始動
ビジネスパートナーとなった2人は翌日から、フェーブル牧場内をうろうろとしている。
エルフィスはいつも通り仕事をこなしているのだが、ノクスは敷地内を歩き回り、何やらメモをとっている。大股で歩き長さを計っていたり、真剣な顔付きで思案したり、時々エルフィスと話し込んだり。
ボルドフとユリスは初めこそ、貴族様が敷地内にいることにそわそわしていたが、見慣れてくるとなんとも微笑ましい。娘との仲も良好そうで、互いに自然体に見えたので安堵した。
エルフィス。とノクスが呼ぶ。
その時、彼女は牛の乳搾りをしていたので、声だけで反応する。
「なんですか?」
「質のいい牛乳からどのような効果が期待できるかわかるか?おまえ、詳しいだろ?」
「詳しい……ってほどでもないのですが……」
おそらくノクスは、自分が骨粗鬆症とか骨密度、などの発言をしたからそう勘違いしている。
自分はただただ前世の記憶を思い返しただけで、専門的に学んだわけでもない。だが、期待されてしまってる以上、真剣に考えてみた。
前世で、牛乳を飲むとどんなことが期待できたか。
真っ先に思いつくのは、背が伸びるだ。
しかし、これは信憑性に欠けると思う。
前世の学校給食ではアレルギーがなければ、みな牛乳を飲むことになっていたが、全員が背が高いわけではない。それに背の高い同級生でも、牛乳が嫌いな人はいた。
牛乳にはカルシウムが多いので、やはり骨関係だろうが……前回その話はした。
あとは……。
あっ!と思い出し、エルフィスは独語のように言った。
「牛乳飲むと二日酔いになりにくいって聞いたことあるけど……えぇっと、あれ?チーズだったかな?」
「なに!!牛乳は二日酔いいいのか?!」
口から漏れた単語に、ノクスは大声で反応した。
エルフィスが乳を搾っていた牛が、驚いたらしく少し慌ただしく動いた。
「ちょっとノクス!牛さんが驚くから静かにしてください」
「……すまん。それで、本当なのか?」
「おぼろげですが、たしかチーズだったと思います」
「なるほど、ここの牛乳でチーズを作ればいいんだな。他には?」
食い気味でノクスはまた聞いてくる。
いつもより目の輝きが違う。楽しそうだ。これから始める仕事にわくわくしているのだろう。
誰かが楽しそうにしているのを見るのは、エルフィスにとっても楽しい。
なので、また考える。
そう言えば、前世の自分が悩んでいたことが、乳製品を摂取することで解決した事案があった。
「あとは……便秘の解消とかですかね?」
「ほんとうか!?」
「しっ!ノクス静かに!」
2人して大声になった。
暴れ出さないように、エルフィスは優しく落ち着かれるように牛を撫でる。
それを見て、ノクスは申し訳なさそうに小さな声を上げた。
「牛乳は凄いのだな。料理に使い味を変えるものとばかり思っていた。二日酔いは男に、便秘は女に、強い体作りは子供に需要がありそうだな」
たしかに。とエルフィスは頷いた。
この世界の人はあまり医学的な知識がないので、おおまかに『牛乳はいい』と言うよりも、具体的な効果を謳って販売した方が受け入れられやすい。
ノクスの母イレナのように病を治したり、健康の手助けをする。
そんなこと、本当に自分にできるのか。
懐疑的ではあったが、目の前でノクスが満足気に話しているのを見て、エルフィスに少し自信が湧く。
こんな仕事で前向きになれる日がくるなんて……。
エルフィスがじんわりと嬉しさを噛み締めていると、ノクスが言った。
「明日から俺は王都へ行ってくる。ここにエルフィスがやるべき事は記した。3日ほど顔を出せないからよろしく頼む」
「えっ?どうして王都に行くんですか?」
なんで?せっかくこれから楽しくなりそうだと思った矢先の留守。
不安になったので、エルフィスは理由を尋ねた。
「どうしてって、会社の拠点は王都になるのだから当然だろう」
「え……そんなの聞かされてませんよ」
「あぁ、そうか。話してなかったか」
あっさりと言ったノクス。
対してエルフィスは焦りを滲ませた。
楽しくなりそうだったはずなのに……彼は王都で、わたしはここ。
なんだが単身赴任に行ってしまう旦那を見送る妻のような面持ちだが、エルフィスにその自覚はない。
単純に認めてもらえたのに別々に働くのは、少し寂しい……。
その想いを察したわけではないが、ノクスは穏やかな表情で彼女に説明する。
「何か勘違いしているようだからしっかり説明するが、王都は販売の拠点になり、そこには従業員を雇う。信用できそうな人材がいるからな。それにエルフィスだって、家族を休ませてやりたいのだろう?ここの従業員も確保せねばならぬのだから、これを機に同時に済ませてくるさ」
なるほど。とエルフィスは納得するが、従業員を雇うというのは大変だ。何度もクビになってきたエルフィスなので、雇われ側の身ではあっても、その大変さや賃金の重みを知っている。
「あのう……まだ牛乳が売れているわけではないじゃないですか?当面の運転資金は……」
「この前も言ったが、俺には出資者の側面もある。心配するな。起業しようと考えていたのだから、資本金の用意はすでにある」
「……でも、それではノクスにばかり負担が……」
彼を気遣ったのだが、ノクスは鼻で笑った。
「そう思うのなら、しっかり働いてくれ」
「……わかりました」
渋々頷いてみたが、やはり気になってしまう。ノクスへの負担が大きすぎる。身銭を削ってまでやろうと言う熱意はすごいけれど、どうにか最低限で済む方法はないものか。
考えて、領主代行様の言葉を思い出した。
「ねぇ、ノクス。スコルティシュ家の使用人さんたち、お借りできるんですよね?軌道に乗るまでお借りした方がいいのでは?」
甘えるような形になるが、その方が良いと判断しエルフィスは提案してみる。
だが、ノクスは首を横に振った。
「初めは俺もそう考えていたが、エルフィスはそれでいいのか?誰だか良くわからない者と働いて、自分の力を存分に発揮できると思うか?おまえが気遣いばかりしてしまって、想い入れが分散してしまっては効率が悪い」
「……たしかに、そうかもしれませんが……どの道誰かを雇うようになったら同じことではありませんか?」
自分が気遣うことに彼が気を遣ってくれているのは有難いことだけれど、新しい職場に就く時や、新人が入ってくる時は必ず通る道だ。
その影響で回復魔法が弱まることをノクスは懸念しているのだろうが……。
そうならないための方法なんてあるの?
「同じにならないよう策がある。まあ、気にせずエルフィスはここでの仕事を全うしてくれ」
「……は、はい」
頭のいい人の考えはわからない。
疑問符を浮かべたままのエルフィスに、ノクスは1枚の紙を手渡す。
「ここに書いたことを次来るまでに完了しといてくれ。3日以内だ、頼んだぞ」
そう言ってノクスは帰って行った。
残されたエルフィスは手渡された紙に視線を落とす。
内容は前回話していた動物の区分けだ。
1、エルフィスの判断で、接触の多い子、少ない子の選別をしておくこと。
おそらくノクスは、各々の性格を知っている自分に任せるということなのだろう。
2、放牧地を小分けにすることで今までより移動範囲が狭まり、動物のストレスになるようなら必要に応じて隣の森を伐採し、敷地を拡大する。
「えっ!?」
エルフィスは驚き、厩舎から表に駆けでる。
フェーブル牧場は動物を扱うので広大な敷地を与えられている分、町の端に位置している。なので、周りを見渡せば森や雑木林が広がっている。
「うそでしょ?どっからどこまで伐採すればいいの?」
貴族の考えはわからない。
とんでもない大掛かりなことが始まるのでは……。
純粋に楽しみにしていた少し前の自分を羨む。だが、これから大変なことになるぞ。と教えてあげたくなった。
「ってか、3日以内に森なんか伐採できるかー!」
エルフィスの大きな嘆きに、牛がモーモーと驚き反応を示すと、彼女は『ごめんごめん』と甲斐甲斐しく世話を再開した。




