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貴族様襲来

昼休みが終わると財務部の部下はもちろん、少し離れた工房の従業員の笑い声がぴたりとやむ。

その静寂が引き連れてくるのは、いつだって悲しげで寂しげな虚無だ。


仕事が辛くて辞めていった者。

仲間と決裂して辞めていった者。

突如として解雇を言い渡された者。


それらの顔ぶれが増えていく度に、自分は歳をとったのだと再認識する。


「……エルフィスさん、元気でやっていますかね」


スミヨフ工房の財務部長ウォッシュ・ヴェライズは、窓際で小さく呟いた。

その虚しさを引き裂くように、扉が3度、荒々しく叩かれた。


「ヴェライズさん!失礼します!社長はいらっしゃいませんか?」


「おやおや、ジェラルディさん。社長は数日間こちらには出勤されませんが、そんなに慌ててどうされたのですか?」


肩で息をし、血相を変えたジョー・ジェラルディは、かつてエルフィスが所属していた班の長だ。


「突然貴族様がいらっしゃいまして、今バラバ工房長が対応してくれてるんですが、貴族街の工房関係の方か確かめてこいと言われまして」


「どなたかおわかりで?」


「えぇっと、たしか、スコルティシュ男爵様です」


「スコルティシュ男爵?」


ウォッシュはすぐにエルフィスの故郷名を思い出した。


「おそらく貴族街絡みではありませんが、こちらにお通ししてください。工房長もご一緒に」


「わかりました!すぐお呼びします!」


ジョーが走って去っていき、またしても静寂が訪れる。

落ち着き払っていたウォッシュだが、内心では焦りが滲んでいた。


エルフィスに何かあったのではないか……。


領地の貴族様が直接出向いてくるなど、早々あることではない。

そわそわしながらも机に散らばった書類を急いで片付けた。




ノックと共に「失礼します」と聞き慣れた低い声が部屋に届いた。

ウォッシュはすぐさま立ち上がり、扉へ少し歩み寄る。


バラバ・コントレーに連れられて入ってきたのは、ホワイトゴールドの髪色をした少年と、黒髪美丈夫の従者。

華やかすぎる2人は、下級貴族の男爵位でもかなり目立つ。

特に金髪の少年の瞳が眩しい。光の反射で変わる色彩は、虹を宿しているかのようで思わず魅入ってしまいそうになった。


ウォッシュはかつて王城の財務部に勤めていた頃、多くの貴族を目にしてきたが、迫力としては上級と遜色ないと感じた。


「スコルティシュ様、どうぞこちらにお掛けください」


「突然の訪問ですまない。失礼するよ」


まだ少年のようにも思える主人が、堂々とした所作でソファーに掛けると、従者はその後ろで優雅に立ち尽くす。


「ただいまお茶をお持ちします」


ウォッシュは軽く頭を下げ、もてなしの用意に退こうとした途端、主人の後ろにいたはずの従者が、いつの間にか自分の横に立っていた。


「わたくしにお任せ下さい」


「……ありがとうございます。場所をお教えいたします」


ただの従者ではないと、すぐに理解した。

主人のオーラといい、とても敵に回したくない相手であろうことは、長年生きてきた経験から容易にわかった。


驚きを隠しながらウォッシュは手早く給湯室の案内を終え、ソファーへと戻る。


「大変お待たせいたしました。私はスミヨフ工房の財務部長をしておりますウォッシュ・ヴェライズと申します。本日は社長のスミヨフが不在ですので、代わりを務めさせていただきます」


「改めまして、おれ、いや、私はバラバ・コントレーです。工房長をしてますが、貴族様との接点がない庶民ですので、失礼な発言をしたらすみません」


「ノクスレイン・スコルティシュだ。東のスコルティシュ男爵家の次男で、当主ではないゆえ畏まらなくていい」


「スコルティシュ様、本日はどのようなご用件でこちらにいらしてくださったのですか?」


ウォッシュは畏まらなくていいと言われたが、気を抜くことは絶対にしない。用件がわからない上に、不敬だけは避けたいので慎重に尋ねた。

だが、隣に座したバラバは貴族の言葉を鵜呑みにしたようで、少し座る位置を深くした。

素直は美点だが、警戒を解くにはまだ早すぎますよ。とウォッシュは内心ひやりとした。


「単刀直入に申すと、以前勤めていたエルフィス・フェーブルの働きぶりについて、詳しく聞かせてもらいたい」


エルフィスの名前が出た瞬間、ウォッシュは己の魔力を解放した。


鑑定系・虚偽の魔法を発動。


不敬を働いたとて、気づかれなければ問題にならない。ウォッシュの経験則だ。


「エルフィスさんの身に何か起こったのですか?」


「いいや、彼女は懸命に家業に従事している。うまくやっているよ」


虚偽の魔法に反応ーーなし。


安心して小さく息を吐き出すと、隣のバラバは明らかにほっとした息を漏らす。


「バラバさん、スコルティシュ様に失礼ですよ」


「すみません!エルフィスが元気でやっていると知って思わず……」


「かまわない。あなたたちがそれほど彼女の心配をしているとわかっただけで、こちらとしては収穫が大きい。だからーー」


ノクスレインは、バラバからウォッシュへ視線を移す。


「ーー虚偽の魔法を使ってまで警戒する必要はないよ、ヴェライズさん」


口許だけ少し緩ませたノクスレインだが、まるで目は笑っていない。


ウォッシュは、己の魔法が知られたこと。

まだ若いからとどこかで侮っていたこと。

経験則の外にいる人間もいるということ。


驚愕に一瞬目を見開いたが、これだから貴族は嫌なのだとすぐに嘆いた。


簡単に見抜かれた。

敵対など毛頭する気もないが、腹を括ることにした。


「失礼しました、スコルティシュ様。隠し事などできなさそうなので、率直に伺いますが本当の目的は何ですか?」


「それでいい。彼女が魔力を有していたことは知っているか?」


「……いいえ。知りませんでした」


ウォッシュはまたしても驚きに直面してバラバに視線を向けるが、彼も知らなかったようで静かに首を左右に振った。


「これからスコルティシュ家はエルフィスの能力を見込んで、手を組もうと思っている。その身辺調査ということだ」


「そうですか。でしたらひとつ、お約束していただきたいことがございます。聞き入れていただけるのでしたら、エルフィスさんの仕事ぶりをお教えします」


「ふっ……まあ、よい。条件を聞こう」


ノクスレインの鋭い眼差しに、ウォッシュは怯まなかった。


先程まで感じていた虚無感を、こんなことで埋められるとは思わない。だが、こちらの都合で解雇した者へ少しでも償いとなるよう、ウォッシュは強い意志を持って貴族へ向き合った。同時に、老いぼれの自分にまだこんな闘志があったのかと驚いた。

今日はなんとも刺激的な日だ。


ふぅ。

小さく息を吐いて、ウォッシュは鋭く目を見返す。


「彼女の身を1番に考えてください。エルフィスさんは一生懸命で、笑顔の似合う方です。決して使い捨てるような真似はしないでください」


「事が上手く運べばもちろんそうする。だが、事業としてやるのだから、思い通りにいかないこともあるだろう」


ガタン。

隣でバラバが身を乗り出した。


「それでは困ります!エルフィスは報われるべきだ!手に掛けるなら、それくらい保証してくださいよ!」


バラバの大きな声が割って入った。

刹那、場を鎮めるように、


「失礼します。紅茶をご用意しました」


従者が茶を配膳する。


絶妙なタイミング。

全員にひと息入る。


主人や会談相手に臆することのない振る舞いは、とても有効な緩衝材となり、場の温度が下がっていく。


カチャッ。カチャッ。カチャッ。

各々がカップを置く音だけが響く。


ノクスレインは紅茶で湿った唇を舐めてから、呆れたように肩を竦める。


「わかった。約束しよう。どのみち、今調べていることが確かなら、エルフィスを我が家で囲うことになる。こちらも家運を賭けているのだ。保証しよう」


ウォッシュは、まだ虚偽の魔法を発動させていた。


それに、反応はーーない。


ノクスレインという少年は、嘘をついていない。

ならば、信じられる。


「ありがとうございます。我々の無礼をどうかお許しください」


「あなたたちが今も心から彼女を慕っていることが良くわかった。もっと彼女について教えてくれ」


それからウォッシュとバラバは語った。

エルフィスが入社してからの業績の変化や、周囲の反応。

異変に気づく察知能力。

周りを明るく元気づける人柄。

そして、エルフィスが退社してからの変化。

数字として算出し、決めつけるのに2週間足らずでは短いが、確実に上昇は見込めない業績。

特に彼女が所属していた班は、会社の要のような数値を刻んでいたので、沈み方が著しい。


ウォッシュとバラバは、思い出しては綻んで、現実を直視しては項垂れた。

さらにこれから王貨10枚の削減も待っている。


「とても有意義だった。礼を言う」


そう言い残したノクスレインたちを見送って、バラバは悔しそうにこう言った。


「クソッ。エルフィスが何の魔法を使えるのか聞きそびれました」


「女性の隠し事を聞こうだなんて無粋ですよ」


「そんなこと言ったら、さっきの貴族が一番無粋なんじゃないっすか?」


「それもそうですね」


突然やってきた嵐を、2人は笑って吹き飛ばした。

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