17:嘘と助手
「突然何を仰るのですか?」
明智さんは軽く僕から距離をとると、心底不思議そうな顔で首を傾げた。
動揺した様子は一切見られないし、その表情も演技っぽさゼロ。きっと普段からこうした言いがかりを受け、慣れているのだろう。
ただ申し訳ないが、僕のはただの言いがかりのつもりはない。ある程度の確信があっての発言だ。
僕はすぐさま彼女との距離を詰め直すと、「嘘つかなくて大丈夫ですよ」と囁いた。
「この状況下じゃ、流石に理解者ゼロだと厳しいと思いますし。僕じゃ力不足かもしれませんけど、できるだけ協力しますから」
「しつこい方は嫌われますよ。私の盲目は事実です」
これまでずっと穏やかな笑みを浮かべていた彼女が、初めて険しい、というか侮蔑した表情で僕を見つめる。
明智さんはこの場所において数少ない友好的な相手。彼女から嫌われるのは立ち位置的にもメンタル的にもかなりきついのだが、ここで引くわけにはいかない。
二神教授の目的が名探偵の育成なら、僕のような一般人でなく、彼女のような真の探偵の力が、今後求められるはずだから。
「僕はここに集められた皆のような優秀な頭脳は持ってないですけど、一つ特技があるんです。人よりも、少し視野が広いってだけですが」
「視野が広い……」
「この特技があるから、学校内って言う狭い世界程度なら、何とか探偵を務められているって言うのもありまして。周りの人の隙に、気付きやすいんですよね」
多くの人は視界に映っているもの全てを認識しているわけではない。それは僕も同じではあるが、視界の隅の光景が、他の人よりはっきり認識できるのだ。
この特技により、周りが気付かない違和感や不審な行動を察知してきた。ここに誘拐される直前に解決した事件も、犯人が近視にもかかわらず、遠くから小さな血痕を見つけているのに気付いたことで即解決となったわけだし。
とまあ、周りの行動をある程度把握できるこの能力により、明智さんが見せた一瞬の隙に、僕は気付いてしまった。
「明智さん、体育ホールから出る直前の僕と緑川さんのやり取りを見て、一瞬笑いましたよね。別に面白いことをしてたつもりはないですけど、何かツボにはまったんですかね」
「……」
「……」
あれ、もしかして間違えた?
即座に否定の言葉が返ってくるかと思っていたが、明智さんは無表情で黙り込んでしまった。
即座に否定してくれれば、僕としては彼女の目が見えるのは確定だったのだけど――黙られてしまうと分からなくなってくる。でもあの場面で彼女が笑みを浮かべそうなものは他になかったし、何よりその笑みをすぐさま収めた理由を考えると、見てしまったことを隠すためとしか考えられなかったんだけど。
職員室に呼び出された学生のような気持ちで明智さんの反応を待つこと十秒。
彼女は、「ちょっと、場所を移しましょうか」と言って僕の腕を掴んできた。そしてそのまま、食堂の外に連れ出されることに。
食堂から出る直前、厨房の方に視線を向けた僕の目に、サバの味噌煮がちょうどお皿の上に盛られるのが見えた。
明智さんが新たな会話の場所として選んだのは、食堂の真向かいにある会議室だった。
彼女は閉じた眼を僕に向け、「部屋の中には誰もいませんよね」と確認してきた。
彼女の聴力をもってすればそれは自明のことだろうが、これからする話を考えれば、念には念を入れる必要がある。
僕は部屋の中を見回し、さらに扉についているガラス窓から廊下を覗きこんで、誰も人がいないことを確認する。
それを彼女に伝えると、彼女は扉側を背にして、静かに口を開いた。
「改めて聞きますが、本当に私が盲目ではないと思っているのですか?」
「……はい、そうです」
整った顔立ちの美少女に、無表情かつ感情の全くこもっていない声色で問いかけられるのめちゃ怖い。
それにここでの回答次第で、確実に僕と明智さんの関係性が変わってくる。いやが上にも緊張感が増し、体が震えた。
「ただ一瞬、私が笑ったのを見ただけで、そう確信したと」
「他に、明智さんが笑うようなものはなかったと思いますし。それに、僕たちの方を向いてましたから」
「ふむ……」
またしても、明智さんは杖でコツコツと床を叩きながら、沈黙する。
僕からすると地獄のような時間が続くこと一分弱。
明智さんは不意に目を開けると、まっすぐ僕を見つめながら、肯定した。
「あなたの推理通り、私は盲目ではありません。目が見えない演技をすることで、犯罪者の油断を誘っていただけの、姑息な探偵です」
「だけってことは無いと思いますけど……。それに――」
僕を見つめる明智さんの瞳。
本来なら黒色の瞳孔と、その周囲の角膜が、共に真っ白に変化していた。元からある白目の部分とはやや色彩が異なるため区別こそつくが、その異常は、盲目でないという彼女の言葉と相反しているように感じられた。
自分の目を見て驚かれることは日常茶飯事なのか。彼女は淡々とした口調で、「これはただの病気です。原因不明ですが」と説明した。
「白内障や角膜潰瘍と言った病気とは違う、本当に色が白くなるだけの奇病。私は探偵になる以前から、この目が嫌いで盲目の振りをするようになったんです。そして盲目でいるために、エコーロケーションの技術も習得した。盲目という嘘を生かして探偵をやるようになったのは……気紛れでしょうか?」
「………………成る程」
何が成る程なのかさっぱり分からないが、他にうまい答え方が出なかったので仕方ない。
僕の反応が芳しくないためか、「幻滅しましたか?」と首を傾げる明智さん。
敢えてすぐには答えず、目を閉じ、一度頭の中を整理する。
そして現状、僕の目的に何も変更がないことを再確認し、フルフルと首を横に振った。
「幻滅なんてしてません。どんな理由であれ、明智さんが数々の事件を解決してきた名探偵に変わりありませんから。それに、気紛れで続けられるほど、盲目探偵でいるのは楽なことだとは思えないので」
「そうですか。それは良かったです」
まるで良いとは思っていない声で、明智さんは頷く。
それから万一を警戒してか目を閉じると、お互いの顔が触れ合うほど近くまで、距離を詰めてきた。
「さて、こうして真実をお話しした以上、今志方さんには私の協力者となってもらうほかないのですが。今更嫌とは言いませんよね?」
「言いませんよ。ただ、こうもあっさり打ち明けてくれた件に関しては、理由を知りたいです」
自分から白状させにいっておいてあれだが、もっと白を切られると思っていた。どちらかと言えば今回は彼女が盲目でないことを確定させるのが目的で、協力関係についてはこれから徐々に築ければと考えていた。
というか、現時点では互いに互いのことを知らなすぎる。
明智さんからしてみても、僕が本当に秘密を打ち明けて問題ない相手か判断ができないだろうし、しばらくは様子を窺われるだろうと思っていたのだが。
こうも早く話が進むのは、いいことなのか悪いことなのか。
僕の疑念をよそに、彼女は事も無げに、理由を語った。
「今日見てきただけですが、あなた相手なら十分に御せると思いましたので。それに、何でも言うことを聞く助手、欲しいなとは思っていたんです」




