26:ヒントと関係改善
「――と、まあ大体こんな感じですけど。何か気になるところはありましたか?」
既に一度、ざっくり自分が見たこと聞いたことは皆に伝えてあった。なのでそこら辺は端折りつつ、具体的に、誰がどこにいたか、その後の僕と黒野さんの動きについて詳しく話していった。
赤嶺さんはモデルのように腕を組んだまま、「ふむ」と頷いた。
「扉は最初から開いていた。そして君たちが駆け付けたのは悲鳴が聞こえたような気がしたから。駆け付けた際、黒野君は被害者のすぐそばに凶器を持ったまま立っていた――。単純なようでいて矛盾に満ちた状況。それゆえに、可能性もかなり絞られる」
「可能性、そんなに絞られますかね。僕はまださっぱり何ですけど」
「それは純粋に修行不足だね。まあ僕の想定する推理も、まだ非現実的で真相とは言い切れないものばかりだが」
「はあ」
友人に勧められて読んだ本曰く、推理方法は大きく二つのパターンに分かれるという。細かい専門用語は忘れたので僕なりのざっくりした解釈だが、『消去型』と『パズル型』に分かれるとか。
消去型は、最初に事件に対するありとあらゆる可能性を思い浮かべるという。そこから現実的に可能、不可能なことで選択肢を消去していき、最後に残った一つを真相として見つけ出すというもの。
パズル型は、とにかく情報を頭の中に蓄えるという。その蓄えた情報をこねくり回し、どうにかこうにか繋げていき、矛盾のないストーリーを組み立てることで真相に辿り着けるというもの。
前者は消去の仕方を間違えればまるで見当違いの真相に辿り着くというデメリットがあり、後者は組み立てる能力がなければいつまで経っても真相が見えてこないというデメリットがある。
僕は後者であるがゆえに強く思うのだが、これ、明らかに前者の方が優れているのではなかろうか?
何というかパズル型は運ゲー感が強すぎる。何も指針がない状態で推理を組み立てることがどれだけ不安で難しいことか。事件を見てありとあらゆる可能性を考えつける人間に比べ、スタート地点があまりにも後ろにある。
だからまあ、おそらく消去型である赤嶺さんを見ていると嫉妬というか、惨めさを感じてしまうわけで――
「パン」
「ど、どうしたんだい急に自分の頬を殴って」
「すいません。雑念を排除しようと思いまして」
「……理由はどうあれ、自傷行為はお勧めできないな」
「すいません」
ちょっと、いや、だいぶ引き気味の赤嶺さんに軽く頭を下げる。
正直、僕も僕自身に驚いていた。この場に集められた中で、探偵として最も劣っているなんて分かっていたことで、そこに不満も疑問も抱いていなかったのに。
嫉妬なんていう、大それた感情を抱くとは。
どこか気まずい雰囲気が生まれてしまい、お互いに意味もなく部屋の中を見回す。
そんな中、唐突に一人の探偵がふらりと美術室に入り込んできた。
「うふ、うふふふふふ。捜査の方、順調かしら」
「姫路さん。何か用ですか」
相変わらず、狂気を孕んだ正常とは言えない表情と姿勢。
今の彼女とはまともな会話は望めないと思いつつ、僕は富豪探偵こと姫路舞に向き合った。
彼女はとろんとした視線で、楽し気に部屋の中を見渡した。
「今言った通り、捜査の進捗を聞きに来ただけよ。まあ、聞くまでもない気がするけれど」
「聞くまでもないってどういう意味でしょうか。それに、姫路さんは事件の捜査はしてないんですか?」
僕の問いかけに、彼女はますます笑みを深めた。
「捜査? そんなことしないわ。だって分かるはずないもの。目撃者もいない。犯行時間も分からない。凶器や本当の事件現場だって、根拠を持って答えるなんて無理。警察の科学捜査がないこの場所で事件を解決するなんて不可能。それはあなた方も分かっているんじゃなくて?」
「どうでしょう。僕は無理だと思ってませんけど」
「うふふふふ。強がらなくていいのよ。そもそも警察の科学捜査があっても、目撃者も動機も分からない事件は解決できないことを、スフィアが証明しているのだし。科学捜査すらできないこの場所では言わずもがなじゃない」
まるで解けないことを歓迎するかのような言動。
けれどそれを指摘することなく、僕は静かに首を振った。
「スフィアの事件と今回の事件はまるで別ものですよ。スフィアの起こした事件とは特徴が異なりますし、十分に事件を解くことは可能です」
「……あら、随分と強気な発言じゃない。それにスフィアの事件は特徴がないのが特徴でしょう。今回の事件だって別ものとは言い切れないはずじゃないかしら」
微かに苛立ちを見せる彼女に、再度僕は首を横に振った。
「スフィアが起こした事件は、場所も時間も被害者も殺害方法も一切共通点がなく、それゆえに特徴がないと言われている。だけどそもそも大前提として、明確な二つの特徴を持っています。
一つは、警察が犯人に仕立て上げられる被疑者すらいないこと。
そしてもう一つは、スフィアに狙われて生き残った人はいないということ。
けれど今回の如月君襲撃事件では、この絶対ともいえる二つのルールが両方とも破られています。スフィアが急に自分の手口を変えるとは思えませんし、間違いなく今回の事件はスフィアの模倣犯だと考えられます」
「ぐっ」
「へえ」
姫路さんからは悔しそうな、赤嶺さんからは感嘆の声が聞こえてくる。
この考え自体はすぐに思いついていたが、これだと裏社会探偵の唱える『スフィア=殺人グループ説』には対応しきれない。スフィアが一人でなく新しく加入される方式の場合、当然殺人に慣れていない者もいて、今回みたいにしっかり殺せない可能性も十分にあるからだ。
ただ、今僕が言ったようにスフィアの殺害成功率は、二神教授が集めた記事や情報を信じるなら100%。そう言う意味で、個人的にスフィアは単独犯か、そうでなくとも少数の固定メンバーなんじゃないかと思っている。
「……仮に今回の事件がスフィアの模倣犯だとして、それでどうだというのかしら」
強がりと一目でわかる笑みを浮かべ、姫路さんは挑発的な口調で言った。
「目撃者がいないのは事実だし、科学捜査を行えないのも間違いないでしょう? どっちにしろ事件の解決はできないんじゃないかしら」
「それはどうかな」
ここにきて、静観していた赤嶺さんが口を開いた。
「目撃者はいないか、僕らは事件解決に必要なピースを八割がた揃えている。そして君との会話で、残り一割というところまで迫ることができた。真相解明まであと一歩だ」
「うふ、うふふふ……そんな強がりを言って。それで解決できなかったら大恥ね」
「探偵たるもの、恥を恐れたりはしないさ。怖いのは犯人が悠々と逃げ延び、被害者が救われないことだけだからね」
「うふ、うふふふふふ。いいわ。それじゃあ、今夜の推理ショーを楽しみにしてるわね」
口と態度だけは部屋に入ってきた時と同じ様子で、姫路さんはふらふらと出ていく。
扉が閉まり、美術室の人口は二人に戻る。
しばらく黙って扉を見つめていた僕らは、数秒後、どちらともなく大きく息を吐きだした。
「全く、時限爆弾のようなお嬢さんだね。いつ暴れだすかとひやひやしたよ」
「まあこんな状況ですし、情緒不安定になるのは責められませんけどね。ただ、流石に聞き過ごせない発言ばかりでしたけど」
「君も気づいたかい。というか、正直見直したよ。てっきりスフィアによる犯行だと信じていると思ってたからね。少し見くびり過ぎていたようだ」
そう言って彼女は、最初の挨拶以来初となる爽やかな笑みを向けてくれた。
安堵四割、気恥ずかしさ六割と言った感じで、僕も笑みを返す。
めちゃくちゃ失礼な話だが、女性だと知ってから彼女の笑みを見ると、印象がだいぶ変わる。男というのはダメな生き物だ。
気恥ずかしさを紛らわすために頭を掻きつつ、僕は部屋から出ようと扉に近づいた。
「午前の授業後、昼食は姫路さんを除く全員で食べましたし、それから午後の授業が始まるまで長時間単独行動をしていた人はいませんでしたよね。だから後は皆にこの部屋をいつ見たか聞いて、うまく証言が集まれば解決のはずです。因みに僕は昨日今日と美術室に近づいてなかったので全然力になれないですけど、赤嶺さんはどうですか?」
「僕は毎夜、学内の見回りをしているからね。昨日の晩までこの部屋に異常がなかったのは確認しているよ」
「それだけでも十分な気もしますけど、やっぱり朝の美術室の状態を知っている人がいればより確実ですね」
「受け入れがたい真相にはなりそうだが、先の姫路君の様子からすると高確率で正しそうだ。となるとむしろ、事件解決後の方が面倒になるかもね」
「監禁生活はまだまだ続きそうですし、何とか穏便に済ませたい気もしますけど……あれ?」
「どうしたんだい?」
「いや、あの……」
ガチャガチャとドアノブを回すも、一向に開く気配がない。
僕は数秒ドアノブ格闘した後、情けない表情で後ろを振り返った。
「えーと、閉じ込められたっぽいですね」




