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家の仕事の手伝いだからと楽なわけではない

子供のころから落ち着いているだの、大人びていると評されてきた。それは当然のことだ。なにせ自分には前世の記憶があるのだから精神年齢は大人だし、他の人より経験値があると思っていたが、案外そんなことはなかった。


前世の記憶があろうと、子供の時は感受性が高く、心が大人だろうとトラウマとして植え付けられることもある。子供の発言というのは、時に大人よりも残酷で冷酷なのだ。

身体の成長とともに価値観が変わると、頭ではわかっていても心と体が一致しない。

自分はそんな感じだったのだろう。

『家がう○こ臭い』

『お前の体臭が臭い』

と同級生にバカにされ、大人になってもはめていた動物への苦手意識という足枷は、あっけなくはずれて粉々になった。

端的に表すと、動物は可愛い。




朝4時に厩舎にやってきて、まずは餌やりから始まった。

ここにいるのはニワトリ、牛、馬。各々に適した餌を用意していく。


ニワトリに関してはあまり思わなかったが、幼雛であるヒヨコは非常に可愛かった。想像以上にぴよぴよ鳴いているし、手を出すと餌と勘違いしてなのか、みな一斉に群がってくる。その勢いに若干の恐怖はあったが、実に微笑ましかった。


次は牛のエリア。

ここがう○こ臭いとバカにされた元凶なのだと、入ってすぐにわかった。

牛はおっとりしていて、エルフィスが恐る恐る作業をしていると、なぜかみな近寄ってくる。だが、何もせずのっそりまたどこかへいってしまう。


「なんだろう。初めましての挨拶かな」


そう思った瞬間、エルフィスには牛も可愛く映った。個々によって白黒の模様は違うし、顔立ちもまったく異なる。ぶるんぶるんと動くしっぽも、なんだか愛らしいし、何より見ていて癒される。


餌やりの最後に向かったのは馬だ。

馬屋にやってきてエルフィスは、今までどうして家業を嫌っていたのかと激しく悔いた。


ここにいる馬たちの仕事は、乗馬の練習相手だったり、馬車のレンタルが主だそうだ。

特にここスコルティシュのような地方での移動手段は、徒歩か馬に限られる。よってみな乗馬スキルが必要なので、牧場の一部は練習場として解放し、我が家の生活費の足しとなる。


乗馬用の馬はすらっとスタイリッシュで、馬車を引く子はどっしりとしていて、どちらも格好良かった。

人懐っこい子は顔を擦り寄せてきたり、美味しそうに牧草を食べる子もいて、エルフィスはとても惹かれた。

しかし馬の管理は兄のマークリフが担当しているそうで、残念でならない。


昨晩、馬に関するトラブルがあったらしく、兄の帰宅が遅かった。なので今朝はゆっくりとしてもらうため、そしてエルフィスが仕事を覚えるのを兼ねて、今日に限って馬屋の方の作業もしている。

明日からこの仕事がないと思うとガッカリしてしまった。

仕事量が減って落胆する。

前世を含めても初めての経験だった。


その後、ニワトリの卵を回収し、厩舎の清掃。


牛の乳を搾り、放牧している内に清掃。


馬の体を洗って、放牧している内に清掃。


「キツイ……疲れた……」


普段使わない筋肉を酷使し、ようやくひと息つけると思った午前7時、エルフィスは朝日を浴びながら朝露に濡れた牧草にかまうことなく、大の字で倒れ込んだ。


「あんた、まだまだ忙しいのはこれからよ?」


「……うそ。もう腕パンパンだよ」


冬間近の朝は冷え込みがキツくなり始めているのにも関わらず、エルフィスの額には大粒の汗が滲んでいた。

対して母ユリスは苦笑いを浮かべながらも、テキパキと次の作業の段取りを組んでいる。


「エル。次は大事な作業だから手を綺麗に洗って、汗をちゃんと拭いて。汚れが酷いようなら着替えもして」


額だけではない。

首やら脇など、エルフィスは全身に近いほど汗が吹き出ているので、母の言う通りに急いで着替えに向かった。






「これ、とても高価なものだから丁寧に扱ってね」


着替えを終え、母の説明を受けているエルフィスの前には、魔石を加工して作られた大きな樽に酷似した入れ物がある。

この世界特有の魔力が込められた洗浄殺菌のできる装置だそうだ。生産性を高めるために特注したものだそうで、高価かつ替えのきかない逸品らしい。もし割れでもしたら出荷が止まり、家計は火の車になりかねない。

絞った牛乳をすべてそこに流し入れ、下の蛇口を捻ると衛生的な牛乳となって出てくるので、小瓶に分けていく。


氷の魔石が貼り付けられた箱、つまり簡易式の冷蔵庫にそれらを保管して、牧場の入口に1番近い小屋のような小さな建物へ運搬する。

この建物は、いわゆる直売所だ。採れたての卵と牛乳の販売を毎朝9時に開始する。


ここまでの作業はすべて母ユリスの仕事で、父ボルドフは王都への出荷用の大量の牛乳と卵の仕分けをしている。

もちろん出荷用が最優先で、その余りと言うと聞こえが悪いが、余剰分はここスコルティシュの町民に向けた直売所を開くことで、ロスをなくしているそうだ。


父の仕事量は母の何倍もあることを知り、優しく親しみばかりだった父に、突如尊敬の念が強くなるエルフィスだった。


それから卵も洗浄殺菌効果のある箱に詰めて、販売所に運び終えると、9時を迎えた。


開店と同時に町の人たちがぱらぱらやってきて、ユリスが接客販売していくのをエルフィスはサポートする。

瓶の牛乳を注文数用意し、卵も同様に準備する。


開店時、各100程度あった品は、11時の閉店を間近にして残り10個ずつになっていた。

母は販売の空き時間も、父が王都へ出荷する品の伝票を書いたりと、絶え間なく仕事をしている。

父と母がこんなに仕事を抱えていたなんて、まったく想像していなかった。農家といえば、のんびりしている印象があったから。

母はテキパキとしているので仕事のできる人だろうと思っていたが、いつも柔らかい笑みを湛えている父が真剣な面持ちで汗を流す様は、男前と称するに相応しい姿だった。

両親は夫婦としてお似合いであると思うと同時に、羨ましいなぁ、と将来に幾許の期待をした。


「お母さん、営業は11時までだよね?売れ残ったものはどうするの?」


「いつもは我が家で消費するのよ。けどね、今日は多分残らないわ」


なるほど。お袋の味である昨日のクリームシチューは、残りものだったのか。

たしかに思い返すと、我が家の晩御飯はクリーム系や卵料理が多い。2日に1度は食卓に並んでいる気がした。

だからといって母の作る料理の質が下がるわけでもないし、むしろここにいる動物たちのおかげで毎日美味しいご飯が食べれていたのだとちょっぴり嬉しくもあった。

感情移入が実に早い娘である。


「でも、何で今日は残らないってわかるの?」


「3日に1度、酒場の女将さんが買いにくるのよ。昨日一昨日きてないから、今日はくるわね」


噂をすればなんとやら、店の扉が開いた。


「おはようございます。ユリスさん、まだ残っている牛乳と卵あるかい?」


「牛乳9つと卵10個残ってますよ!すぐ準備しますね!」


ハキハキと受け答えをする母の横、エルフィスは笑顔で「いらっしゃいませ」と接客すると、酒場の女将さんが目線を向けた。


「あら、エルちゃんじゃない?!大きくなったね〜。王都で仕事してるんじゃなかったの?」


「はい、エルフィスです。ご無沙汰しております。昨日、こちらに帰ってきました」


酒場の女将さんの顔と声を聞いて、エルフィスは思い出した。初等・中等教育を受けに行く際の通学路で、必ず挨拶をしてくれた女性だと。


「そうかいそうかい。ユリスさんたち、いっつもあなたの心配してたから、帰ってきてくれてよかったじゃないの〜」


「女将さん、恥ずかしいので娘の前で言わないでくださいよ。はい、牛乳9、卵10で銅貨1枚と半貨9枚になります」


「ほんと、安くて助かるわ〜。いつもありがとねっ」


「こちらこそ毎度ありがとうございます」


「じゃあね、エルちゃん。頑張ってね」


「ありがとうございます。またよろしくお願いします」


話好きそうな女将さんが手を振って帰っていく。

両親がそんなに自分の心配をしてくれていたのだと知って、改めて帰ってきてよかったとエルフィスは実感した。


「エルが実家に帰ってきたこと、きっと明後日には町中に知れ渡ってるわよ」


「え?なんで?」


「あそこの女将さん、話好きだから」


苦笑いを浮かべながら、ユリスはようやく椅子に腰掛けた。


やはりそうだった。エルフィスの見立ては間違っていなかった。

小さな町の事情はすぐに広まる。どの世界もそこに変わりないらしい。


「そうなんだ。あまり余計なことは言わない方がよさそうだね」


エルフィスはクビになって帰ってきたとか、前世の記憶があるなど、酒場の女将さんの前で口を滑らせない方がいいと警戒した。

だが、母は「そうでもないわよ」と軽い口振りで切り返す。


「女将さんは気遣いができる人よ。だって毎回この時間に買いにくるんだもの」


「この時間?どういうこと?」


「他の人のことを考えて、買い占めるなんてことは決してしないのよ。うちのことも考えてくれてるからこそ、この閉店間際にきてくれるんでしょうね。大助かりだわ」


エルフィスは自分の先入観を改めようと考える。話好きとか事情通だからと、何でもかんでも話すわけではないようだ。

自分自身の動物への苦手意識も含めて、先入観や固定観念を見つめ直そう。


「ねぇ、お母さん。なんで1本残したの?」


エルフィスは10本あったはずの牛乳を、なぜ9本しか売らなかったのか気になった。


すると、母は時計をちらっと見た。

長針はまもなく真上に到達する。


「もうすぐ来るわ、最後のお客さまが。失礼のないようにね、エル」


母は手で衣服のシワを伸ばし、手櫛で髪を梳いた。背をビシッと伸ばして、少し口角を上げる。

途端、扉が開いた。

エルフィスも背筋を伸ばし、笑顔を貼り付ける。


「いらっしゃいませ。いつもありがとうございます、クレムリ様」


母は折り目正しく一礼をして、エルフィスもつられて頭を下げる。先程までとはまったく異なる接客スタイルだ。


顔を上げて入店してきた人に目を向けると、エルフィスは一瞬目を疑った。

入ってきたのは、長い黒髪を緩く結ったタキシード姿の美しい男性。女性が羨むほどの透き通った白い肌に、切れ長の三白眼。

第一印象では冷たさを感じたが、彼が目を細めて口を開くと、それはすぐに知的なものへと変わった。


「こんにちは、ユリスさん。そちらの素敵なお嬢さまは娘さんですか?」


「はい、娘のエルフィスです。今日からここで働きますが、失礼のないようにさせますので、どうぞよろしくお願いいたします」


「失礼だなんてとんでもない。わたくしはただの使用人です。いつも申し上げているよう、そんなに畏まらないでください。それにお世話になってるのはこちらですので、エルフィスさんもどうぞ楽にしてください」


クレムリと母に呼ばれた男性の言葉を受けて、エルフィスはやや肩の力を抜こうとしたができなかった。

丁寧で品のある口調に、優雅な立ち振る舞い。さらには絶世の美丈夫であられるので、どうも緊張感が抜けなかった。


「いつものお品です。半貨1枚になります」


「ありがとうございます。明日もよろしくお願いいたします」


「はい。またのお越しをお待ちしております」


どうやら常連のようで、やりとりは瞬く間に終わった。


退店したのを確認して、ふぅー、と隣で長く息を吐いた母にエルフィスは訊く。

使用人と言っていたが、母から伝わる緊張感はその言葉以上のものだった。


「さっきの方は、偉い人なの?」


「この町の領主代行のスコルティシュ家に使えるローレイ・クレムリ様よ。若くして第2夫人の専属使用人をしている有能な方らしいわ。失礼を働いたら領主代行様に申し訳ないじゃない?だからしっかり対応してよね、エル」


「わかりました。気をつけます」


偉い人の関係者だと知ったからか、なぜか突然母に敬語を使うエルフィス。

それを見て、母は小さく笑ってから、恥ずかしそうに鼻先を掻きながら、


「まあ、それよりもあの容姿だから余計に緊張しちゃうのよね」


肝が据わってると思っていた母も、自分と同じようなことで緊張していたらしい。


トルカティーナ王国は貴族制を採用している。

かつての戦争で功績を残した一族や、その後の国の発展に貢献した一族が爵位を手にしている。

公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の序列だ。

王都以外の地方は基本的に貴族が直接治めているが、ここエルフィスの故郷はスコルティシュ男爵家が王家より領主を代行している。男爵家の場合のみ領地とはならず、王家から領地の運営を代行する形となる。下級の男爵家では領地を与えられず、子爵以上が正式な領主になれるのだ。

ちなみに地名は治める貴族のファミリーネームが採用されるケースが多い。


男爵家で領主代行だからと、庶民が彼らを侮ることはない。スコルティシュ家は、領民の安全のために心血を注いでくれている。


この世界には魔力がある。それは人間だけに限ったことではなく、獣などが魔力を有することもある。要するに魔獣と呼ばれるものたちだ。


スコルティシュの町は広大な土地があるため、豊富な家畜や農作物は、町民の生活に欠くことができない。特に冬場は魔獣が食料を求めてやってくることがあるので、スコルティシュ家は24時間体制で町の安全を保ってくれている。必然、町内の治安もかなりいい。

よってスコルティシュ家は町民に大変人気があり、代々慕われている。


「うちの牛乳は貴族様にも愛好されているなんて知らなかったよ。あっ、でもクレムリ様は使用人だから貴族ではないのかな」


「それはそうなんだけど、さっきの牛乳を好んでくださってるのは第2夫人のイレナ様なのよ」


「えっ?すごいね!けどさ、貴族様ならこっちから牛乳のお届けに行った方がいいんじゃないの?」


気遣いのできるエルフィスらしい疑問だ。

しかし母は首を左右に振った。


「私もね、クレムリ様にそう伝えたの。だけど『町民の方々のおかげでスコルティシュ家は成り立っているので、お手を煩わせるわけにはいきません』って断られちゃったのよ」


「へぇ。立派な貴族様には立派な使用人さんがついているんだ。ここは本当にいい町だね」


「そうね。少しでも領主代行様に還元しないとね」


「それならわたしたちは、お牛さんに頑張って美味しい牛乳作ってもらうために、しっかりお世話しないとだね!」


「ふふっ。エル、昨日とは見違えたわね」


子供の成長を、肌で感じれるのは嬉しい。

母は満面の笑みを湛えた。


「さぁ、エル。お昼にしましょう!午後からもバリバリ働いてもらうからね」


「はーい!」


2人は元気に自宅へ戻って行った。

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