信じてみよう
領主代行のアレクスとの面会を済ませたエルフィスは、私服に着替え終わったので帰るものだと思っていたら、ノクスの部屋に招かれた。
ローレイの案内で室内に入ると、中は薄暗かった。
「どうぞ、ごゆっくり」
そう言い残して、ローレイがバタンと扉を閉める。
薄闇のなか、深い静寂に襲われる。
思わずエルフィスは息を呑む。
直感的に己の身を案じた。
まだ夕暮れには早い。なのにこの部屋は、どうしてこれほど暗いのか。
大きな窓に目をやると、黒のカーテンから微かに陽が漏れているが頼りない。
テーブルや本棚にいたっても黒で統一されていて、色味があるのはベッドと床が白いくらいで、モノトーンと言い表すにしても黒が多すぎる。
不気味な部屋だ。
「きたか、エルフィス。こっちだ」
肩がビクッと上がる。
錆びついたブリキのような緩慢な首の動きで声の方に視線を向けると、壁際に並べた書斎らしき机の前にノクスが座っていた。こちらを背にしていたので、闇に紛れていて全然気がつかなかった。
エルフィスは自分の体を両手で抱くようにして、ノクスに問う。
「あのう……なんでこんなに暗いのですか……」
あぁ。と言ってから、ノクスは窓際に行ってカーテンを開けた。
一気に部屋を照らした陽光が眩しく、エルフィスは顔を顰める。
そのエルフィスの所作を見てノクスは焦ったのか、早口で弁明した。
おそらくエルフィスに身の危険を感じさせてしまったと理解したらしい。
「俺の目には明るいと鮮やかに映りすぎるから眩しいのだ。黒を貴重にして暗くするのが1番落ち着く……驚かせてすまない」
「いいえ!こちらこそ変な勘違いしてすみません」
エルフィスは深く反省する。
ノクスの特別な瞳は、自分と世界の見え方がまったく異なる。
自分のことしか考えていなかった。
「今灯りをつけるからこっちに座ってくれ」
ノクスは書斎の周りにランタンを灯し、もう1脚椅子を用意して促した。
書斎に向かって2人で肩を並べる。
なんだかおかしな構図に見えるが、机の上にある資料が目に入るとエルフィスは納得した。
計画書のような紙があり、やるべきことが箇条書きで記されていた。
それにのっとってノクスは話し出す。
「まずは会社を起こす。手続きなどはすべてこちらでやるから、エルフィスが心配する必要はない。社名はどうする?」
「社名……ですか……」
確かにこういったことは名前を決めて、形を整えてからの方がいいのだろうけど、自分が決めていいものなのか?
ノクスが代表になるのだから、ノクス自身で決めるべきでは?
脳内でいくつか浮かんだ質問を、どの順番で聞いていこうか迷っていると、気を使ったのかノクスが先に言った。
「社名は後にしよう。混乱しないようもう1度概要をまとめるとするかーー」
ノクスの説明はこうだった。
会社の目的は、エルフィスの回復魔法によって高品質化された牛乳や卵を生産し販売すること。
『病に苦しんでいる人を救う。人々を健康にする』
かなり大それたキャッチコピーではあるが、現実になってくれると誇らしいし嬉しい。
エルフィスの仕事は、変わらず動物の世話をすること。だが、ノクスの話によるとフェーブル家の牧場にいる動物すべてではないようで、エルフィスが世話をするのは一部に限定するらしい。
理由は、商品の差別化だ。
回復効果の高い牛乳を大量生産するのではなく、より強い効果が見込める特別な牛乳を高価で販売するのが狙いだそうだ。数も少なくすることで希少性も生み出す。
ここまで聞いてから、エルフィスは胡乱な視線をノクスに向けた。
「ねぇ、ノクス。それでは庶民の力にはなれませんよね?単価が高ければ貴族様にしか売れません。わたしは、そういった格差のある商売……したくありません」
「エルフィスのいうことはもっともだが、まずは貴族に向けて商売をする。そこで話題になりエルフィスの製品がブランド化されれば、庶民にも必ず波及する。順序が大切なのだ。だから俺はおまえの貴族保証人になったし、そうでなければ貴族相手に商売は不可能に近いからな」
「なるほど……そんな先のことまで考えてたなんて、ノクスは凄いですね」
エルフィスは自重気味に笑った。
ノクスの説明を受けて、自分はただわがままを言ったみたいで遅れて羞恥が襲ってくる。
彼の説明には説得力があった。
思い返せば、前世でも有名人やインフルエンサーが良いと言っている商品が良く売れていた。一般人が声を大にして宣伝しても、なかなか結果は伴わない。
さらにノクスは計画を話す。
フェーブル牧場の区画をわかりやすく整備する。今は大雑把に策で囲っているだけが、これからはもう少し細かく隔てる。
訳としては、エルフィスが世話をする頻度の多い動物と少ない動物を分け、牛乳や卵の品質確認を行うため。
すべての動物を平等に世話するのは、確かに困難だ。あまり人に寄りついてこない子もいれば、べったり後を追ってくる子もいる。予め性格で分けておくことで、その子にかかるストレスが減るかもしれない。
仮にエルフィスとの関わりが少ない子の製品が、多く関わる子よりも低品質だったとして、それこそ庶民向けに低価格で売り出せばいい。
ノクスは本当に頭が回る人だとエルフィスは感心し、この計画には素直に賛成した。
ここまでは大丈夫そうだな。とノクスが言って、話は最初の地点へ戻る。
「社名はどうする?エルフィスが代表になるのだから、やはりエルフィスファームとかでいいか?」
えっ?今、なんと?
エルフィスは聞き間違いかと思い、慌てて聞き返す。
「わ、わたしが代表!?えっ……なんで?ノクスじゃないの!?」
驚きのあまりついタメ口になってしまったが、彼は不快に感じなかったらしく、いつもの真顔のままである。
「いや、俺は貴族保証人で、言わばエルフィスに出資するような立場だ。今は俺が立案しているが、ゆくゆくは2人で決めていきたい。それがビジネスパートナーの在り方だと思うのだが」
「た、たしかに……そう、ですけど……」
まったくの正論で、素晴らしい理想論なのだが、自分がいつかノクスに比肩できるとはちっとも思えない。
名ばかりの代表になってしまう気がする。
だって、自分は何度も会社をクビになるような人材だ。自信なんかひとつもない。
以前、ノクスは自分の経歴を調べたと言っていた。
ならわかっているはずだ。
わたしが無能なことを。
俯いて考え込んでいたエルフィスに、ノクスは首を傾げた。
「どうした?何かあるなら言ってくれ」
真剣な眼差しで、何の不安もなさそうな凛とした顔つきのノクス。
思うことがあるなら全部話せ。
俺が否定してやる。
そんな風にも見えた。
「わたし、何度も仕事をクビになっているんです……そんな人間が、代表だなんておかしくないですか?」
はっ。とノクスが短く息を吐いた。
なんだ、そんなことか。
そう言われたようで、エルフィスはやや眉を寄せた。
自分には、そんなこと。では済まないのだ。
前世から何度も悩んで、もう悩みたくないがために努力しても実らなかった今世。
自信を持てと言われても無理な話だ。
「エルフィスーー」
横並びでずっと話していたが、ノクスは少し椅子を引いて、こちらに正対した。
「ーーおまえの本当の能力を、これまでは誰も引き出すことができなかった。だが、俺ならできる。エルフィス・フェーブルは決して無能ではない。これまでは雇い主たちが無能だっただけだ」
「……ノクス」
目頭が熱くなった。
泣きそうになった。
同情や憐憫ではなく、純粋な評価。
やっと、自分を仕事で認めてくれる人が現れた。
ついていこう。
いや、いつか胸を張って横に並ぼう。
ノクスレイン・スコルティシュという少年を信じよう。
「やります!代表として頑張ります!」
エルフィスは高らかにそう宣言し、最高の笑顔を咲かせた。