一矢報いる
スミヨフ工房の社長室には、久しぶりにゴートラット・スミヨフの姿があった。
貴族街の出店に向けて大忙しだが、本日は月末。ヴェライズとバラバに課していた王貨10枚の捻出を確認しにやってきた。
ろくに目も通さずに溜まっていた書類に判を押していく。
機械的に作業をしてくいと、定時のチャイムが鳴った。
さぁて、奴らがどのような対応をとるか。
無茶な要求であるのは重々承知の上で、いささか楽しみにしていると、扉がノックされた。
失礼します。とヴェライズを先頭にバラバも入室してくる。
彼らの表情は、思いのほか晴れやかだ。
どこか付き物が落ちたみたいに清々しく、目はきりりとしていた。
ほぉ、ふっきれたか。
ヴェライズが封筒から書類を抜き出して、机の上をすぅっと滑らせて提出する。
「こちらが本日締切でした解雇者リストです」
解雇者リスト?
自分は減給でもかまわないと言った。
だが、彼らは解雇者を出すことで資金を捻出したのか。
やはり自分の身は大事。
薄情な奴らだ。
そう思ってから、ゴートラットは無言でリストに目を向ける。
「…………は?」
間の抜けた声が、室内に響いた。
驚きから素早く顔を上げ、目の前の2人に視線を向ける。
彼らは恐れるでも憂うでもなく、堂々とこちらを見据えていた。
ヴェライズはすぐさま2枚目の書類を取り出して、
「こちらは退職者による欠員を補った新たな役職名簿です。解雇に伴い発生した資金は王貨14枚。新たに役職を得た者の給料アップ。寮母が抜けることで朝晩の食事がなくなりますので、寮住まいの従業員には食事補助として手当を支給しております。しめて王貨3枚ですので、差し引いて11枚の削減に成功しました」
淡々とヴェライズは述べた。
確かに予定の王貨10枚を越して資金は捻出されている。
だが、想像とはまるで違う。
ゴートラットは頭を搔く。
落ち着け、と自分に言い聞かせ現状を確認する。
解雇者リストには10名の名前がある。そこには財務のトップと現場のトップの名があり、あまつさえ次期工房のトップ候補まで退職だなんて有り得ない。
さらに寮母ときた。
これでは他の従業員から反感を買うし、現場が円滑に回って行くとも思えない。
ふつふつと怒りが込み上げた。
「何を考えている。これで会社が機能していくわけがないだろ!」
つい、語気が強くなった。
しかし、臆することなくヴェライズは冷静に返した。
「財務部は滞りなく引き継ぎを終えています。ここ1週間に限ってみれば、彼らだけで運営しておりましたので問題ございません」
バラバが続く。
「現場も同じです。今回の解雇者に異論があった者はすでにそのリストに名を連ねてるので、残る者はしっかりと働くでしょう」
「ふざけるな!散々世話になった会社に対してそんな愚行が許されると思ってるのか!」
ゴートラットは捲し立てるように言った。
しーんと静まり返ってから、バラバが大袈裟に肩を落とす。
「俺らが世話になったのは……先代ですよ」
返す言葉がなかった。
口では何も言えなかったので、ゴートラットはリストをぐしゃぐしゃっと丸めて放り投げた。
すると、ヴェライズがまた新たな紙を封筒から抜き出す。
「それは予備ですので、いくらでも替えがあります。私たちも同様です。いくらでも替えが効くのですよ。これまでの解雇もすべて私の方で確定処理までしておりましたので、今回もよろしいですね?」
ダメだ。と言おうとして、やめた。
これ以上は、奴らにすがっているように映ると思った。
ゴートラットにとって先代である父は越えなければいけない壁だった。
職場では誰にでも優しく常に笑っているような父。
自分には決して真似できない、と本能的に感じた。
人としてかなわない、といつしか諦めた。
だから会社を継いでくれと頼まれた時は断ろうとしたのだが、業績を上げれば越えたことになるのではとも思った。
会社の規模が大きくなり、まだまだ成長の余地がある。
従業員もかなり増え、古株たちはそれなりに信頼できる。
磐石になりつつあるからこそ、彼らに発破をかけて、父の功績が薄れるほどもっと高く……。
だが、父の残像に足元をすくわれた。
奴らがついてきていたのは、会社ではない。
父に、だけだった。
「……もういい。貴様らは今日でクビだ」
最後は意地で、ゴートラットから通達した。
「長い間、お世話になりました」
とヴェライズは恭しく一礼をした。
「ありがとうございました」
バラバも続いた。
ぼうっと天を仰ぐゴートラットを尻目に、2人は部屋から退室していった。
これから会社はどうなるのか。
考えても今はわからない。
そして、ふと思った。
奴らはこれからどうするのか。
おおいに後悔すればいい。
そう言えば、なぜ奴らはあれほど穏やかだったのか。
もしや……次の仕事が決まっている?
バラバは40代だからまだまだ働ける。しかしまだ小さい子供がいた。
ヴェライズはもうすぐ60を迎える頃。
そうだ。自分は彼らが今から再就職をするには年齢的にも、金銭的にも厳しくなると思って強気にでたのだ。
これは、何か裏がある。
ゴートラットは独語のように呟いた。
「奴らの次の仕事を調べろ」
室内の壁に馴染むようにしてずっと佇んでいた女性秘書が、「かしこまりました」と頷いた。
◇
廊下に出たヴェライズとバラバは歩きながら話をする。
「無事辞められましたね」
とバラバが安堵のため息をついた。
「えぇ。先代には、少し申し訳ありませんがね」
「まぁ、そうですが、若いのを何十人と辞めさせるよりは気分がましですよ」
「ごもっともで」
2人は苦笑した。
「明日から楽しみっすね」
「えぇ。還暦間近で新人になるなんて思ってもみませんでしたよ」
「そうっすね」
明日からの仕事が楽しみだなんて、いったいいつぶりだろう。
大型新人たちは揃って微笑んだ。