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暗い夜が明けて

「ふぅ、やっと終わった」


ベッドに寝転び、大きく伸びをしながら発したエルフィスの声が、ひとり部屋に寂しく響いた。


あれから寮母ミカ・ジェネシーの手伝いをいつものようにして、お風呂に入り、ようやく荷造りを終えたのが今だ。

時間はすでに深夜になっていて、朝には出ていかなけれはならないため、まとめた大きなふたつの鞄は扉近くに並べて置いてある。

1年近く過ごした部屋を見回し、もともと衣類以外に大した荷物はなかったが、まるっきり生活感を失った空間に虚無を感じた。


わたしはいったい、何ならできるのだろうか。


どうすれば役に立てて、必要とされるのか。


前世でも、唐突に何度も職を失った。

会社の倒産から、社長の夜逃げ。事業縮小のため自主退職を促されたり、願われた。

バイトの時はもっとひどかった。シフトに入れる回数が日に日に減り、気づけば0になって、店長に確認を取っただけで『気に食わなければ辞めれば?』と、陰湿な解雇の仕方もあった。


今世ではその経験を活かして、必要とされるため積極的に周りの手伝いをした。多くの人との関わりで知った気の使い方や、同僚や先輩が何を欲しているのか常に考えた。


自分の中では、よく頑張ったと思う。

ちゃんと出来ていたと思う。

なのに、どうして身にならないのか。

もう仕事で悩みたくなかったのに。

この思いは、別の世界でも報われることは、やはりないのだろう。


自分はいらない。


代わりはいくらでもいる。


特別になりたいわけでもないけれど、ここにいていいと思えるくらいにはなりたかった。

どうして、たったそれだけのことができないのか。


自分に合う仕事なんて、どこの世界にもないんだ……。


ぐるぐると蘇る前世の遠い記憶と、鮮明に覚えている今世の苦い思い出が、綯い交ぜになって濁流のようにエルフィスの脳内を駆け巡った。


「家の仕事もダメだったら、どうしよう……」


こんなに落ち込んで、将来が不安になったのは初めてだった。


明るい未来が想像できなくて、エルフィスは毛布を頭から被り、現実から目をそむけるようにして、長い時間をかけて、どうにかこうにか眠りについた。





早朝から寮の玄関先をうろうろとジョー・ジェラルディは歩き回っていた。すでにもう2時間近くは経過している。

エルフィスが翌朝には寮を出立するとバラバから聞いたので、早くから待機していた。昨晩にでもエルフィスのもとを訪れ、時間を確認しておけば良かったのだが、ジョーには仕事終わりにどうしても行きたい場所があった。その用事とはエルフィスへ渡す贈り物を買いに行くことだった。


ジョーはそわそわしながら、最近になって新調したジャケットの両ポケットを何度も確認する。


右のポケットには、黒色のベルベットのリングケース。中には光沢のある火の魔石を使用した指輪が入っている。

この国で火の魔石付きの指輪を送るというのは、求婚を意味する。

真っ赤に燃える炎のような愛情を内に秘めていることを示すのだ。


対して左のポケットには、小さな袋とリボンで梱包したネックレス。トップに水の魔石があしらわれていて、これは友情をあらわす。

水に流されることのない固い絆。

遠く離れようとも切れない友情を伝える庶民の習わしだ。


昨日、バラバに焚き付けられたからではないが、告白半分見送り半分の、なんとも情けない心持ちでジョーはエルフィスが出てくるのを待っていた。


日が少し高くなってきた頃、ようやく寮の玄関が開いた。


「エル。気をつけるのよ。あたしもここで頑張るから、王都にきたら顔出してね」


玄関先から、寮母ミカの声がした。

エルフィスのお見送りだろう。

ジョーは慌てて塀に身を隠し、息を潜めた。


「短い間でしたが、ありがとうございました。大変お世話になりました」


いつもの明るいエルフィスの声を耳にして、ジョーは少しだけ安堵する。

なにせ、唐突な解雇で退寮なのだ。

エルフィスが落ち込んでいるのではないかと心配していたので、贈り物をふたつ用意した。弱っているエルフィスに漬け込むような真似はしたくない。最後になるかもしれないので、元気そうであるならば、勢いで告白してしまってもいいだろう。そう考えていた。


トントンッと、小さな足音が近づいてきて、横を通り過ぎて行った時、ジョーはエルフィスの背中に声を投げかけた。


「おはよう。エルフィス」


いつも職場で見るエルフィスは髪をひとつに結んでいるが、今日は下ろしていた。毛先がややはねた感じは変わらないので、見慣れてはいないがホッとした。


くるりと体を翻したエルフィス。

こちらの存在に気づくと、いつものパッと花が咲くような快活な笑みを見せた。


「おはようございます、ジョーさん。あれ?お仕事の時間ではないのですか?」


「半休をもらったんだ。エルフィスの見送りをしたかったからさ」


「嬉しいです。わざわざありがとうございます」


ジョーは彼女の顔を見て、自分の軽率さを悔いた。エルフィスの目の下には、くまが薄ら浮かんでいた。常日頃から薄化粧の彼女だが、昨日までそんなくまなどなかった。


きっと眠れなかったのだろう……。

泣いていたのかもしれない……。


前向きで、言葉遣いが丁寧で、清く明るいのが常のエルフィスでも、突然の解雇はさすがに応えた。夜な夜な悩みながら荷造りをしたに違いない。

ジョーは自分の迂闊さに、右ポケットをジャケットの上から強く握りつぶした。


「実家に帰るんだって?バラバ工房長に聞いたよ」


「すみません、ちゃんと挨拶もせずに……」


「仕方ないよ、急だったわけだし。エルフィスが謝ることじゃない」


「そんなことありません。わたしが何の役にも立てなかったのが悪いーー」


「それは違うよ、エルフィス」


堪らずジョーはエルフィスの言葉を遮った。

それ以上は辛くなりそうで聞きたくなかった。


「僕ら班員はずっと君に助けられてきたし、ずっと君を頼ってきてしまった。もっとエルフィスが自分自身に時間を割けれれば、こんなことにはならなかったと思う。すまない、僕がしっかり管理できていれば……」


「……ジョーさん」


左のポケットをまさぐり、ジョーは手のひらに載せた小袋をエルフィスに差し出した。


「これは班のみんなからだ。僕らはエルフィスを大切な仲間だと思ってる。これからの活躍をみなが祈ってるよ」


「えっと……もらっていいんですか?」


「もちろん。もらってくれないと、僕がみんなから怒られちゃうからね」


今のエルフィスには、みんなからだと言うのがいいと、ジョーは咄嗟に判断した。

彼女の『何の役にも立てずに』というような自分を卑下する癖を、ジョーはすっかり失念していた。

下心を込めた物など、エルフィスは絶対に受け取らない。自分にはもったいないと、頑なに断る未来が容易に想像できた。


「開けても、いいですか?」


おずおずと尋ねてくるエルフィスに、ジョーはできるだけの笑顔で頷いた。


「わぁー!とっても可愛いです!今つけてもいいですか?」


「……もちろん」


一瞬、つけてあげる。と言いそうになった。

もう下心は封印したはずなのに、それをすぐさま解いてしまいそうになったのは、今目の前にいるエルフィスの表情のせいだ。

嬉しい時に本当に嬉しそうに笑う太陽のような笑顔に、ジョーは惚れたのだ。


差し入れでお菓子を渡せば、もらった瞬間にあけて、『おいしー』とびっきり美味しそうに頬を緩めて食べる。

夏場に冷たいジュースをあげれば『つめたーい』と額にあてながら、だらりとした顔になる。

礼儀正しいのに時折垣間見える天真爛漫なところが、ジョーは大好きだった。


エルフィスの首元でネックレスが揺れた。

トップの水の魔石は一滴の雫のように象られていて、光に照らされて水色にキラキラと反射する。


「ジョーさん、ありがとうございます!みなさんにも感謝をお伝えください」


「喜んでくれてよかった。とてもよく似合ってるよ」


「ふふっ。本当に……嬉しいです」


「……エ、エルフィス……どうした?」


突然、エルフィスの頬を涙が伝った。

ジョーは慌ててハンカチを取り出し、エルフィスに渡した。もしかしたら自分が泣いてしまうかも、と思って用意しておいたものが役立った。


「あっ!すみません!つい、嬉しくて」


「いや、いいんだ……大丈夫かい?」


「わたし、職場の人からこういう形で何かをもらうのが初めてだったので、とっても嬉しいんです」


エルフィスのいう『こういう形』とは、きっとクビになった後に、ということだろう。

そう悟ったジョーは腹を括った。下心は完全に捨てた。


「エルフィスはずっと僕らの大切な仲間だ。君がいてくれると心強かった。何より楽しかった。今日まで本当にありがとう」


「……こちらこそありがとうございました」


嬉しそうに、どこか満足気に笑うエルフィス。

その頬を伝う嬉し涙は、首元で煌めくネックレスよりも綺麗だと、ジョーは心から思った。

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