19:名探偵の資質①
「一番手は、僕でいいかな」
一週間監禁されているとは思えないほど、初めて会った頃と変わらぬスター性を放った美男子――もとい美少女の赤嶺さんが、席を立ち悠々と僕らを見回した。
一番手に固執する者など特におらず、誰からも否定の声は上がらない。
赤嶺さんは腕を組むと、自信満々に自らの意見を述べた。
「名探偵に最も必要な資質。それはコミュニケーション能力だ」
「コミュニケーション能力?」
あまり想定していなかった答え。
僕を含め数人は、彼女の言葉に納得できず首を傾げた。
確かにコミュニケーション能力はありとあらゆる場面で役に立つ。けれど名探偵の資質と言われると、それじゃないだろという気持ちが強い。どれだけコミュニケーション能力が高かろうと、それで事件を解決できるわけではない。ありきたりだが、推理力や論理的思考力が答えになるんじゃないだろうか。
そんな風に僕らが懐疑の視線を飛ばす中、彼女は不敵な笑みを浮かべ、芝居じみた態度で両腕を広げた。
「あまりピンとこない人も多いようだが、僕は冗談を言っているつもりはないよ。君たちの中には推理力だとか論理的思考力が必要だと考えている人もいるかもしれないが、よく考えて欲しい。もしそれが事実なら、世のIQの高い秀才・天才は皆名探偵になってしまう。しかしそれは違うだろう?」
「まあ、それは確かに……」
ぱっと思い浮かんだ僕の案はあっさりと言い当てられ、しかも軽々と論破されてしまった。
しかしまだ、コミュニケーション能力が名探偵に必須かという点にはついては疑問が浮かぶ。それこそ、コミュニケーション能力がただ高い人とIQの高い人なら、後者の方が名探偵の素質はあるように感じられるし。
そんな僕の疑問などお見通しのようで、赤嶺さんは得意げに続きを語った。
「そもそも名探偵になるためには、事件を解決する能力以前に、推理をすることが可能な舞台に立つ必要がある。そしてそれを行うためには、推理力や思考力ではなく、高いコミュニケーション能力が必要不可欠だ。漫画や小説の様に、ただ現場に居合わせたからと言って、そこで都合よく推理をさせてもらえるわけではない。推理することを警察や被害者、被疑者に許可してもらうための、コミュニケーション能力こそが、名探偵には必須というわけだ」
「推理できる立場にあることが大事なら、別にコミュニケーション能力がなくても、警察になればいいだけでは?」
黒野さんが納得いかない様子で尋ねる。
赤嶺さんはちらりと彼女に視線を向けると、小さく首を振った。
「コミュニケーション能力のない警官が、事件を自由に捜査できる立場になれると思うかい? 組織に与した時点で、事件解決を遠ざける余計なしがらみが増えるだけだ。結局、今の法治国家において名探偵となろうとするなら、そうしたしがらみや諸問題を潜り抜ける、圧倒的なコミュニケーション能力が必要となるんだよ。まあ、学校での小さな事件しか解決したことのない探偵には理解しづらいかもしれないけどね」
「……現状、あなたのコミュニケーション能力が高いようには思えませんけど」
「それは発揮する必要がないからさ。ここでは、否が応でも事件に関わらされることになるんだからね」
「……」
完全に言い負かされた黒野さんは悔しそうに唇をかみ、反論を止めた。
コミュニケーション能力の高さ。確かに、想像していたよりも探偵に求められる能力だなと、思わされた。
僕のような学校限定の探偵だと、事件――というか問題事なんて向こうから勝手に持ち込まれるし、コミュニケーション能力なんて必要なかったけれど。警察が関与する、強盗や殺人と言った重大事件となると、赤嶺さんの言う通り話は大きく変わるのだろう。いくら推理力が高かろうと、事件解決に何の責任も持たない部外者なんて、そりゃあ邪魔だし関わらせたくないのは分かる。
加えて既にいくつもの難事件を解決してきた赤嶺さんの発言だ。事件は解けていたけれどコミュニケーション能力が足りず、話を聞いてもらうのに時間がかかった経験があるのかもしれない。
そんな風に考えると、かなり説得力はある。ここに来る前の僕なら、あっさり頷いていただろう。だけど、今の僕は、それを否定する生き証人を知っている。
僕を含めた数人の視線が、正体を隠したまま千以上の事件を解決したという『鬼没探偵』こと緑川サラに集中する。
彼女は自身に視線が向けられていることを察すると、机の上に突っ伏し寝たふりを始めた。
曲がりなりにも授業中に寝たふりをするのはどうかと思ったが、緑川さん的には運の良いことに、別のところから声が上がった。
「は、下らねえな。別にそんなもんなくても名探偵になれんだろ。そもそも名探偵と呼ばれる条件ってのは、いくつもの不可能犯罪を一人で解決してきたって言う実績だろ。いちいち警察に許可取って舞台用意してもらってるようじゃ、いつまで経っても名探偵なんて呼ばれやしねえぞ」
行儀悪く足を机の上に乗せ、ふんぞり返っている裏社会探偵の発言。姿勢がまんま一昔前の不良なのが少し面白い。
自身の意見を一笑に付された赤嶺さん。プライドの高い彼女のことだし、すぐに怒りの反論が来るかと思いきや、意外にも笑顔を浮かべたまま、冷静に言葉を返していた。
「そうかな。なら君が考える名探偵の資質とやらが一体何か、是非聞かせてくれないかい?」
「いいぜ。俺の考える名探偵の資質、いや本質は、難事件を引き寄せる業だ。こっちから事件に出向かないといけないようじゃ名探偵じゃねえ。名探偵なら勝手に事件の方が寄ってくる。そして寄ってきた事件で被害者になることなく、解決し続けたものが名探偵と呼ばれるようになるわけだ」
「成る程ね。すると現在進行形で監禁事件に巻き込まれている僕たちには、十分名探偵の資質があるわけだ」
「まあそうなるな。とはいえ資質があっても、事件を解決する能力が備わってなきゃただ死ぬだけだ。お前らにその能力があることを祈ってるよ」
「なら問題ない。むしろ僕という一流の探偵がいるせいで、君たちが羽ばたくチャンスを潰してしまうことに申し訳なさを覚えるよ」
「は、ほざきやがる。ならさっさとその能力を発揮して、ここから解放してくれると助かるぜ」
「ああ、ご期待に沿えるよう努力するよ」
お互い口調も表情も穏やかなまま。されど目つきだけ異常に鋭く、ピリピリとした緊張感が部屋を伝播する。
おそらくだけれど、二人ともそこまで自分の意見に本気なわけではない。あくまでこの授業をやり過ごすための、即興で考えた雑な持論。だけど全く的外れなつもりはないし、何よりプライドの高さから他人に言い負かされたくなくて、本心も見え隠れしている気がする。
人の本音を垣間見るのは、一対一よりも複数人集まっている場の方が良い時もある。加えて授業形式ならば、それを聞いている周りの人の反応も見ることができるし。
二神教授がなぜ監禁場所を学校風にしたのか、少し理解できた気がする。
そんなことをぼんやり考えていると、睨み合いを続けていた二人が急に、別の探偵へと矛先を向けた。
「よう。盲目探偵はどっちの意見だ。それとも別の意見を持ってんのか」
「僕も気になるね。メディアでの知名度的にも、僕は君のことを前からライバル視していたからさ」
「私の意見、ですか」
突然話題をを振られたのは明智さん。
初日に行われた模擬事件から、裏社会探偵が勝手に上位ランク認定した最後の一人。やはりライバル意識のようなものを抱いていたようで、それぞれ挑戦的な光を目に宿していた。
ただ残念なことに、目を閉じている明智さんには届いていなかったけど。
「そうですね。お二人には申し訳ありませんが、私はどちらの意見にも賛同しかねます。先ほど赤嶺さんが否定された推理力こそ、名探偵に最も必要な資質だと思っていますので」
「へえ、僕たちの話を聞いた後でその意見とはね。勿論理由を聞かせてくれるんだよね?」
「はい。まず前提として、私は推理力を、論理的思考や水平思考と言った能力だけでない、複数の能力が絡み合った複雑な才能だと考えています」
音から誰がどこにいるかは分かっているだろうに。明智さんは目を伏せたまま、あえて人のいない正面を向いて話を続けた。
「先ほどの赤嶺さんの話では、推理をする舞台さえ整えば、IQの高い秀才・天才は名探偵となる素質があることになりますが、私はそうは思いません。事件を解決する際に求められる推理力。そこには、人間の道理や論理を超越した矛盾だらけの動機・行動を察することのできる直観力と共感力も含まれるからです。それは純粋な頭の良さとは違う、自身の環境を通して培われた感性がもたらすもの。勿論論理的思考や水平思考も必要となりますので、まさしく、名探偵になれるのは一握りの才能の持ち主だと考えています」
「それを否定するつもりはないけどね。でも舞台に立たなければ推理を披露することができない点についてはどう考えてるのかな?」
赤嶺さんが意地悪く尋ねる。
明智さんは特に悩むこともなく、「問題ないでしょう」と言った。
「本当に推理力があるのならば、その人物の力を当てにする人は必ず出てきます。本人の意思に関係なく。勿論警察との軋轢は生じるでしょうから、コミュニケーション能力があるに越したことは無いですが、必須の資質とは言えないと思います」
「……」
やや顔をしかめ押し黙る赤嶺さん。明智さんはやはり顔を正面に向けたまま、「それから」と言葉を続けた。
「難事件を引き寄せる業というのも、推理力があれば自然とそうなるのではないでしょうか? というより、事件を解決すればするほど知名度も上がり、そうした難事件を持ち込まれることや巻き込まれることも高くなると思いますから。現に私たちは今、推理力を見込まれて探偵館に監禁されているわけですし」
「……」
裏社会探偵も渋い顔で押し黙る。
二人から反論が返ってこないことで、明智さんのほぼ独り勝ちの様相を見せる教室。
けれど彼女はその空気を誇ることなく、むしろ小さくため息を吐いた。