15:状況整理と印象変化
投票の結果、緑川さんルートとなりました。お答えいただきました皆様、誠にありがとうございました。
ばらばらと、人が動き出す。
皆しばらくは今の状況について一人で考えたいのか、声をかけてくる者はいない。
僕はどうしようかと少し頭を悩ませた後、背後にいる緑川さんを振り返った。
彼女は俯いて何か考え込んでいたが、僕の視線に気づくと、慌てて逃げ出そうとした。なぜだ。
「ちょっと待って緑川さん」
「きゃう」
反転した直後の緑川さんの腕をつかむ。
走り出させてしまったら追いつくことは不可能。ゆえに動き出しを阻止するのが最善手。
まさか捕らえられると思っていなかった様子の緑川さんは、怯えた表情でこちらを振り返った。なぜだ。
「少し話したいことがあるんだけど、時間いいかな? いいよね? 有難う」
「え、選択肢がない……」
腕を掴まれたことで逃げる気力を失ったのか、特に抵抗はしてこない。
まあ足は速いけれど、体は華奢で力は強くないから、抵抗されてもさほど問題ないけれど。
「じゃあ取り敢えず、僕の客室に移動しよっか」
「もしかして……怒ってる?」
「怒ってないけど、怒らせる心当たりがあるなら、素直に付いてきてくれると有難いかな」
「……」
謝罪こそないものの、これまで僕にした数々の狼藉(突き飛ばしたり首絞めたり盾にしたり)に自覚はあるようで、彼女は気まずそうに頷いた。
さて、自室となる301号室まで緑川さんを連れてきた僕は、彼女をソファに座らせた。冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出し彼女に渡すと、早速気になっていたことを切り出した。
「誘拐犯――二神教授が言ってたことって本当なの? 緑川さんが『鬼没探偵』って呼ばれる、千以上の事件を解決した名探偵だっていうのは」
彼女はヒスイの瞳を隠すように目を伏せ、「知らない」と首を振った。
「鬼没探偵とか、物騒な渾名で呼ばれたことないし。……ただ、たくさん事件を解決してきたのは、事実」
「どうして隠してたの? 事件を解決してるなら誇るべきことであって隠すことじゃないと思うんだけど」
「そんなことないよ。事件を解決したのが私だってばれたら、犯人や被害者からどんな恨みを買うか分からない。それは、とても怖いから……」
「怖い、か……」
まあ実際、探偵はかなり危険な職業だ。
数多くの探偵が事件に巻き込まれ、逆恨みされ、殺されてきた。
明智さんや赤嶺さんのような若い探偵が話題になるのも、そうした暗いニュースを和らげる目的があるんじゃないかと思っている――勿論、彼女らの実力と成果があっての話ではあるけれど。
とまあ、探偵と言うのは危険な職業であり、やるのならそれなりの覚悟が必要になる。それも刑事事件に関わるのなら尚更。
当然緑川さんだってそのことは理解しているだろうに。匿名とはいえ、なぜ探偵なんてやっているのか。
「怖いなら、事件に関わるべきじゃないんじゃない? 事件を解決するからにはある程度調査はするんだろうし、匿名とはいえリスクはそれなりに高いと思うんだけど」
「それは分かってるけど……」
「それに実績皆無の僕が言うのもあれだけど、手紙を送り付けるだけっていうのはちょっと無責任じゃないかな。本当に推理が正しいかの保証もないんだし、間違ってる可能性を考えたら――」
「なんで?」
「え」
不意に、緑川さんは顔を上げ、僕を正面から見据えてきた。
これまでにも何度か見てきたヒスイの瞳。
だけど、その色は今までとはまるで違う、底なし沼のような得体の知れなさを放っており、
「私の推理に間違いはないよ?」
という、傲岸不遜な言葉を、笑い飛ばすことはできなかった。
しばらくの沈黙。
何か大きなものに呑み込まれてしまいそうな心を守るため、僕は彼女から視線をそらし、話題を変えた。
「ところで、さっきはどうして僕から逃げようとしたの? これまでさんざん盾にしてたのに」
「それは、質問攻めにあいそうな気配を感じたから……」
盾にしていたという点に関してツッコミは入れず、またも目を伏せる緑川さん。
僕はタブレットの電源をつけ、ワードを開いた。
「こんな状況だし、できたらお互いの理解を深めておきたいと思ってたけど、詮索されるのが嫌ならしないよ。それより、二神教授の言っていた話、どう思った?」
「どうって?」
「言葉通り僕らを名探偵に育てたいだけなのか、それとも別の目的があるのか。それから本当に僕らに危害を加えるつもりはないのかってこととか」
「……今志方君は、どう思ってるの?」
質問に質問で返された。
とはいえ彼女の性格を考えれば不思議でもないので、拒まず僕の考えを告げる。
「正直、名探偵にしたいって目的は嘘だと思う。理由は不透明さから。模擬事件って言う探偵独自の授業はあるけど、それ以外でこれと言って特別な、監禁してまでやる価値のある育て方が示されなかった。誘拐という犯罪行為に手を染めている割に、僕らを名探偵にするための指針というか方法があまり定まっていないのは、ちょっと変だと思うんだ」
それに、二神教授はかなり理知的な人物に見えた。
もし本当に名探偵を育てることが目的であったのなら、こんな犯罪を犯さず、僕らに指導する場を設けるくらい簡単に用意できたんじゃないだろうか。というか、やはり誘拐してまで行うことではない気がするのだ。
「でも、じゃあ何が目的かって言われると、全然思い浮かばないんだけどね。姫路さんが言っていたようなデスゲームってこともなさそうだし」
一度は否定したけど実はやっぱりデスゲームでしたって展開。まあゼロではないかもしれないけど、考えづらい。それこそさっきの説明は何だったんだって話になるし。
僕はそこで言葉を切ると、緑川さんに視線を向けた。
彼女は答えるのを嫌がるそぶりを見せたが、じっと見続けたら観念してくれた。
「私は、二神さんの言っていたことは事実だと思ってる」
「事実って、本当に僕らを名探偵にしたくて誘拐したってこと?」
「えーと、名探偵云々じゃなくて、スフィアって言う犯罪者を捕まえてほしいってところ。だけど、それは二神さんの目的であって、他にも、別の目的を持った人がいるんだと思う」
「別の目的を持った人……」
僕を誘拐した人と二神教授が同一人物に見えたせいで、主犯は彼であると思い込んでいた。しかし、言われてみればこれだけ大掛かりな誘拐・監禁だ。彼以外にも主犯と呼べる人物がいてもおかしくはない。
「二神さんのあの態度からして、誰かに脅迫されて仕方なくやってるって感じはしなかった。だけど一方で、私たちの紹介をした時、明らかに誘拐理由が適当な人がいた」
「僕とか、姫路さんとかか」
「うん。それに、私のことを知ってるのもおかしいの。だって、私が探偵をしてるってことは、家族も、警察も、誰も知らないはずだから」
「つまり、正体不詳の名探偵である緑川さんを特定できるほど優秀な人物が、この事件の裏に潜んでるってこと?」
「そう。そしてその人の目的は、きっと二神さんも知らない」
「……」
正直、驚いていた。
緑川さんの推理はおそらく当たっている。
顔は隠してこそいたものの、名前も声も堂々と晒したのだ。一生を終える覚悟を持って、二神教授が今回の犯行に及んでいるのは間違いない。その一方で、ところどころ自分には関係がないと言ったような、他人事のような発言も見られた。
その矛盾を解消する答えとしては、彼には彼の目的――スフィアを捕まえられるよう教育、もしくは協力させる――がある一方で、別の目的を持った仲間と共同で計画を立てたとする考えだ。
これなら、僕や黒野さん、姫路さんと言った戦力にならなそうな探偵も集められたことに、説明がつく。その目的は依然不明なままだけど。
しかしまあ、それらのことに緑川さんが気付いていたのも驚いたけど、それ以上に名探偵と言われて一切謙遜も否定もしないことに驚いていた。
自信過剰というか、鉄面皮というか。
僕を盾にすることをいとわないところも含め、彼女に対する認識は90度変化していた。