21:名探偵の資質③
『生徒会探偵』の肩書に相応しく、曇り先の見えなかった僕らの道のりに、一筋の光をもたらす提案。
ここでの一週間の授業から、二神教授の望む名探偵がただ推理力の高い人物でないことは明白だった。勿論未解決事件の犯人を捕まえてほしいという彼の願いが事実なら、推理力は必要不可欠なものではあるだろう。ただここから出るための、彼が名探偵として僕らを解放する条件の一つに、黒野さんの語った『折れない正義』も、間違いなく含まれているように感じられた。
けれど――
「十年も警察に見つからない犯罪者を捕らえるとなれば、そりゃあ並大抵の覚悟じゃ無理だろうしね。でもさ、その覚悟の源、本当に正義の心で大丈夫?」
「どういう意味ですか」
黒野さんによりピシリと正された空気に似つかわしくない、どこか弛緩した声。
発言者である『放浪少年』こと如月君は、口元を緩めて僕らを見渡した。
「探偵活動は必ずしも世間からの評判は良くないし、導き出された真実次第では、不幸になる人が増えるだけの可能性もある。そんな辛い時に自分を支えるものが正義だとしたら、ちょっと大変じゃないかと思ってさ」
小馬鹿にされている雰囲気を感じ取ったのか、黒野さんは眉間に皺を寄せて言い返した。
「大変なのは当然です。ですがその大変さを耐え、乗り越えられるものだけが名探偵足りうると、そう言う話をしているんです」
「それは分かってるよ。だけどさ、大事なのは挫けないことであって、それは何も正義や信念である必要はないと思うんだよね。例えば、単純に事件を解決することに快楽を覚えたり、犯人との命のやり取りに快感を覚えるから続ける、とかでもさ」
「そんな不純な動機で、探偵を続けられるとでも?」
「さあねえ。別に僕は探偵が好きなだけで探偵じゃないから分かんないけどさ。でもそういう、耐えるとかじゃなくて楽しんでやるくらいの心持じゃないと、いつか闇落ちしそうだなって。そうそう。だから僕の考える名探偵の資質は『倫理観の欠如と自己中心性』なんだよね。この資質を持つ探偵は、周りに何を言われても挫けず推理ができるからさ」
「……」
どこまで本気で言っているのか。
『折れない正義』を探偵の資質として語った黒野さんとは、ある意味対極の意見。彼の邪気のない笑顔を見るに、挑発をしているわけではないのだろうが、本心からの発言とも思い難い。
大体彼の言う資質は、探偵と言うより犯人側の資質だろう。流石にそれが分かっていないとは思えないけれど……まさか本気で、そう考えているということだろうか。
彼の真意が読めず困惑する僕とは違い、黒野さんは早々に理解することを放棄したようだ。
授業が始まって以降、机に突っ伏して寝続けていた胡桃沢さんに声をかけた。
「かなり独特な思想の方もいますが、胡桃沢さんはどう思いますか? というか寝ないでちゃんと授業に参加してください」
「ふわあ……。え、何、何の話?」
「あなたが考える名探偵の資質が何かという話です」
「名探偵の資質?」
本当に授業が始まった直後から寝ていたようで、きょとんとした表情を浮かべる。
それからぐっと伸びをすると、寝起きとは思えないほどに爛々と目を輝かせ、自分自身を指さした。
「それは勿論、私みたいなスター性のあるビジュアルとポジティブ力です! ありとあらゆる犯罪は世界を暗く染めますからね。それを太陽のように照らしてこその名探偵! そしてその座に就くのは私! 超エリート高校生探偵である胡桃沢鶉なのです!」
「……まあ、目指すことは自由ですからね。さて、あとこの場で話していないのは緑川さんだけでしょうか。何かお考えはありますか?」
突っ込むと面倒な事になりそうなのを察して、黒野さんはあっさりと緑川さんにバトンを回す。
今更だが、この場には『富豪探偵』こと姫路さんは来ていない。
一昨日あたりから体調が悪いと言って、授業には出ず部屋に引き籠っている。すぐに来るはずだと思っていた助けが来ないことに、心を痛めてしまったようだ。
だからこの場でのトリを務めるのは、必然緑川さんとなった。
再び全員からの視線を浴び、緑川さんは怯えた表情で僕に助けを求めてきた。
勿論助け舟なんて出すつもりはなく、代わりに笑顔で頷いてあげる。
彼女は一瞬泣きそうに顔を歪めた後、諦めた様子でぼそりと呟いた。
「共感力、だと思います」
「共感力?」
黒野さんが首を傾げて聞き返す。
緑川さんはできるだけ皆と目線を合わせないようにしながら、ぼそぼそと続けた。
「別に、名探偵に必須かどうかは知りません。ただ私が事件を解決できるのは、犯人に共感できるからなので……」
「犯人に共感ってのは穏やかじゃねえな。てかニュアンスとしては如月と同じか?」
裏社会探偵が声を凄ませ尋ねる。
怖かったのか、一層体を縮こまらせつつ緑川さんは言った。
「一緒ではないと思います。別に、倫理観の欠如していない犯人もいると思いますし。その、私が共感しているのは、捕まりたくないという、犯人の怯えです」
「成る程。面白い考えですね」
明智さんが目を閉じたまま、顔を緑川さんに向けた。
「私たち探偵が対峙することになる犯人には、当たり前のことですが、自首をしていないという共通点がありますからね。捕まらないための偽装工作を行っている時点で、捕まることへの恐怖は感じている。そんな犯人の感情にうまく共感できれば、足跡を辿ることもできるのかもしれませんね。いえ、緑川さんは実際にそれでいくつもの事件を解決しているんでしたね」
「まあ、はい……」
恐縮しながらもやはり自身の能力を卑下しない当たりは変わらずの緑川さんクオリティ。
それはともかく、これで全員の意見が出揃った。
自然と僕らの視線は画面に映る二神教授に向かう。
教授は顎をさすりながらしばらく黙考した後、『成る程』と頷いた。
「………………それだけですか?」
『ああ。面白い話し合いになったな。この調子でこれからも仲良くやって欲しい。それじゃあ少し早いが今日の授業はここまでだ。お疲れ様』
「な、ちょっと待って!」
呼び止める間もなく、画面が切れ二神教授の姿が消失する。
結局なに一つ質問できないまま終わってしまった二度目の邂逅に、僕らは皆、しばらく呆気に取られていた。
さてそれから、僕らはいつも通り自由行動に移った。
流石に皆切り替えが早い。何の情報も得られなかったのは想定外だったろうが、それでも今日ここから出られると考えていた人はいない。
各自方針に差はないようで、話し合いが行われることも特になかった。
ただ、僕自身はというと、全く変化がないわけではなく。お昼を食べ終えた直後、ついに黒野さんから声をかけられた。
「今志方さん。ちょっとお話しいいですか?」
「うん、いいよ」
相変わらず明智さんからの館内調査命令は続いているが、別段急ぐことでもない。それより、ここに来てからずっと向けられていた視線の理由について聞く方が、ずっと重要だった。
食堂から僕が出るのを見ると、黒野さんは先導するように歩き出した。
「姫路さんの状態、どう思いますか」
「あんまり好ましくない、っていうかちょっと危険かもね」
「ですよね。私もそう思います」
予想とは違い、開口一番に出てきたのは姫路さんの話題。
まあこの一週間、最も姫路さんに声をかけていたのは黒野さんだった。生徒会長としての習慣が身についているのか、体調が悪そうな人には声をかけずにはいられないようで、何度か励ましの言葉をかけているのを目にした。
だからこうして気にかけているのは分かるが、なぜそこで僕が呼ばれたのか。
そんな僕の困惑に気付いたのか、黒野さんは「あなたが一番まともだと思ったので」と口にした。
「この場にいる探偵たちは、皆良くも悪くも一般的ではありませんから。姫路さんを励ますのは厳しいと思いまして」
「僕だったら彼女に寄り添えると?」
「まあそうです。それに、あなたのことは他の皆さんより信頼しているので」
「信頼?」
はて、ここまでの生活で彼女に信頼されることなどしただろうか。
クエスチョンマークが頭に浮かぶも、ふと彼女が初日から僕を見ていたことを思いだした。
「今更だけど、もしかして僕と黒野さんってどこかで会ったことあります? 自意識過剰じゃなければ、初日からちょくちょく見られてた気がするんだけど」
「はい。とは言っても、私が一方的に知っていただけですね。何せ、私が探偵活動を始めたのは今志方さんが理由ですから」
「……それ本当?」
一方的に知られている可能性は考えなくはなかったが、まさか探偵活動を始めたきっかけが僕とは。他の探偵と違い知名度もほぼ皆無なのに、一体どこでそんな影響を与えたのか。
詳しく聞こうと口を開けた途端、黒野さんの足がぴたりと止まった。
どうしたのかと思い前を見ると、二階の体育ホール正面に、姫路さんが佇んでいた。
部屋の外に出られる程度に心を持ち直したのかほっとしたのも束の間。彼女の表情を見て、ゾクリと背筋が震えた。
姫路さんは、笑顔だった。




