流行病
ノクスレインとの最低の初対面をした翌日。
今日は忙しすぎてあっという間の1日だった。
通常通りに仕事を進めていたのだが、かなり慣れてきたのか昼前に手が空いた。家業の手伝いを始めて早10日が過ぎたので、エルフィスは作業の大半をすでにこなせるようになっていた。
暇を持て余すのは嫌なので、母ユリスに他にできる仕事はないかと尋ねると、父ボルドフの手伝いをしてあげて、と言われたので訪ねてみる。
すると、事件が起きた。
父は娘にいいところを見せようと、いつもなら2箱ずつ運ぶ牛乳を、倍の4つ持ち上げた刹那ーー腰をいわせた。
その後、自室のベッドに父を寝かせ、エルフィスとユリスは結果的に倍以上働くこととなった。
まったく情けない父親である。
お手伝いから一転、過酷労働となった仕事終わり、すっかり恒例となった茶色い馬のもとへエルフィスは向かう。
「リリィ、お仕事終わりましたー」
疲労が溜まった体をうんと伸ばしながら馬房の前にエルフィスがやってくると、リリィは立ち上がって顔を出した。
前は動くことすらしなかったのに、今では自ら立ち上がり、ゆっくりではあるがこうして出迎えをしてくれる。素早い動きや走ったりはまだしないが、エルフィスにとっては十分すぎるほど嬉しい兆候である。
リリィ自身が走りたいとか、お仕事を手伝いたいと思わないのなら、全然かまわない。少しでも元気になってくれただけで良い。
「ご飯食べたんだね、リリィ。えらいえらい」
空になったバケツに満足したエルフィスは、リリィの顔周りをこれでもかと執拗に撫で回す。
リリィはまったく嫌そうな素振りはみせず、むしろ気持ち良さそうに目がとろんとしていた。
どんなに疲れていようとも、こうして毎日やってくるエルフィスに、リリィは心を開いたようだ。
対するエルフィスも、リリィが元気を取り戻しつつある姿を見て、1日の疲れが吹き飛ぶ。
それから馬房内でふたりでまったりし、エルフィスはリリィとお別れの挨拶をする。もうすぐ晩御飯だと、腹の虫が知らせてくれた。
月明かりに照らされた厩舎を進み、牛やニワトリにも挨拶をしながら自宅へ向かう最中、エルフィスはふと足を止めた。不意に違和感が押し寄せてきたのだ。
「……あの子、元気ない……気がする」
視線の先にいたのは、1羽のニワトリ。
群れから離れて、ひとりぽつんとしている。
エルフィスが近寄ってみたら、逃げた。
追って、逃げる。追って、逃げる。
なぜか一定の距離を保たれる。
何度かそう繰り返しをしていると、ニワトリは観念したのかようやくエルフィスに捕まった。
体に異変はないか全身を確認するが、違和感があるだけで特に異常は見られない。
だがほんの少しだけ、いつもより顔が腫れている気がする。
「なんだろう……気になる」
ニワトリをそっと地面に置いてから、エルフィスは自宅へ急いで帰った。
ダイニングにやってくると、母と兄が出来立ての夕飯をテーブルに並べ始めていた。
「エル、ちょうどいいところにきたわね。あったかいうちに食べましょう」
「ごめん、お母さん。お父さんは部屋にいる?」
「いるけど、寝たきりよ。どうかしたの?」
「なんか、元気なさそうなニワトリさんがいるの」
「元気ない?他には?」
「ちょっと顔が腫れてるように見えた」
母ユリスの表情がやや曇った。
「……お父さんのところに行きましょ。マーク、ご飯少し待っててくれる?」
「わかった。鍋に戻しておこうか?」
「そうね、お願い」
エルフィスは母の背を追って父の部屋へ急いだ。
父の部屋にやってきて、エルフィスは先程感じた違和感とニワトリの様子を説明した。
聞いてすぐにボルドフは顔を歪める。
一瞬、腰が痛かったのかと思ったが、どうやら違うらしい。
「おそらく……鳥の流行病だ」
「……流行病……」
季節は冬。
父から聞いて、自分で口に出して考えて、エルフィスは前世の仕事のひとつを思い出した。ネットニュースを扱う会社で、務めていると時流に詳しくなった。あの頃も、確か冬だった。
そして自分が調べてなんとか書き上げた記事が、ひとつ蘇った。
タイトルは『鳥インフルエンザの流行』だった。
エルフィスがぐるぐる記憶の海を泳いでいると、母が尋ねた。
「昔、お父様の代で1度流行った病と同じなのかしら?」
「親父から聞いただけだから直接見たわけじゃないけど、その時の鶏の初期症状は顔の腫れや下痢、嘔吐だったらしいよ」
「その時の被害って、たしか……」
父と母、ふたりは揃って俯いた。
エルフィスは2人の表情と空気を察して、嫌な末路から逃れたい一心で声を荒らげる。
「お父さん!お母さん!なんとかならないかな?!」
「……なんとかって言ってもな……対策も出来ぬまに……全滅だったらしのよ」
「……ごめん……エル」
「そんな!昨日まであんなに元気だったのに!」
「「…………」」
静かな部屋に自分の声が大きくこだまして、エルフィスは我に帰る。
落ち着こう。冷静になろう。
もしこれが仮に鳥インフルエンザだったとして、前世の自分はどんな内容の記事を書いていたか。
ーー何万羽と現実感のない数のニワトリが殺処分されていた。
インフルエンザの場合、人間には薬があるけど、鳥には薬がなかった。
そもそもこの世界は、医学や薬学に疎い。
魔法でどうにかできなければ、諦めるしかないという考え方なのだ。
なら、今から王都へ行って鳥インフルエンザを治せる回復系魔法使いを探す?
回復塔に行けば、もしかしたらいるかもしれない。
けれど、いなかったらそれまでに蔓延してーー全滅だ。
潜伏期間は2〜9日程度だったはず。
なら……少しでも被害を減らす……しかない。
エルフィスは大きく深呼吸して、
「あの子を隔離しようと思うの」
「隔離?エル、何か知ってるのかい?」
「ううん、詳しく知ってるわけではないけど、感染する病なら今のうちにと思って」
「……そうか、なるほど!できることはやった方がいいね」
「ねぇ、エルーー」
納得した父を尻目に、母がいつもより低めの声で娘を呼んだ。何か策があるような感じではなく、娘の何かに期待するような声の波長に感じた。
「ーーあなた、昔っから変な感じがするって、よく言っていたわよね?家族の誰かが調子悪かったりすると、真っ先に気づくじゃない。今回も同じ感じなの?」
「あー、うん。そんな感じ」
「疲れているとは思うけど、全部のニワトリを見てくれないかしら?」
「もちろん見るよ!確証があるわけじゃないけど、やってみる!」
「ありがとう。やっぱり毎日一緒だから、1羽でも多く助けたいじゃない」
母の想いはエルフィスにとって嬉しいものだった。仕事は仕事で割り切れるタイプの母だと思っていたが、実際は動物も含めて家族のように思ってくれているようだ。
「わたしも助けたい!早速行ってくるね!」
「待って。お父さんは無理だから、私も行くわ」
父は己の醜態と母の言葉にガックリ肩を落とし、苦笑いを浮かべた。
一方の母はやる気満々で、袖を捲り上げる。
「ちょっと待って、お母さん。もしかしたらだけど、鳥の流行病でも人に伝染るかもしれないよね?なら、わたしひとりでやるよ」
「もしそうなら、尚更ひとりではダメよ。娘だけに危険な真似はさせられないわ」
「でもさ、わたしが見て判断するしかないの。少しでも被害を減らさなきゃならないのは、人間も一緒でしょ?」
「……まあ、そうだけど」
母は腑に落ちない様子だが、娘の言っていることは最もだった。
エルフィスは、鳥インフルエンザが人へ感染したケースがあると思い出していた。前世の自国ではなかったが、調べてみたら海外では感染者がいるとわかった。
前世ほどの万全な準備はできないかもしれないが、すぐ可能な範囲で対策を講じ、母を納得させようとエルフィスは考えた。
「素肌はなるべくださないようにする。もちろん口や鼻も。使ったものは全部焼却すれば、きっと大丈夫だから」
「……わかったわ。今回はエルじゃないと難しいし、折れることにする。けどね、自身の体調が悪くなったと思ったらすぐ言って。王都まで行くから」
「ありがとう、お母さん。行ってくるね」
意気揚々と部屋を出て行った娘を見て、母は小さく呟いた。
「知らない間に立派になったわね」
「エル、凄いな。俺でも思いつかないことをすらすらと……」
娘に対して母は関心し、父は親として危機感を抱いた。だが、互いに頬は緩んでいる。
我が子の成長は、何より嬉しい。
ふと、母は思った。
「あれで、どうして仕事クビになっちゃうのかしら?」
「……なんでだろう」
「……ツキがない……のかしらね」
両親は娘の不運を嘆くほかなかった。
作品への評価、ブックマーク、いいね、誤字報告をくださりありがとうございます!
読んでくださってる方がいると知って励みになりました。
今後ともよろしくお願いします。