退職手続き
コンコンッと乾いた木の音が鳴り響くと、室内から「どうぞ」と落ち着きのある男性の声が返ってきた。
「失礼します」
ドアノブを回してエルフィスはゆっくり室内を確認すると、窓際のテーブルで大量の書類に囲われた初老の男性と目が合った。
「おや、フェーブルさん。どうかなされましたか?」
エルフィス・フェーブルーー彼女のフルネームだ。
「お忙しいところ申し訳ありません、ヴェライズさん。退職の手続きをしにまいりました」
「……フェーブルさん……まさか、冬眠準備で?」
「はい。本日付で解雇となりました」
「よりにもよって、あなたですか……こちらに掛けてください」
部屋の中央にあるソファにエルフィスは案内され、ヴェライズは引き出しから一枚の用紙を取り出し、向かいに座った。
おそらく退職に関する書類だろう。
向かい合ったまま、しばし静寂が流れた。ヴェライズはいつまで経ってもエルフィスに書類を差し出さない。手元にそれを置いたまま俯いていた。
「どうしてあなたが解雇になるのでしょうかね……」
それはエルフィスだって問いたいことだ。しかし、理由は先程バラバから聞いている。
「生産性が低いとのことでした」
「生産性?」
エルフィスの回答に、ヴェライズは眉根を寄せるとテーブルの紙の山を漁り出す。
「ああ、これですこれ」
独り言のようにそう呟いてからエルフィスに見せた。
「これは各班の進捗を表にまとめたもので、エルフィスさんがいた班はここですね」
ヴェライズが指さした手書きの表には、従業員の名がずらりと並んでいた。
誰が何をいくつ生産しているかが、日毎に集計されているようだ。
エルフィスは知らなかった。こんなに細かくデータとして残されていただなんて。
なら、頷ける。きっと自分は誰よりも劣っていると証明されているのだろう。
「それで、ここ。フェーブルさんね。見てください。班内での生産は一番少ないですが、他の班と比べたら多いんですよ」
「……本当ですね、知りませんでした」
エルフィスの生産数は、確かに所属班内では最少なのだが、他に比べると勝っている。
しかし、班ごとに作っているものは違うので参考程度にしかならないだろう。とエルフィスは軽く考える。
ここスミヨフ工房は、木造の家具を制作する中小企業だ。
創始者である先代が木に関する魔法を使えたのが始まりとされていて、現在の2代目社長はその息子である。
先代の頃から財務を勤めていた眼前の男ーーウォッシュ・ヴェライズーーは、財務という肩書きではあるが、実質経営に関わるすべてのことを2代目になってから押し付けられている。
それでも経営は右肩上がりで、浮いた金だけを回収していく現社長より工房の内情を知り尽くしている。
ただ冬眠準備にあたって、毎年少なくとも一人は解雇者を出しておかないと従業員が危機感を欠いてしまう。数年前に経営が安定しているからと解雇者0を実施してみたところ、その冬の生産性が急落した教訓があったのだ。
危機感と隣合わせでないと慢心がはびこる。トルカティーナ王国の国民性と言ってもいいかもしれない。
よりにもよって、社長に一人は解雇した方がいいと助言した結果、まさかエルフィスが選ばれるだなんて、ヴェライズは想像だにしていなかった。
「それとですね、フェーブルさん。これは去年のデータなんですが、同じ班のあなたが入る前のものです」
「…………あの、これって?」
「あなたが入る前と後で、班全体の生産性が2倍近くになっているんですよ。班員の顔ぶれは、あなたが増えただけなのに」
「……?」
エルフィスは首を傾げて、覗き込んでいた紙からヴェライズへと視線を上げる。彼が何を言いたいのか、いまいちわからなかった。
この工房は、男性の従業員が大半だ。テーブルやイスなどの大きな家具を扱うので、力仕事の側面がある。
そこに紅一点、自分が入ったから指揮が上がった?まさか、わたしにそんな効果があるとは思えない。
エルフィスは自分自身を客観的に見て可愛いと思ってないし、だからと言って不細工だとも思っていない。
実際のエルフィスは、乾燥気味で毛先の跳ねた茶髪をひとつに結って、汗をかくこともあるから化粧は下地程度にしか塗っていない。すっぴん同然であっても、誰にも不快感を与えることのない、むしろ違和感すら与えない年相応の顔立ちをしている。
疑問符を浮かべているエルフィスに、ヴェライズは身を乗り出して小声で言った。
「私はね、鑑定系・虚偽の魔力持ちなのですよ」
「虚偽?ですか……」
「そうです。魔法を発動している間、他人の嘘が含まれた発言なんかを目にすると、その人の言霊が黒く見えるんです」
「……あの、そのような大事なこと、わたしに話してもいいのですか?」
「あなたからは今まで一度も、嘘をつかれたことがありません。だからいいのです」
エルフィスは知らぬ間にすごく信頼されていたことに驚くと同時に、知らぬ間に何度も鑑定されていたことに少し怖さを覚えた。
この世界の魔法は5大系統と呼ばれる、顕現・創造・付与・鑑定・回復に分類される。
そこから限定的なものへ派生するのだが、その派生先が多岐にわたりすぎていて、すべてを説明することは難しい。
例えば、顕現系・火であれば俗に言うファイアーボールを放つことができる。顕現とは、その現象を生み出し、魔力量によって射出速度や威力なども異なってくる攻撃的な魔法だ。顕現系で高魔力の持ち主は、国防の要として騎士や魔術師として重宝される。
創造系の場合は、現象を生み出すだけで射出することができない。その場にぽんっと、何かが生まれる感じだ。
これはスミヨフ工房の先代社長が、創造系・木の魔法使いであったため、木材の仕入れなく始められたことが成功に繋がった要因でもある。
人はそうやって、才能に見合った職に就いている。
付与系は、何に何を付与できるか。つまり人や物にどんな魔力を付与できるか。が重要で、いい仕事につけるかつけないか、大きく変わってくる。ちなみに工房長のバラバ・コントレーは己の筋力を増強することができる付与系・身体強化だ。エルフィスは、初めてバラバが身体強化を発動したところを見た時に思った。前世のゴリラよりゴリラだった、と。
ウォッシュ・ヴェライズは鑑定系・虚偽という分類になっていて、他人が発する言霊だけでなく、書類の改竄などの痕跡も見つけられることから、財務の仕事は天職に思える。若い頃は、王城の財務部に勤めていた経歴があるほど優秀な男だ。
鑑定系も何が見えるかで、世界ががらりと変わってしまう。
最後に、回復系の魔法使いは非常に少ない。回復系であれば、就職先は王都の中心地にある回復塔となるのが通例だ。
回復塔とは、エルフィスの前世の感覚で言えば総合病院である。どの建物よりも高く、王都内ならどこからでも見つけられる巨大な石造りの建築物。
かつて戦後の復興のために、国王は民こそが何よりも必要だと考えた。一人でも多くの民がいれば、一日も早く、国は安定すると信じた。命あっての物種。貴族・平民に関わらず、誰もが平等に無料で病や怪我を治せるようにと、王都内の回復系魔法使いを1ヶ所に集め、国費をかけて運営している。
魔法は有能であっても万能ではない。
回復系・欠損であれば、事故で失った腕や足を一瞬で元通りにする奇跡のような魔法だ。しかし、病魔にむしばまれている人は救えない。
救える命をひとつでも多くするため、大勢の回復系魔法使いを王都の中心に集め、ここにくればどんな災いでも治せるようにと、回復塔は存在しているのだ。
ちなみに、エルフィスが有している魔力は回復系としかわかっていない。
なぜ詳細がわからないかというと、エルフィスは魔法として発動できなかったからだ。
そもそも魔力の有無は、魔法石版という古代に見つかった代物に手をかざし判別する。魔力保持者には光って反応するのだが、魔力なしの者には一切光らない。その光は5色に別れる。
赤=顕現系。青=創造系。黄=付与系。緑=鑑定系。白=回復系。
と判別される。
トルカティーナ国民は、5歳になってみな判別式がとりおこなわれる。
そこでエルフィスは回復系の魔力持ちだとわかってから初等・中等と教育を受けたのだが、魔法としての効果はおろか、発動の感覚すらわからなかった。よって、エルフィスは何かの間違いだったと現在は魔力なしとして振舞っている。
魔力には総量があって10段階評価だ。魔法石版の光の強さで数値にし、その総量は生まれつきのものと認識されている。
エルフィスは回復系統で総量1。
自分はどちらにせよ発動できないので大した差はない、とエルフィスは考えている。
魔法を善用する人がほとんどだが、中には悪用しようとする人もいる。自衛も兼ねて、魔力持ちは親しい人以外に軽々しく己の能力を話したりしない。
だからこそ、エルフィスはヴェライズがつまびらかに能力を語ったことに困惑した。
「わたしから一度も嘘をつかれなかったとして、解雇の腹いせにこれから嘘の噂を撒いたりして悪事を働くかもしれませんよ」
「大丈夫です。その言葉にすら、私の魔法は反応してませんから」
「……まあ、そうですね。まったくそんなつもりはありませんし」
「ですから、あなたとは長く一緒に働きたかったのですよ。長らく生きていますが、こんなに気分良く会話をできる人は、これまでで片手に収まるほどしかいませんでしたから」
ヴェライズが会話中、常に魔法を発動していると考えたら、特に恐れることなどないが少し身が竦んでしまいそうになる。悪いことなどしてないのに、すれ違うとなぜか緊張した前世のパトカーをエルフィスは思い出した。
魔法を使って気分を害するのなら、発動しなければいいのに。とも思ったが、人の思惑にどうこう言うつもりはない。
エルフィスは話を戻す。
「それで、退職の手続きは……」
「これはこれは、いけませんね。歳をとるとつい話が横に逸れてしまいます。こちらにサインを。それと、フェーブルさんは寮住まいでしたね?」
「はい、そうです」
「でしたら、工房から貸し出しているものは、寮母に返してくれれば結構ですので」
「わかりました」
書類に目を通し、サインを書き、エルフィスは座ったままだが深く頭を下げた。
「大変お世話になりました。最後にヴェライズさんとお話ができて、わたしでも少しは役に立てていたのだと思うと、胸のつかえがとれました」
「私の魔法にかけて、嘘偽りなく、あなたとはもっと一緒に働きたかったです。まだお若いからといって無理なさらず、どうか健やかでありますように」
「ありがとうございます。お元気で」
エルフィスはゆっくりと席を立ち、扉に向かう。ドアノブに手をかけた時、ヴェライズに呼び止められた。
「フェーブルさん。これからどうなされるのですか?」
「実家に帰ろうと思います」
「ご実家はどちらで?」
「東のスコルティシュです」
「あぁ、一度行ったとこがありますよ。自然が豊かな町ですね。差し支えなければ、ご実家は農家ですか?」
「はい。畜産農家です」
「ほお、それはまた大変なお仕事ですね。あなたなら、きっと大丈夫だと私は信じてますよ」
「ありがとうございます……頑張ります、ね。それでは失礼しーー」
「ーーフェーブルさん」
ヴェライズがまたしても退出を遮った。
「家業はお嫌いですか?」
「え?」
いたずらな笑みを作ったヴェライズに見透かされたようで、エルフィスはドキッとした。
「あなた、今、初めて嘘をつきました。家業を頑張るつもりがないのですか?」
「……まだ迷ってます。あまり、動物が得意ではないのかもしれなくて」
「……そうですか。もののついでです、老人の戯言だと思って聞いてください。案外人間より動物の方が、あなたのその清らかさに応えてくれるかもしれませんよ。動物もまた、嘘はつきませんから。私の経験上ね」
自分に合う仕事が、まだあるかもしれない。
ヴェライズの言葉で、エルフィスはほんの少しだけ前向きになれた気がした。
入室時よりも晴れやかな表情で、扉を閉めた。