室から出た直後。頭の傷のことなどすっかり忘れたかのような爽やかな笑みを浮かべ、如月はそう口にした。
「……理由は、やっぱりそれなのかな。探偵による謎解きをただ見たかったから。それだけのために、姫路さんを唆し、自ら死ぬかもしれない怪我を負って見せた」
「うん。そうだよ」
「否定しないんだね」
「しないよ。特に隠すようなことでもないし」
「……」
日本を牛耳る四大財閥の一角、如月家の元一族。
なぜ彼が追い出されたのかについてこれまで深く考えてこなかったのは、明確に間違いだった。
しばらくの沈黙。
手持無沙汰なのか、如月は頭の包帯を軽く引っ張って遊び始める。
どうやら彼の中では、今の会話で話すことがなくなったという認識らしい。
僕は軽く息を吐き出し、険のある声で尋ねた。
「よりによって、何で姫路さんを唆したの」
「それ聞く意味ある? 彼女が一番弱ってて、つけ込みやすかったからだよ」
「……自分が今何を言っているか、自覚してる?」
「してないと思う? というか、こういう無駄な会話嫌いなんだよね。もっと面白い話しようよ。僕だけじゃなく黒野さんも連れてきたってことは、説教以外にも何かあるんでしょ」
「……はあ」
どこまでも純粋に。ただ好奇心のままに動く。
それが善悪に関わらずいかに迷惑なことなのか。嫌でも実感させられる。
しかし彼の言う通り、黒野さんに話があるのも事実。
僕は今も黙って俯いている彼女に向き直った。
「単独直入に聞くけどさ。黒野さん、事件の真相知ってたよね」
びくりと体を震わせ、上目遣いで僕を見つめる。
如月よりよほど、探偵に追い詰められた犯人のような態度だ。
あえて何も言わずじっと見返していると、彼女はおずおず口を開いた。
「……どうして、そう思うんですか」
「ずっと、気になってたんだよ。黒野さん、自分の犯行じゃないと積極的に否定することもなければ、自分がやったと自白することもなかったよね。疑われている状況で、このどちらの行動もとらない。その理由は何だろうって」
「今志方さんには、それが分かると」
「たぶん。罪悪感、だよね」
「……」
肯定に等しい沈黙。
片隅で目を輝かせる如月の姿が映るが、無視を決め込み推理を語る。
「僕のさっきの推理、勢いで押し切ったから指摘されなかったけど、どうやってピンポイントで黒野さんに睡眠薬を飲ませられたかっていう問題があるんだ。無差別という線もあるけれど、それだと不発に終わる可能性がある。既に美術室を散らかしている以上、狂言を起こすのは今日と決めていたはず。となるとやはり、無差別でなく確実に誰かを嵌める気でいた。じゃあどうやって嵌めればいいか? 簡単だ。午後のある時間にお茶を飲むよう誘っておけばいい」
依然顔色は青ざめているものの、黒野さんはしっかりと顔を上げていた。ある程度、真相に向き合う心の準備が整ったようだ。
「普通なら嵌められた人物は、自身にお茶を飲むよう声をかけてきた人物を怪しみ、糾弾する。だけど今回はそうはならなかった。なぜならその人には、自身のせいでこの事件が起きたのではないかという、罪悪感があったからだ」
「……その通りです」
黒野さんが、ぽつりと呟く。
不安を堪えるためか強く噛まれた下唇から、赤い血が一筋たれた。
「これまでも、何度かあったことです。誰かの助けになるようにと動いて、それがかえって相手を追い詰めてしまう。姫路さんも、最近は少し私に心を開いてくれるようになったなんて、そんなバカみたいな勘違いをしていた……」
「それは本当にね。自分が気持ちよくなりたいがための、優越感を得て安心する道具に、私を使うなって。姫路さんずっと怒ってたよ」
如月から最悪のヤジが飛ぶ。
こいつはずっと黙ってればいいのにと睨みつけるが、そんなことで黙るはずもなく。むしろにこやかな笑みを浮かべてきた。
「さっきの僕の回答に満足してくれなかったみたいだし、姫路さんを唆した理由をもう一つ教えてあげる。それはさ、実は僕も姫路さんと同じ意見だったからなんだ。名探偵なんて、なれるわけないって」
「……如月君は、探偵が好きなんじゃなかったの」
「そうだよ。僕は探偵が大好きだ。だって犯罪者と同じかそれ以上に、愚かで面白いからさ」
得体のしれない暗闇で覆われていた彼の核が、少しだけ姿を晒す。
僕と黒野さんは、姿勢を正し、正面から彼を見つめた。
「既に何度か議題に上がったことだけどさ、何の権限もなく責任を持たない一般人が、探偵と言う肩書を名乗ることで、勝手に人の一大事に首を突っ込むようになる。そこには警察のような、法治国家としての秩序を守る役割なんて何もない。あくまでただの独りよがり。善意の押し売りだ。滑稽で、笑わずにはいられないよね」
「探偵の本質は、困ってる人を助けることだと思ってる。それは否定されるべきことじゃないと思うけど」
「うんうん。分かるよ。善意の押し売りって言葉を真に受けて、人が困ってるのに一切手を伸ばさない社会なんて最悪だもんね。でもさ、探偵は、勝手に困ってる人を作り出してないかな?」
「……それは、姫路さんのことを言ってるんですか」
「別に彼女に限った話じゃないよ。むしろ今回で言うなら、僕かな」
如月はにんまりとした意地の悪い笑みを浮かべ、僕を見つめた。
「今回の狂言事件、今志方君は誰のために推理をしたのかな? 勝手に僕を可哀そうな被害者と決めつけて、捜査をする口実にしようとしなかったかな?」
「……」
「探偵の本質は人助けじゃない。謎の解明だ。そのために、人助けを言い訳に使っているだけ。殺人事件をメインで扱う探偵なんて特にね」
「……それが名探偵を否定する理由?」
「そうだよ。皆は名探偵のことをまるで正義のヒーローのように語るけど、もし絶対的推理のもとで犯罪者を捕まえ続ける人がいたら、それは名探偵でなくただの名探偵でしかないからね」
「ご高説有難いけど、少なくとも僕は――」
「ああいいよ。今はまだ、君の答えは聞きたくない。こんな風に挑発された後の言葉じゃあ、本心は測れないからね」
ひらひらと手を振り、これで話は終わりだと態度で示す。
一方的に好き勝手言われ、話を打ち切られたことに苛立ちを覚えるも、言い返すのは止めておく。
何を言っても彼に効きそうにないし、それより黒野さんのメンタルの方が心配だったから。
ただ、黒野さんは今はそっとして置いてほしいようで、「今日は、もう部屋に戻ってもいいですか」と暗い声で言ってきた。
事件が解決した以上、無理に引き留める理由もない。
この状況で言うのが適切かは分からなかったが、「何かあればいつでも頼ってね」と声をかける。彼女は目を合わせず小さく頷き、ふらふらと自室に引き上げていった。
彼女が階段を上っていくのを見送ってから、如月がぐっと伸びをした。
「それじゃあ、僕も戻ろうかな。夜更かしは健康に良くないしね」
「……中にいる姫路さんや、皆に言うことは無いの」
「ないよ。あ、強いて言うなら、これからの学園生活が楽しみだねってことくらいかな」
「楽しみ……?」
「うん。こうして今日、楔が抜かれたからね。明日からは何が起こっても不思議じゃなくなるし。それじゃ」
本当に謝罪の言葉一つなく、如月も部屋に戻っていく。
僕はどうすることもできず、しばらく黙って立ち尽くす。それから、保健室の扉を思い切り叩いた。
* * *
その後会議室に戻った僕は、残っていた探偵たちと今後について話し合った。
結果として言えば今回の事件における、見かけ上の被害はほとんどない。怪我人が一人出たものの、それは自作自演の自業自得の怪我であり、特に気にする必要はなく。
精神面で言えば姫路さんと黒野さんが心配ではあるが、それも元からと言えば元からだ。
だから今回の一件は忘れて、今まで通り学園生活を送るか。それとも如月と姫路に監視をつけ、これ以上事件が起こらないよう手を打つか。
そんな話し合いをし、意外にもあっさりと結論は出た。
――何もしない。今まで通り、各自で脱出方法を模索する。
僕としてはその決断に迷いがあったが、皆はいちいちイレギュラーに構っていられないという様子だった。
彼らに時間を使うよりも、脱出する道を模索する方が結果として早いし丸く収まるという判断。
先の見えない今の状況では、それが正しいことは理解できる。ただ、漠然とした不安があった。
――二人の存在は、本当にイレギュラーなのか。
そんな不安が、どうしても拭えなかった。
そして、僕はすぐに知ることになった。
不安を覚えたこの直感が間違っていなかったことを。
事件の翌日に発見された、姫宮さんの死体と、その横に描かれた『〇』のマークを見たことで。




