貴族保証人
コンコンコンッ。
「こんな時間に誰かしら……?」
「母さん、危ないからいいよ。僕が出る」
扉が叩かれる音に母ユリス・フェーブルが首を傾げると、息子のマークリフは率先して玄関へ向かった。
夜の来訪者には危険があるかもしれないので、気を使ってくれたのだろう。逞しく育った息子に母は場を弁えず感心した。
「はい。どちらさま……えっ!ローレイ様!?」
「こんばんは。夜分にすみません。今、よろしいでしょうか?」
「えっ!?あー、えぇと……」
聞き慣れていた声だったのですぐに反応したユリスは、突然の出来事に驚愕で言葉を失った息子にすかさずフォローを入れる。
「もちろんです!外は寒いので、中にお入りください」
「ユリスさん、ありがとうございます。突然で申し訳ございませんが、ご紹介したい方がおります」
ローレイの背後、暗闇から人が現れる。
家の明かりにその人物が照らされた瞬間、ユリスの顔が青ざめた。
鮮やかな白みがかった金髪に虹色の瞳。
その類を見ない美少年は、先日娘のエルフィスから聞いていた人物で間違いない。
「ノ、ノクスレイン様!どうぞこちらへ!すぐに主人を呼びます!マーク!お茶をいれて!」
「気遣いは無用だ」
「ぜ、ぜひ、おもてなしさせてください!」
「いや、もてなしは結構。ご両親と話ができればそれでいい」
「……わかりました。すぐ主人を呼んでまいりますので、そちらにお掛けになってお待ちください」
ノクスレインたちをダイニングテーブルに招いて、バタバタと急ぎ足でユリスは息子と奥の部屋へ向かう。
まもなく息子と入れ替わるようにして、旦那であるボルドフを引き連れてやってきた。
2人とも、表情が固い。
ノクスレインの目の前まで急いで駆け寄ると、2人同時に、床に膝と手、そして頭をつけた。
「娘が大変な無礼をはたらいたこと、心よりお詫び申し上げます」
「娘に代わって、私たちが罰を受けます。教育不足だった親の責任ですので、どうか娘だけはお許し願います」
ボルドフとユリスは、土下座をして謝罪した。
娘から領主代行のご子息に無礼をはたらいてしまったかもしれないと、先日聞かされたからだ。
その話を聞いて早急に、屋敷に出向き謝罪するべきだった。
こうしてノクスレイン本人が乗り込んできたということは、大変なおかんむりなのだろう。
ユリスたちは血相を変えて、床に頭を擦りつけ、慈悲を乞うしかなかった。
「……すまないが、何のことで謝っている?無礼とは、なんだ?」
ノクスレインがそう言って首を傾げると、ユリスは恐るおそる顔を上げた。
「……あの、娘が、生意気な口をきいてしまったと……」
「……ああ、この前のことか?生意気だったかどうかはさておき、あの時は私の方が悪かった。気に掛けさせていたのならすまない」
「とんでもございません!娘にはしっかり言って聞かせますので、これからも何卒よろしくお願いいたします」
「今日はその娘のことで別の話をしにきた。向こうに掛けてはもらえぬか?」
「ありがとうございます。失礼いたします」
ユリスは立ち上がり、ノクスレインたちの向かいに座る。夫のボルドフは未だに頭を床につけたままであった。
「あなた。ノクスレイン様にお許しいただきましたよ。こちらに座ってください」
だが、ボルドフはぎこちない動きで首だけをユリスの方へ回した。
「……母さん、すまない。手を貸してはもらえないかい?安心したら、また腰をいわせてしまった……」
夫婦共々苦笑い。
先日ぎっくりを発症し、回復傾向だったはずの腰が、どうやらまた悪くなってしまったらしい。
実に情けない夫に手を貸すため、ユリスは急いで立ち上がろうとするが、それよりも素早くローレイがそっとボルドフに肩を貸した。
「ローレイ様!も、申し訳ございません……」
「いいえ。こちらが事前に説明していれば、このようなことにはならなかったでしょう。なので、これくらいの助力はさせてください」
「……すみません」
ようやく4人がテーブルについた。
ノクスレインがひとつ咳払いをしてから切り出す。
「単刀直入に申す。エルフィス・フェーブルの貴族保証人になりたいと、私は考えている」
「……き、貴族保証人!?ええぇっ!?うちの娘のですか?」
ユリスは甲高い声を上げて驚いた。
その横で夫は、目でも回しているのではないかと心配になりそうなほど呆然としている。決して腰の激痛を耐え忍んでいるわけではないと、ユリスは信じたい。
貴族保証人とは、貴族が特定の一般庶民を庇護下に置く制度だ。有能な人材の身元を保証することで、庶民であろうと活躍の幅を広げられる。特に庶民が貴族相手の商売をする時にはなくてはならないもので、保証人なしでは門前払いされることが専らだ。
「あなた方の娘が回復魔法の使い手なのは承知か?」
「……魔法として発動できないはずですが」
「彼女の魔法は回復系・祝福。私がれっきとした魔法使いであると保証し、その稀有な才を存分に発揮してもらいたいと考えている」
信じられない、とユリスは目を見開いて呆気にとられていると、今度は夫のボルドフが小さな声を上げた。
「……あのう、エルフィスを……どのように扱われるのです?」
「私と共に働いてもらうだけだが」
「……どのようなお仕事をなさるのですか?」
「なに、今までと変わらぬ畜産農家だ」
「……でしたら、保証人にならずとも、これまで通りでよろしいのではありませんか?」
ボルドフから再三にわたる質問を受けて、ノクスレインは少し眉根を寄せた。
「なにが言いたい。はっきり申せ」
「……娘を、使い潰す……つもりではありませんよね?」
ボルドフは強く拳を握りしめ、ノクスレインの目をしかと見つめて声を絞り出した。
ユリスは夫の袖を引こうとしてーーやめた。
それはユリス自身も懸念していることだったからだ。
かつてこことは別の地方で、貴族保証人になって働くだけ働いて使い捨てられた庶民の噂を聞いたことがあった。
娘に同じような道を歩んでほしくない。
いや、歩ませるわけにはいかない。
親としての矜恃が、不敬にあたるかもしれないという恐怖に打ち勝って、震えそうになりながらも立ち向かわせていた。
だからこそ、ユリスは夫を止めなかった。
ノクスレインは、また咳払いをひとつした。
「……正直、初めはそれと同様なことを考えていた。我が家の理のために、とーー」
話がほんの少し区切られた刹那、ユリスはノクスレインの表情が変わったように思えた。
先程までは、用件のみを伝える事務的で無機質な表情。
今は、そこに血が通ったように映った。
「ーー私の母は病に侵されていたが、つい先日寛解した。その要因は、おそらくエルフィスが所持する魔力によるものだ。彼女に世話された牛の乳が、母の病を癒した。
父はとても家族想いな方で、エルフィスのおかげで母が治ったとわかれば、おそらく大変な恩義を感じると共に彼女に褒美を与えるだろう。その中で最も有力なのは、家族として迎え入れることだ。残念ながら万年男爵位に甘んじている我が家には、これくらいのことしかできぬからな。きっと兄も彼女の人柄をとても好み、求婚するやもしれぬ。兄の理想の女性像に、エルフィスは合致すると思われる。
以上のことが現実になったとして、あなた方ご両親は手放しに喜べるか?」
「「…………」」
夫婦は沈黙した。
大変光栄なことだとはわかるし、もしそうなれば敬愛する領主代行様の力になれたと誇らしい。
だが、最も大切なのはーー娘の心。
好きでもない人と結婚するなど、庶民とて本意ではない。自分たちのように互いに想い合う婚姻は、とてもいいことだと身をもって知っている。
そもそも領主代行様のお誘いを無碍にして、この地で生活してゆける自信もない。
さすれば、取れる選択肢はひとつ。
大切な娘に、受け入れてもらうほかない。
「まだ父にはエルフィスが母を癒したのだと報告していない。私にその責務を放棄することはできないが、今ならまだ彼女の意思を守れると思った。だから私は彼女の保証人になることにしたのだ」
「……ご丁寧に、ありがとうございます。お言葉ですが、ノクスレイン様ーー」
貴族保証人の流れは理解した。
だが、母ユリスはどうしてもひとつ確認したいことがあった。
「ーーどうして娘の意思を、そこまで尊重してくださるのですか?」
静寂。沈黙。
じーっと耳鳴りがするほどの深い静けさの中で、ノクスレインは少し身じろぎをして、その服の摩れる音が響く。
「……守るべき、だと思った……これでは不十分か?」
ユリスは満足気に笑った。
「いいえ、十分過ぎるほどです。ありがとうございます。娘をよろしくお願いいたします」
「私からもお願い申し上げます。どうか娘の身の安全を、よろしくお願いいたします」
自分に続いて深く頭を下げた夫。普段はいささか頼りない面もあるのだが、いざとなれば男らしい。使い潰す気なのか、と意見した時も実に立派だった。ユリスが惚れたボルドフは、昔っからそうだった。
改めてそんな夫に強い想いを募らせると同時に、目の前の貴族の少年にも強い好感を抱いた。
「承知した。こちらこそ受け入れてもらえてよかった。明日の昼過ぎ、エルフィスに話をしにくる。夜分にすまなかった」
「はい。お待ちしております」
貴族様のお帰りを、夫婦は見えなくなるまで見送った。
「エルは、とんでもない人に好かれちゃったわね」
「えっ?ノクスレイン様は、エルが好きなの?」
鈍感なボルドフに、ユリスは大きな溜息をつく。
「あなたは好きでもない相手を守りたいと思うの?」
「……守るとまでは言い切れない、かな?」
「でしょ?なら好きで決まりね」
「でもさ、それならどうして保証人なのかな?自分との婚約を申し出れば良くない?」
「そこは、まだまだお子様ってことじゃない?」
「おいおい、ユリス。その発言が最も不敬に値するよ」
「じゃあ、内緒にしておきましょ。特にエルにはね」
「そうだね。本人たちに任せよう」
夫婦は楽しげに家の中に戻っていった。




