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天職

実家に帰って早1ヶ月。

まだ日が昇らない早朝4時からエサやりをして、厩舎の掃除の次は乳搾り。牛乳と採取した卵を洗浄殺菌して、直売所で接客をする。

仕事にはもうかなり慣れたので午前中を滞りなく終えると、家族で昼食をとる。

たわいのない話で笑い合い、母の作った美味しいクリームパスタを食べて、身も心も温まる。


ああ、充実しているな。


とエルフィスは自分の境遇を振り返る。


スミヨフ工房をクビになって不安で泣いたあの夜から、今はまったく想像もできない未来で、十分すぎる現状だとわかっている。

優しくてたまにカッコイイ父に、いつでも味方でいてくれる母。それに、とても頼れる兄もいる。

突然なんの前触れもなく帰ってきたわたしを受け入れてくれた家族には、本当に助けられているし感謝している。

けれど、わたしはここでしか受け入れてもらえない存在なのかとも思った。

仕事に慣れて、余裕が生まれてきた時に、そんなことを考えた。

そして、彼に出会った。

初めはすごく上から目線で、匂いについてあれこれ聞いてきた彼の第一印象は最悪だった。

次会った時は、人が変わったかのように穏やかで話をしていて嫌ではなかった。むしろ、同級生なのに大人びていて安心した。

頭が良くて行動力がある。見入ってしまうほどの瞳は、いつ見ても神秘的で美しい。彼の持つリーダーシップにはカリスマ性すら感じている。

そんな人が、わたしを認めてくれた。


『エルフィス・フェーブルは決して無能ではない』


絶対に忘れない。

前世から今世で何度も挫折を味わったわたしを救ってくれた言葉。

ノクスレイン・スコルティシュを信じてみよう。

いや、信じてみたいと思った。

わたしは今度こそ、誰かの役に立つんだ。


午後の仕事も無事に終える頃には、夕日が山に重なり始めた。

そろそろ、ノクスがくるかな。

新たな従業員をわざわざ王都に迎えに行き、ここまで連れてきてくれる。彼が送迎するだなんて、よっぽど高貴な人なのかな?

そう考えた途端、ぶるると背筋が冷えた。

えっ?

そんな方と、わたし、うまくやっていけるの?

変な汗が毛穴から吹き出てきて、またしても解雇という単語が脳裏をよぎる。

いやいや、ここはわたしの家だし、わたしが代表ってことなんだから、クビになることはない。

だが、無能な代表と思われる可能性はある。


えぇー、どうしよう……。

と沈鬱していると、牧場の入口にスコルティシュ家の馬車が止まった。

緊張と不安からごくり、と喉を鳴らすエルフィス。

出迎えるため、とことこと馬車の方へ歩み寄る。

中からローレイがまず降りてきた。

彼のエスコートを受けて、ノクスが続く。

人の顔がはっきりと視認できる距離までエルフィスがやってくると、まず男の人が降りてきた。

さらに女の人も。


「え?ええええええぇぇぇぇぇぇぇ!?」


エルフィスの驚きの声が轟いた。


「エルーー!久しぶりー!」


笑顔でこちらに駆け寄ってくる女性。前の職場の寮母をしていたミカ・ジェネシーが、目の前にいた。

ガバッと彼女に抱きしめられたエルフィスは混乱した。


「えっ?なんでミカさんが?それに、ジョーさんまで」


もう1人の男性は班長だったジョー・ジェラルディで、片手を上げてエルフィスに挨拶する。


「またよろしくな、エルフィス」


「また……えっ?今日くる新しい従業員って、お2人のことなんですか?」


エルフィスの疑問にノクスが誇らしげに答える。


「まあな。今日は顔見せだけだが、明日からいろいろ教えてやってくれ」


「……は、はい」


まだ混乱しているエルフィスに、体を離してミカが言う。


「エル、体分厚くなった?前より逞しくなってるわね」


「や、やめてくださいよ!太ったみたいじゃないですか!」


顔を赤くして体を抱くようにして後ずさり。


「ちょっと大人びた?あれ?まさか本当に大人になっちゃった?」


ミカはエルフィスとノクスを交互にニヤニヤしながら視線を送る。

言葉の意味がわからなかったエルフィスは、首を傾げる。


「わたし、とっくに成人してますけど……」


ノクスを見ると、彼も首を捻った。

だがローレイとジョーは理解できたのか、苦笑いを浮かべている。

ジョーが話題を逸らすように割って入る。


「明日からまたよろしくな、エルフィス代表」


「……だ、代表、ですか」


不安にまた襲われる。

ジョーが前職場でテキパキと指示する姿はとても凛々しかったし、仕事のできる男性のイメージが強い。

ミカもバリバリ家事をこなすし、男性にも物怖じしない姿勢はかなり頼りになる。

そんな先輩方に、わたしが指導したり、引っ張っていくなんて……無理だ。烏滸がましいのでは、と感じるほどに。


エルフィスの様子を見て、ノクスが口を開いた。短い付き合いではあるが、ノクスはエルフィスの考えていることが表情からわかる。素直な彼女は、とてもわかりやすい。


「ここにいる2人は、またおまえと働きたいと自らの意思で退職してきた。王都での便利な暮らしや、慣れ親しんだ人間関係を捨ててまでここにきた。それはつまり、おまえにそれだけの価値があるということだ」


「そうよ、エル」


ミカがエルフィスの肩を掴む。


「あたしはあんたとまた働きたいの。エルがトップの会社なんて、絶対いい会社に決まってるわ」


ジョーも続いた。


「人生って、仕事ばっかりでキツいじゃん。だけどそんな中でも、エルフィスと働いてる時間は楽しかったんだよ。どうせ働き続けるなら、楽しい方がいいしね」


「…………」


嬉しい。

嬉しすぎて、声がでなかった。


沈黙したエルフィスを励ますように、ミカが明るい声を発する。


「あたしたちだけじゃないのよ、エル。王都の会社ではバラバさんとヴェライズさんもいるんだから。あー、あとフィッツもいたわね」


フィッツとはバラバを慕って共に辞めた部下で、エルフィスの元同僚の男子だ。


「……えっと……そんなに人が辞めて、工房は大丈夫なのですか?」


エルフィスのその心配に、みな溜息をついた。


喜んでいたはずが、そんなに多くの工房の人が辞めて、そっちが大丈夫なのかという心配と申し訳なさのようなものを抱く。

エルフィスらしいと言えば聞こえはいいが、すぐに他人の心配ばかりしすぎるのも玉に瑕だ。


「まったく……エルってやつは」


ミカが肩を竦めた。


「あんたを解雇した会社の心配なんかしてどーすんのよ!ざまーみろ!くらいのこと思えないの?」


「……いちおう、1年近くお世話になったので……」


「ホントバカ!でもまあ、それがエルか」


ミカが苦笑すると、続いてジョーが言った。


「大丈夫だよ。ノクスレイン様がみなの前で素晴らしい演説をしてくれたんだ。これからの会社と残された従業員を思って、いろいろ取り計らってくれた。だから安心していいよ」


「えっ!?ノクスが?」


「いやー、本当に格好良かった。あっ!そうか!」


ジョーは何かを閃いたようだった。


「そうかそうか!ノクスレイン様はエルフィスが心配するのをわかっーーがは!」


ノクスが素早い動きでジョーに近づき、口元を塞いだ。


「あまり余計なことを喋るな」


コクコクと頷くジョーの目が、かなり怯えている。

ノクスはエルフィスへ鋭い視線を向ける。


「おまえも余計なことは考えるな。ここにはおまえを信頼してついていきたいと思う者しかいない。自分を信じて周りを信じて前を向け。エルフィスにはそれが似合う」


あぁ、この人は本当に、もう……。

ノクスの言葉で胸がじんわりと温まり、自然と頬が緩む。


ーー自分を信じる。

今までの自分なら、絶対にできなかっただろう。

けれど、彼に出会ってからの今のわたしなら、それができる気がした。


ーー周りを信じる。

彼が王都から呼んでくれた人たちは心から信頼できる。

ミカは、実のお姉さんのようで何でも話せたし、ちゃんと笑わず悩みを聞いてくれた。

ジョーは、苦いだけだった別れを、最高のものに変えてくれた。

バラバは、最後まで自分の身を案じ、父親のように心配してくれた。

ヴェライズは、自分の秘密を晒してまで、前を向かせてくれた。

そんな素晴らしい人たちとの縁を、ノクスがまた繋いでくれた。


恵まれている。

こんなに恵まれて、いいのだろうか?


「ちょっと!リリィ!どこ行くの?!」


厩舎の方から慌てたような兄マークリフの声が、突如として聞こえた。


エルフィスが振り返ると、リリィが厩舎の前にいた。茶色の馬体は夕陽に照らされキラキラ輝き、黄金のごとく美しくて眩しい。

放牧から自分の馬房に帰るところだったのだろうが、どうやらリリィが言うことを聞かなかったらしい。パカパカとマークリフを引っ張っりながら歩き回る。

馬力というのは相当なもので、人では到底かなわない。

大人しいリリィが珍しい。何かあったのか。

心配になったエルフィスが、リリィの方へ駆けた。


「リリィ!どうしたの?」


すると、エルフィスの声に反応したリリィが、ピクピクと耳を動かしてからこちらを見る。


そして、勢いよくーー走り出した。


マークリフは盛大に転んだが、かまわずリリィはエルフィスの元へ向かう。

近くにくると、エルフィスの周りをぐるりと1周走ってから顔を寄せる。


「リリィ!走れたんだね!良かった!良かったね!」


大好きだった走ることに恐怖を覚え、塞ぎ込んでいたリリィが、走った。

それはまるで、エルフィスのおかげだと言わんばかりに彼女は甘える。

顔を近づけ、グイグイとエルフィスに褒めてほしい、あるいは感謝を告げるように擦り寄った。


ノクスたちもこちらにやってきて、エルフィスと馬の様子をみて聞いた。


「どうした?なんかあったのか?」


エルフィスが興奮気味に元気に答える。


「この子ね、怪我してから走るのが怖かったの!でもね、今ね、自分から走ったの!凄いよね!偉いよね!」


「エルフィス。それがおまえの力だ」


ノクスの一言で、エルフィスは目を見開く。


「えっ?」


「世話をした牛の乳が人の病を治し、流行り病にかかったニワトリを癒す。怪我して走ることに怯えていた馬に勇気を与える。それらは魔力によるものだが、ここにいる2人はおまえの人柄に惚れた。つまり、すべてエルフィスの力だ」


視線を巡らせると、みな笑顔で頷いた。


そっか……。

恵まれているのは事実だが、それだけじゃない。

わたしの力でもあるんだ……。


「みなさん、ありがとうございます!これからも、どうぞよろしくお願いします!」


エルフィスの頬を、ノクスが世界一綺麗な色だと思った無色透明な涙が伝った。

その嬉し涙は、ノクスの中の世界一をまた更新する。


「自信をもて、エルフィス」


「はい!!!」


何度も何度も躓いて、打ちのめされそうになったけど、諦めないでよかった。

大好きな動物のお世話ができて、大切に想ってくれる仲間と出会えた。

前世から幾度も繰り返してきた転職は、もうすることはないだろう。

そう自信をもって胸を張れる。


だって、きっと、これがわたしの天職だから。

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