2:主人公と誘拐
「うん。やっぱり君が犯人で間違いないね」
僕は彼から拝借した眼鏡を外すと、改めて関係者を見回した。
「今確認しましたが、彼がかけている眼鏡は伊達眼鏡でした。けれど先ほど床についていた小さな血痕を見つけたように、彼の視力は間違いなく矯正されています。このことから言えることは一つ。彼はコンタクトレンズを付けており、それ故に事件が起きた瞬間も問題なく被害者の姿を見れていたということです」
「ま、待ってよ! 私が彼の眼鏡を預かった時ふざけてかけてみたけど、確かに度が入ってたわよ!」
被疑者の恋人が必死の形相で反論する。でもその反論は、残念ながら成り立たない。
「ええ、渡した眼鏡は間違いなく度入りだったのでしょう。しかしその後、眼鏡を取り戻すときにさりげなく入れ替えたのです。これはあくまで間接的な証拠にしかなりませんが、今日の彼は頻繁に眼鏡を外し、手に持っている時間が長かったそうですね。これはコンタクトを付けているため、眼鏡をかけていることが苦痛だったからと考えられます」
そこで一度言葉を切ると、僕は彼に目を向けた。
「これが物的証拠になるとは思っていません。けれど、あなたがこの疑問に対する明確な答えを有していないなら、犯行を認めたほうがいいと思います。罪を認めない方が、謂れのない誹謗中傷に晒されることになるでしょうからね」
* * *
「今回も事件発生からあっという間の解決だったな! うちの高校で悪は栄えない! さすが高校生探偵!」
「その呼び方は違う人を想起させるから止めて欲しいんだけど……。それに今回は、事件直後に居合わせられたからこそすぐに解決できたんだ。もし一日でも経ってたらこんなに早く解決できなかったし、運が良かっただけだよ」
「かあー! そういう謙虚なとこがやっぱちげえよな! お前がいなけりゃ、この事件だって未解決のままだったんだぜ。もっと自慢してもいいと思うんだけどよ」
「うーん、そうかなあ?」
事件を解決して、帰路を友人と歩く。
一年前にひょんなことから我が校で起きた殺人事件を解決してしまった僕は、一躍迷探偵などともてはやされ、校内で知らぬ者のない有名人となった。僕自身は偶然事件解決に繋がる決定的な場面を見ただけであり、探偵を自負するつもりなど全くなかったのだけれど。その後噂を聞きつけて持ち込まれた遊び半分の依頼も、ことごとく解決してしまった。
その結果、七十五日を過ぎても僕に対する探偵呼びは消えることがなく、それどころか高校生探偵などという大それたあだ名が定着してしまった。
今では友人に勧められ探偵部なるものを正式に作り、放課後の数時間はそこで探偵業を行うなんて状況に。
今日も今日とて、放課後に起きたちょっとした事件を解決したわけだけれど――やっぱり探偵としての自覚や自負はいまだにまるで湧いてこないのだった。
友人の言葉に納得しきれず首を傾げていると、彼は「そういや知ってるか?」と、ある噂を口にした。
「実はこの学校、お前以外にももう一人、すげえ探偵がいるらしいんだよ」
「へえ……まあ僕にできるんだし、他にも誰かできる人がいてもおかしくはないと思うけど。どんな人なの?」
「それが正体は不明なんだよ。男なのか女なのかも分かんないし、学生なのか教師なのかも分かってねえんだ」
「それは何も分からないね。でも名探偵なんでしょ?」
「ああ。何でも事件が起こってしばらくそれが解決しないでいると、突然被害者に手紙が届くらしいんだよ」
「手紙か……随分と古風だね」
「んでもう予想はつくと思うんだが、その手紙に事件の真相が書いてあるってわけだ」
「成る程。それは正体不明でも名探偵だ」
「だろ? まあ俺としては一つの学校に二人も探偵はいらないと思うからよ。勝負してお前が一番の探偵だって証明してもらいたいところだけどな」
「別に二人いるのは悪いことじゃないんじゃないかな? 単純に救われる人の数が倍になるわけだし。それに最近、僕と同年代の探偵がよく話題に上がるよね」
「それな! 最近ネットニュースによく上がってんのは盲目探偵とか、拙者探偵だな。見るからに名前売ろうとしてる感じの奴ら」
「名前を売ろうとしてるのかは知らないけど、二人とも事件解決率は高いみたいだし、凄いのは確かなんじゃないかな」
「俺は本当かどうかちょっと疑ってるぜ。ああ後、この前かなり変わった探偵の記事が出てたのも読んだな。何でも、本人は推理しないのに事件を解決するとか」
「それは……またかなり特殊だね。というか推理をしてないならその人が解決したわけじゃないんじゃないの?」
「俺もそう思うけど、確かそいつの何気ない発言が元でいくつもの事件が解決したらしいんだよ。要するに、ヒントを与えるだけで推理は周りに任せてる、みたいな感じらしいぜ」
「推理小説に出てくる助手の最終形態みたいな人だね……と、じゃあ今日はここら辺で」
「おう! また明日からも宜しく頼むな、名探偵!」
「別に名探偵じゃ――ってもう行っちゃったよ」
いつもの分かれ道で会話を切り上げると、彼はすぐさま走り去ってしまった。
流石僕を探偵の道に引きずり込んだ男。行動力と落ち着きのなさは人一倍だ。
彼の姿が見えなくなってから、僕はゆっくりと帰宅路を歩き出す。
「しかし、名探偵かあ」
友人はいなくなったものの、どうしてもその点が気にかかり、独り言ちる。高校生探偵と呼ばれるのも困る。けれどそれ以上に、名探偵となると恐れ多くて委縮してしまう。
これまで解決してきた事件など、初めの一つを除けばどれも大したものじゃない。彼は僕がいなければ解決しなかったというけれど、そもそも解決するべき程のことじゃないものがほとんどだ。それに、殺人を犯すような犯罪者と違い、学生間で起きる事件など行き当たりばったりで計画性も心の準備も十分じゃない。探偵による捜査が行われるというだけで、ぼろを出す人が八割だった。
「そういう意味じゃ今日の人は多少計画性があったけど……あまりにも決定的な証拠を残してるところとかが学生レベルだよなあ」
まあ僕も学生なわけで、批判するのもあほらしい話だけど。
というかそこは問題じゃない。問題なのは、探偵と云う言葉が軽くなっていることだ。
僕程度が探偵を名乗れてしまうような社会は、よくない気がする。探偵とは、もっと、特別な人たちを指す言葉だ。まして名探偵ともなれば、僕程度の一般人がおいそれと名乗っていい肩書ではないと思う。
そう名乗っていいのは、さっき話題に上がったようなテレビやネットニュースで紹介される、彼らレベルになってからだろう。
「まあ、価値観の相違に過ぎないけどさ」
そんな独り言を並べる事十数分。
帰るべきマンションが見えてきた。
「あれ……?」
いつもなら家に近づくと心が軽くなっていくのだが、今は不安と警戒が優先された。理由はマンションの前に停まる黒い車と一人の男。
全身を黒い服で包み、さらに顔には目や鼻、口の位置が不均一にずれた不気味なキャラクターのお面をかぶっている。
明らかに不審者。110番通報待ったなしの姿と言って過言ではない。だけれど、それ故に気にかかる。どんな目的か知らないが、今時あんなに怪しい格好をした犯罪者もそうはいないだろう。
素顔は隠せるかもしれないが、あれじゃあ人目に付きすぎる。ましていつからいるのか知らないが、マンション前に堂々と立っているというのも謎だ。あの格好で何か動くとしても、動く直前までは車の中で待機していればいいだろうに。
念のためすぐ警察に電話できるよう、スマホを片手にマンションへ歩み寄る。
入り口に近づくにつれ、お面をかぶった男の輪郭がはっきりしてくる。
遠目で男と判断したことに間違いはなさそうで、服の上からでもわかる程度に腕も足も太く筋肉質だった。それに背も高い。優に百八十センチは超えている。力づくで迫られたら、大抵の人がなすすべもなく身動きを封じられてしまうだろう。
男の目的は不明だが、ここはいったん警察に通報させてもらおう。そう思いスマホを耳に近づけようとしたところで、男がこちらをじっと見つめていることに気付いた。
「………………」
「………………」
無言で顔を向け合うこと数秒。僕は何事もなかったかのようにスマホを耳に当てると、そのままスタスタと我が家に向けて足を進めた。
「もしもし警察ですか。あの、マンションの前に怪しい――」
ガバッ
警察に電話がつながった直後、首に太い腕が巻き付いた。
これまで一度として受けたことのない圧迫感が首にかかり、全身の力が瞬時に抜け落ちていく。
――流石に、油断し過ぎた……
窒息する直前、耳元で男の声が聞こえてくる。しかしその意味を理解する間もなく、僕の意識は闇に沈んでいった。