10:誘拐動機と模擬事件
「ス、スフィアですと!!!」
誘拐犯の言葉に呼応し、一人の探偵がホール中に轟くほどの大声を上げた。
突然の大声に驚いたのか、緑川さんが咄嗟に僕を盾にしてしゃがみこむ。
早くもその反応に慣れてきた僕は、気にせず声の主を見た。
声の主は、僕も知っている有名な探偵。
真っ青に染められたセミロングのストレートパーマが特徴的で、一度見れば二度と忘れられない風貌。目には黒縁の瓶底眼鏡をつけており、さらにアニメキャラクター『群衆デビルちゃん』――さらさらの黒髪に、矢印型の角が二本生えた、垂れ目の幼女キャラ――がイラストされた服を着ている。
僕が読んだ記事曰く、一人称が拙者だと噂の通称『電脳探偵』こと、群青征四郎さんだ。
群青さんは瓶底眼鏡を何度も手のひらでクイクイ上げながら、早口で解説し始めた。
「ス、スフィアといえば十年以上前から今日に至るまでネットの都市伝説級隠れ犯罪掲示板で語り継がれているあの殺人鬼では! 神出鬼没で年齢不詳! 架空の存在なのではと言う声が大多数を占める中、今に至るまで根強く実在説が主張されている究極にして伝説の殺人鬼! 何といってもその特徴は特徴がないことと言われ殺し方も殺人周期も殺害対象も動機すらも一切の法則が見いだせず身長や体重は当然として男なのか女なのかすらさっぱり分からない取っ掛かりゼロの殺人鬼! ゆえにその掴みどころのなさと場所を問わない神出鬼没さから球体や地球そのものと言う印象を抱かせ最終的に付いた名称が『スフィア』でござった!
まさかここに来てまでその名を聞くことになろうとは……これは運命でござるな」
『運命かどうかはともかく、俺の言っている犯罪者は今言ってもらった通りの『スフィア』で間違いない。そしてそいつは、架空の存在でなく間違いなくこの世界に存在している人間だ』
群青さんの人柄を理解しているのか、誘拐犯は彼の語気に引いた様子も見せず淡々と話を引き継いだ。
それにしても、十年前から語り継がれる伝説の殺人鬼とは。ゲームや小説でなくリアルでいるとは正直信じがたい。それに今の群青さんの説明だと、些か腑に落ちない点と言うか、矛盾点もあるし。
この矛盾点に気付いていたのは当然僕だけではなく、赤嶺さんが「ちょっと待った」と声を上げた。
「その『スフィア』とかいう殺人鬼、実在しているっていう根拠はあるのかい? 今の群青の話が事実なら、そもそも殺された人間が『スフィア』によって殺害されたのかすら判断できないと思うんだが」
『それはそうだな。だから正確には、もう一つ分かりやすい特徴があるんだ。流石にネットには出回っていなかったみたいだけどな』
「な、なんと! 拙者すら知らぬ『スフィア』の特徴がまだあると!?」
『ああ。非常に簡単な話なんだが、『スフィア』によって殺された死体の近くには必ず同じマークが残されている。そのマークと言うのは、『〇』でな。うちでもそこら辺にちなんで『スフィア』って命名したはずだ』
「……余計架空っぽく聞こえない?」
「……はい」
正直本当の話とは思えず、僕は緑川さんに囁く。緑川さんも僕を盾にするのを止め小さく頷いた。
殺害現場にマークを残すなんて、どう考えても犯人に何のメリットもない。まして人物像を特定させないよう殺害方法だけでなく場所や時期、対象も選ばないようにしている殺人鬼。そんな慎重な犯罪者が、わざわざマークなんて残すだろうか。単に自己顕示欲が高いだけなら、殺害方法を同じにする方が何倍もインパクトがあると思うし。
普通に疑わしい話。
僕だけでなく、他の探偵も同じような疑惑を持った人が大半。
訝しげな視線がモニターに向かう中、誘拐犯はこれ見よがしなため息を吐いた。
『まあ、信じてくれと言うつもりはない。どうせ俺が何か言わずとも、勝手にこっちの目的も推理するんだろうからな』
「質問、いいですか」
『ん、どうぞ』
礼儀正しく一人の少女が手を上げ質問を求めた。
黒髪の綺麗なロングストレートで、チェック模様の制服を着ている。赤嶺さんや明智さんほどではないが、顔立ちは整っており、姿勢の良さなどから真面目な雰囲気が窺えた。総じて委員長タイプの女の子。取り敢えず、僕の探偵メモリーには登録されていない人物だった。
委員長風の探偵は、ひどく緊張した面持ちで、目を瞬いた。
「聞きたいことは、二つです。何をもって『スフィア』を捕まえられるようになったと判断してもらえるのか。仮にそれが叶わなかった場合、どうなるのか」
『ふむ。一般的な質問だが、それゆえに探偵がする質問ではないな』
失望がありありと伝わってくる声で、誘拐犯は首を横に振る。
その反応を見て、委員長は悔しそうに唇をかむ。
反論したいけれど、この場にいるという事実が反論を許さない。
そんな彼女の葛藤がよく分かる僕は、仲間を見つけた気がして少しだけ心が軽くなるのを感じた。
「全くですわ。どうすれば助かるかを犯人に聞くなんて、事件の真相を犯人に尋ねているのと同義。まさしく愚の骨頂ですわ! 探偵たるもの、脱出方法や脱出条件は自ら推理して導き出さなければ!」
共感を抱いた僕とはまさしく対照的な声が上がる。
先ほど自らの推理を妄想だと言われ固まっていた自称『富豪探偵』。自分より格下がいたことで自信が回復したのか、意気揚々と話し始めた。
「そもそも、少し推理すればこんな茶番が長々続かないことは分かりますわ。日本の警察も、まあワタクシに比べれば格は落ちるけれど、決して無能ではありませんわ。十人以上もの優秀な探偵を誘拐しておいて、居場所が特定されないはずありません。それ以前にワタクシの雇っているSPがそろそろこの建物を突き止めて警察に連絡していてもおかしくは――」
『ああ、また長々話してくれてるところ悪いんだが、助けは来ないと思うぞ』
不憫にも、再び否定の言葉を告げられる姫路さん。
彼女が「な、何を根拠に来ないと言い切れるのかしら!」と強めに言い返すも、誘拐犯は淡々と、されど威圧感を放ちながら答えた。
『まあ、こうして犯罪に手を染めてまで君たちを集めた、俺の本気度を、多少は察してもらいたいってところだな。易々と居場所が特定されるような痕跡は何も残していないさ。それにおそらくこの場の全員が気付いているとは思うが、俺は元刑事、いや、肩書的には現在進行形で刑事でね。警察がどう動くかはおおよそ予測できるし、何なら誘導もできる。勿論助けが来ると期待するのは構わないが、できれば止めておいた方がいいと忠告しておく。そうしないと、むしろここにいる期間が長引くことになるだろうからな』
「ていうか、助けが来る想定とか不要だよね。来るなら助かるわけだし、来ない場合以外の想定は無意味じゃん」
これまで一度も発言していなかった、一人の少年が笑いながら言う。
ぱっと見、この中で最も幼い顔立ちのおかっぱ頭の少年。
来ている服は姫路さんほど派手ではないが、彼女の見せびらかすようなゴージャスさとは違う、本物の気品のようなものを感じさせる出で立ち。探偵と言うよりは、貴族のご子息をイメージしてしまう。
彼もまた僕の探偵フォルダに記憶されていない人物だが、この場において、唯一ずっと楽しげな笑顔を浮かべている人物でもあった。それだけでも、彼がただの一般人でなく、相当の修羅場を潜り抜けた猛者であることが窺い知れる。
『それはまさしくその通りだな。助けが来ることを期待するのは構わないが、今この場でそれを考える必要は無いはずだ。大事なのは、これから始まる生活に適応すること。というわけで、そろそろ話を次のステップに進めさせてもらおうか』
誘拐犯の言葉が真実かどうかや、それに対し僕らが納得しているかはともかく。ひとまず僕らの置かれた状況と、誘拐された理由についてははっきりした。
となれば次は当然、ここで一体どんなことをさせられるのかについてだ。
『先も言った通り、俺の目的は『スフィア』を捕まえられるよう君たちを育てること。そこで、君たちには毎日授業を受けてもらう。授業内容は犯人逮捕に必要となる化学・物理などの通常科目に加え、犯人と対峙した際に捉えられるようにする戦闘訓練。またかつての犯罪者が行ってきた事件の復習、探偵としての心構えなどだな。それからもう一つ、要となるのが模擬事件だ』
「模擬事件?」
『ああ。端的に言えばこの施設内で何かしら事件を起こす。それを君たちに解いてもらうってものだ。というわけで、早速第一回目の授業を始めようか』
「え?」
誘拐犯は言うや否や、ぱちんと指を鳴らした。その直後、
――ドサッ
僕らの背後で、何か、大きなモノが床に衝突したような音がした。
驚き振り返った僕らが目にしたのは、体育ホール中央付近で体を奇妙に捻じ曲げた状態で、真っ赤な血の池を生産する、燕尾服を着た何者かの死体であった。