何かが終われば、何かが始まる
「へいへーい、お兄さーん。あれで本当に良かったのかい?」
エルフィスの背が見えなくなるまで見送ったジョーの後ろから、からかいの声が届いた。
相手は見ずともわかる。寮母のミカ・ジェネシーだ。
「盗み聞きしてんじゃねぇーよ」
「あらやだ、そんな乱暴な言葉遣いしちゃって。エルに聞かれたら幻滅されるわよ?」
「幻滅されるほど好感度高くねぇーし」
「可哀想に……ちゃんと現実をわかっるのね」
「うるせぇーな、ほっとけ!」
ジョーは大仰にため息をついて大袈裟に肩を落とし、ミカの方へ振り返る。
ニタニタと嫌味な笑みを貼り付け、人を馬鹿にし腐ったように、ポンと肩に手を掛けてきた。
「右ポケットの物。あたしがもらってあげよっか?」
「はぁ?ふざけんなよ。お前には到底似つかわしくないもんだから無理!」
「どうせ火の魔石の指輪でしょ?ほれほれ、お姉さんに見せてみなー」
「ぜってー嫌だね!」
相変わらず感の鋭いミカにはかなわない。なにせ、幼少期からの幼なじみ。ミカがひとつ上で、昔から姉と弟のような関係性だ。
ここの寮母の仕事だって、自分がミカに紹介したもので、口も態度も悪いが彼女は家庭的だと知っているからすすめてみた。
ジョーはふと思う。
こいつ、火の魔石の指輪ってわかってて『もらってあげようか?』と言ったんだよな。
てことは、つまり、俺と結婚したいわけ?
「ふっ、まさかね」
思わず声にでた。
「ん?」
こっちの独り言に、ミカはコテって首を傾げてみせた。子供の頃から変わっていない、純粋に疑問を問う時に見せる仕草。顔がいいだけに、そこらの男では一瞬でこの女狐に騙されてしまうことだろう。
「なんでもねーよ」
「あっそ。エル、帰っちゃったねぇ。そろそろあたしも実家に顔出さないとなぁ」
ふいにミカはあさっての方向を見ながら呟いた。
「エルフィスとは違って、俺らは実家って言ったって王都内だろ。どうしてまた急に」
「うるさいんだよ、母親が」
「おばさんが?なんて?」
「寮母なんてしてたらいつまで経っても結婚できないよ。早く孫の顔を見せて。って」
「…………」
ジョーは黙りこくる。
先程『まさか』と打ち消した思考が再び蘇った。
嘘だよな?
そこにミカが追い討ちをかける。
「見合い話があるから1回帰ってこいって」
「えっ!?お前、お見合いするの?」
ジョーはたまらず目を大きく見開いた。
ミカはもう25歳で結婚の適齢期だが、これまでまったく男っ気のない女だ。
もしかして、俺に止めてほしいのか?
「んー、だから迷ってるのよ」
本当に悩んでいるようで、ミカは俯いた。
知らなかった。幼なじみで姉のように慕ってきてあのミカが、色恋というか、将来の悩みを抱えていたなんて。
すると、ミカがおもむろに手を伸ばした。
ジョーのジャケットの端をキュッと掴む。
その指の先には、右ポケットーーミカの人差し指が、コツンと、ベルベットのリングケースを小突いた。
やっぱり。やっぱり、そうだ。
ミカは俺のことが……。
でも自分はエルフィスが好きだ。
けれど、もうその感情は、さっき捨てた。
だからって、すぐにミカを好きになれるかなんてわからないし、不純な気もする。
幼なじみで、実の姉のようで、好きか嫌いの2択なら、もちろん好きだ。
ーー結婚はタイミング。
そんな言葉を誰かから聞いたことがある。
そのタイミングが、今だとしたらーー。
「ミカ、あのさ」
「ん?」
ゆっくりと顔を上げ、小首を傾げるミカ。
ジョーは、その仕草を初めて可愛いと思った。
頬が紅潮していくのが、自分でもわかった。
男は実に単純だ。
右ポケットをまさぐって、逆手でミカの手を握る。
「……これ、お前にやる」
ミカの手のひらに、リングケースをそっと置いた。
「…………」
沈黙。静寂。
リングケースとジョーの顔を、何度も交互に見やるミカ。
そして、
「いらないっ」
ポイッとミカはリングケースを宙に放り投げた。
「おいおいおい!」
あわあわしながらジョーはなんとか地面に落下する前に、リングケースをキャッチした。
「お前な!最初欲しいって言ってたろ?それにさっき、また欲しそうにしたじゃん!」
「ばーか、騙されてやんのー。傷心してるところをつけ込まれないようにする予行練習だよ。プハハッ」
「このクソ女ぁ!女狐!」
「エルにそうすればいけたんじゃない?傷心してたし」
突然、ミカは遠い目をした。
エルフィスを思ってか。それとも……。
「……できなかったんだよ。エルフィスには、笑っててほしかったから」
「そう。なら、さっきの対応はエルにとって100点満点だね」
「……だよな」
「ジョー、あんたはいい男だよ。だからーー」
1度言葉を区切って、ミカはジョーに背を向ける。そのままトコトコと歩きだし、寮の玄関口でようやく振り返った。
「出直しておいで!」
ピシャッと扉が閉められ、ミカは寮へと消えていった。
幼なじみなのに、本音がまるでわからん。
出直せとは、改めてプロポーズしろということか?
ジョーは呆れてだらっと肩の力を抜く。
心の傷をさらに抉られ、もはや最初の傷がどれかわからなくなるなったが、なぜか不思議ともう痛みはなかった。
「荒療治にもほどがあんだろ、バカ女」
ぽつりと呟き、頭をガシガシと掻きむしりながら工房へ向かった。




