ビジネスパートナー
回復魔法によって、健康状態がすこぶるいい牛の栄養豊富な牛乳は、ノクスレインの母イレナを寛解に導いた。
エルフィスはそうノクスレインを納得させ、話の続きを促す。
「仮にわたしがノクスレイン様のお母様を癒したとして、その後なにかあるのですか?」
「父が礼をしたいと申した。我が家は貴族ではあるが男爵位だ。よって余裕があるわけではない。エルフィスは母の命の恩人であるから、おそらくは家に迎え入れたいとおっしゃるだろう」
えっ?それはつまり……。
「養子縁組ですか?」
「違う。嫁にこい、だ」
「…………ええええぇぇぇぇ!?」
思わず素っ頓狂な声が出た。
「わ、わたしが、領主代行様のお嫁さんに!?」
はぁ、とノクスレインは溜息をつく。
とことん着眼点がずれているエルフィスだった。
「なぜそうなる……」
年齢的にせめて俺にしとけよ。とノクスレインは内心で思ったが、それだけは心に留めておく。
「兄がいる。8つ上にな」
「あっ……そうでしたね。さすがに親と子ほどの年齢差ですものね……すみません、とんちんかんなことばかり言って」
「貴族社会に詳しくないのだから、まあ仕方がない。貴族とは、有用な者を囲い込みたがる。今の我が家にできる最高のもてなしは、家族の一員として迎え入れ大切にする。くらいしかない」
これが政略結婚というものか。
エルフィスは実感なんてこれっぽっちもなく、一生縁のない言葉だと思っていたので、どこか他人事である。
貴族様、ましてや領主代行様相手に、断ることなどできないだろう。とも即座に理解した。
その考えをノクスレインは正確に読みとった。
要するに、エルフィスは顔に出やすい。嘘をつけず素直なのは美徳だが、やはり貴族には向かない。
「おまえに断ることなどできぬだろう?」
頷かず拒否もせず、エルフィスは黙って彼の目を見つめ返した。
「そうだろうと思い、俺からひとつ提案がある」
「提案、ですか」
「俺がおまえの貴族保証人になる。貴族保証人とは、民の身分を保証することだ。結局は囲い込んでしまうのだが、将来の伴侶を自ら選べなくなるよりはいいと思った。どうだ?」
はてさて。
エルフィスはどうだと問われても、何がどういいのかわからない。
ノクスレインにメリットはあるのか?
彼の言う通り、結婚相手が決まるわけでもなく、ただただ身分を保証される。
メリットだけでなくデメリットですらよく理解できない。
「ええっと、あのう……わたしを保証して、いいことなんてあるのですか?」
「ビジネスを始めたい。エルフィスの回復魔法をさらに有効に活用し、母と同じような症状に苦しむ人や、他の悩みを抱える人にも対応できるよう幅を広げる。俺は12年間王都で教育を受けたから、それなりにツテがある。なに、貴族の面倒事におまえを巻き込むつもりはない。今まで通り、ここで動物の世話をしていればいい。ただ少し仕様は変えさせてもらうがな」
つらつらと述べた彼の言葉は、ビジネスというからに事務的な内容ではあるのだが、どうしてか温かみを感じた。
自分に配慮してくれている。
そう思わずにはいられなかった。
一方で、なぜそこまでしくれるのか。と問いたいのだが、気分的にはばかられた。
目の前の貴族のご子息が、今の自分を必要としてくれている。
わたしの力が役に立てる可能性がある。
それ以上の理由をいただくのは、もったいないと思った。
エルフィスは大きく息を吸ってから、ノクスレインの前で今日初めての笑みを浮かべた。
「はい。不束者ですがよろしくお願いいたします」
「……まったく君は」
こめかみを押さえて、ノクスレインは呆れたように小さく呟いた。
姿勢を正してから、こう言った。
「俺のことはノクスでいい。俺とエルフィスはビジネスパートナーとして対等だ。不敬がどうとかは一切問わない。いいな、エルフィス」
「わかりました。ノクス様」
「様もいらん」
「えっ、あ、はい……ノクス」
ノクスレインことノクスは、満足そうに小さく笑った。他の人が見たら笑ってないと言うかもしれないが、エルフィスにはしかと笑っているようにみえた。
「あぁ、そうだ。さっそく約束を反故にするようですまないが、今回だけ面倒事に巻き込まれてくれ」
「なんでしょう?」
「父に会ってくれ。予定はこれから組む」
エルフィスの『不束者』発言しかり、ノクスの『父に会ってくれ』発言しかり、傍目からみたら2人して勘違いされても仕方のないような物言いだが、本人たちはいたって真剣である。
ちょうど傍目から見ている者がひとりいた。部屋の隅で待機していた使用人のローレイは、笑みが漏れないように堪えるので精一杯だった。
エルフィスを面倒事から守れることに喜びを得ているノクス。
ノクスに必要とされ、役に立てると希望を抱くエルフィス。
ローレイは不器用に互いを思い合う2人に、生暖かい視線を送り続けた。




