16:乱される情緒と夕食
「それで、緑川さんはこれからどうするの? もう名探偵みたいだし、ここで授業を受ける必要もないと思うけど」
「私は、スフィアの正体を暴くよ」
「おお……」
あまりにもあっさりと、とんでもないことを宣言され口が半開きになる。
つい数秒前に彼女への認識を改めたばかりだったが、それでもまだ甘かったようだ。
ただ傲慢なだけでなく、名探偵としての誇りというか力強さも備わっている。
これなら多少の無礼も気にならないかも――なんて思ったのも束の間、
「だけど、私が暴いたってばれないよう、推理は今志方君にお願いしたいかな」
「……」
あまりにも堂々とした身代わり提案を受け、好感度はマイナスに転じた。
「それから、『スフィア』の正体を早く暴くと、他の犯人の目的を崩すことになって危険かもしれないし、しばらくは様子見かな」
「……」
「あと授業の時間以外は部屋に引き籠って、私は無能だってアピールしないと。やる気ゼロなことが伝われば、解放してもらえるかもしれないし」
「……」
「それから、ご飯とかも食堂で食べるの怖いし、できたら持ってきてくれると嬉しいかも。あ、食べ物の好き嫌いは特にないから献立は任せるね。時間も空いてる時でいいから」
「……」
「それとお風呂なんだけど――」
「ストップ!」
放置しておくと、僕の雑用が無限に増えていく気がして、流石に呼び止めた。
大声にびっくりしたのかソファの上で丸くなる緑川さん。
人というより気まぐれで臆病な猫を相手にしているような感覚に陥りつつ、好き勝手され過ぎないよう釘を刺しておくことにした。
「同じ学校の顔見知りとして、できる限りのサポートはしたいと思ってるけど、あまり頼られ過ぎるのは困るよ。それに僕以外ともしっかりコミュニケーションは取った方がいいと思うんだ。何かあった時に、仲間外れになったら困るでしょ」
「何かってなに」
丸くなったまま、緑川さんは上目遣いでこちらを見つめてくる。
不覚にも可愛いと感じてしまい、僕は彼女から視線をそらした。
「ええと、ほら、脱出方法が見つかった時とか、特別な課題が出された時とか」
「それは今志方君が教えてくれるでしょ?」
「まあ、そうかもだけど……。でも、いつも僕が教えられるとは限らないし」
「なんで?」
「その、緑川さんに教えに行ってる余裕がなくなってるとか」
「そっか。私、今志方君にも見捨てられちゃうのか」
「いや、だからそうじゃなくて――」
何だか話がおかしな方向に行きだした。このままだと最終的に不平等な約束をこじつけられる気がして、無理やり話題を変えることにした。
「そうだ! 僕はこれから他の人に挨拶してくるけど、緑川さんはどうする? 付いてくる?」
緑川さんは数秒虚空に目を向けてから、「私はいいや」と首を横に振った。
「今日はもう疲れたし、部屋に戻るよ。引き籠るのは止めておくにしても、積極的に話しかけに行くのはやっぱり怖いから」
そう言って、緑川さんはソファから立ち上がる。そして結局一口も飲まなかったペットボトルをテーブルに置いてから、そろそろと扉まで移動した。
そしてドアノブに手をかけたところで振り返ると、
「じゃあ、またね。これからも頼らせてね」
小動物のように縮こまった体で頭を下げ、部屋から出ていった。
彼女が部屋から出た後も、しばらく扉を見つめていた僕は、不意に机をドンと叩いた。
「情緒不安定になるわ馬鹿!」
* * *
さてそれから、僕は宣言通り、探偵館に監禁されている仲間たちに挨拶をしに行った。
ひとまず、客室のどこに誰がいるのかを知りたかったこともあり、一部屋ずつ扉を叩いて回る。
反応があったりなかったりしつつも、何とか誰がどこの部屋にいるのかは把握できた。
正直かなり個性の強いメンバー。軽く挨拶をしただけでもかなり疲労が蓄積した。
それに個性もそうだが、あまり好意的な反応を返してくれる人がいなかったのも疲れた理由の一つだ。
こちらを下に見ていたり、そもそも何を考えているのか分からなかったり。
まともに会話が通じて、仲良くできそうだったのは『助手探偵』こと相馬銀嶺くらいだった。
「ふう」
くしゃりと前髪をかき上げ、廊下の壁に体を預ける。
タブレットで時刻を確認すると、既に午後六時に。
誘拐されて以降何も食べていなかったことを思い出し、急激にお腹が空いてきた。
「夕飯、食べに行こうかな」
結局夕飯は誰が作ってくれるのか。セルフサービスだったら面倒だなと思いつつ食堂に足を向けた。
道中は誰とも遭遇することなく食堂に到着。
食堂内は長テーブルが三つあり、椅子が均一に並べられているだけの簡素な作り。テレビや雑誌なども置かれていないため、本当に食事をするためだけの部屋になっていた。
来たはいいが肝心の料理はどうしたものかときょろきょろしていると、ちょうど厨房に男の使用人が入ってきた――因みにここの厨房はオープンキッチンになっており、食堂からでも厨房内を覗くことができる。
相も変わらぬ虚ろな表情だが、厨房内に入ったということは、料理を作ってくれるのだろう。そう考え厨房に近づくと、「ご夕食をご所望ですか」と無機質な声で問いかけられた。
「あ、えと、そうです。献立とかって決まってるんですか?」
「はい。本日の夕食はサバの味噌煮定食かチキン南蛮定食となっております。どちらをご所望でしょうか」
「えーと、じゃあサバの味噌煮でお願いします」
「承知しました」
そう言って、使用人さんはてきぱきと冷蔵庫から食材を取り出し、調理を開始した。
ぎこちなさ皆無の熟練とした手際にしばらく見惚れていたが、あまりじろじろ見ているのは失礼かと思い席に戻ることに――まあ、見られていることを気にするような感性が残っているとは思えないが。
やることもないのでワードを開き、適当に今日見たこと聞いたことを思い出してはメモしていく。
程なく味噌の香ばしい匂いが漂ってきて、きゅるるるるとお腹が鳴る。
お行儀が悪いと思いつつも貧乏ゆすりをしながら料理を待っていると、不意に食堂の扉が開き、明智さんが中に入ってきた。
彼女は先ほど部屋を回った際に会うことはできなかったので、無視をされたわけでないなら、どこか調査をしに行っていたはず。
彼女に関しては、ちょうど話したいことがあったため、これ幸いにと声をかけた。
「明智さんも夕飯を食べに来たんですか? あ、そこテーブルあるので注意してください」
「ああ、今志方さんこんばんわ。ご安心を。何がどこにあるのか、おおよそは分かりますから」
龍のレリーフの入った杖で、自身の周りを何度かコツコツ叩く。
それで周囲に何があるのか把握したのか、彼女は淀みない足取りでテーブルを避け、僕の隣まで移動してきた。
「凄いですね。音の反響で物の位置がわかるんですか?」
「はい。蝙蝠やイルカが使っていることで有名ですが、エコーロケーションという技術ですね。目が見える方でも訓練次第で習得可能ですから、興味があれば今志方さんにもお教えしましょうか?」
「興味はありますけど、今は他に覚えないといけないことが多くて。また今度お願いします」
「分かりました。ところで食事は厨房にいる――執事さんに頼めばよいのでしょうか?」
「そうみたいです。今日はサバの味噌煮定食かチキン南蛮定食か選べるみたいですよ」
明智さんはすんすんと鼻をひくつかせると、「今志方さんはサバの味噌煮にしたのですね。私もそちらにしましょうか」と言って、厨房に向け歩きだした。
聴力は並外れているが、嗅覚はそこまでなのかなと思いつつ、「あ、ちょっと待ってください」と呼び止めた。
これからする話は、たぶん食事前に終わらせた方がいい気がする。それに他に人がいない今は話をする絶好の機会だし。
僕の声に応じ、その場でくるりと身を翻す明智さん。
動きに合わせて揺れ動く透明感のある白髪。世界中を飛び回っているにもかかわらずシミ一つない美しい肌。一挙手一投足が幻想世界の妖精を想起させ、この世のものとは思えない気品を彼女に与えている。だけどその幻想性の核となるのは、やはり閉じた両の眼だろう。
数秒、じっと彼女の両目を見つめてから、小さく深呼吸を一つ。
僕は彼女の耳もとに顔を寄せると、
「明智さんって、目、見えてますよね」
震えそうになる声を必死で抑え、そう囁いた。