最低の初対面
「ありがとうございましたー!」
牧場の直売所から元気なエルフィスの声が轟く。
実家に戻り、手伝いを始めてから1週間以上が経過し、厩舎で汗を流し働く姿も、直売所で快活に接客する姿も板に付いてきた。
母ユリスは娘の働きぶりを評価し、直売所での営業を任せ、父ボルドフの王都への出荷の手伝いに回っている。
それだけでかなり仕事量が分散され、フェーブル家に少しゆとりができつつあった。
なので今、エルフィスは直売所でひとりである。
時計に目をやると、もうすぐ11時になろうとしていた。昨日、酒場の女将さんが買いに来たので、今日のところのお客さんはおそらくあとひとりだろう。
エルフィスは最後のお客さんに備えて、鏡の前で身なりを整え、姿勢を正して待つ。
木の扉がゆっくり開き、エルフィスは笑顔を作り、大きな声をあげる。
「いらっしゃいませ、クレムリ様」
「こんにちは、エルフィスさん」
領主代行のスコルティシュ男爵家の使用人、ローレイ・クレムリがいつものようにやってきた。が、ローレイが誰かを招き入れるように、扉を大きく開いた。
入ってきたのは学生服のようなブレザーを着た金髪の少年。シルクのように細く、陽光に照らされると白に映るほど透明感のある金の毛髪。さらさらとなびくたびに、きらきらと眩しい。
しかしサングラスのような黒メガネが白い肌と相反し、とても違和感が強い。
エルフィスは見惚れるというよりも、驚きに近い感覚でぴたりと停止していた。
金髪の少年がメガネを外すと、エルフィスの驚きが、さらに増した。
赤ーー黄ーー緑ーー青。
光の反射によって変わる瞳の色。
ゆらゆら、きらきら、くるりん。
瞳の中に妖精が住んでいるのではないかと見紛うほど神秘的に見えた。
「おい、おまえ。いつまで人の顔をじろじろ見ている」
「あっ!すみません。とても綺麗な瞳なので、つい見入ってしまいました」
いきなり失礼を働いてしまったエルフィスは不自然に視線を逸らすが、金髪の少年はぐいっと顔を近づけてきた。
「えっ?なんでしょう?」
エルフィスは体を反らし、距離をはかる。
「同い年には思えんな」
「えっ?私とあなたは同い年なのですか?」
「まだまだお子様だな。おまえ、接客するのならば化粧くらいしたらどうだ?」
なぜ自分の年齢を目の前の男が知っているのかはさておき、初対面で大変失礼なことを言われたことに、常識的な方であると自覚しているエルフィスはややムッとして言い返す。
「動物の中には化粧品の匂いが嫌いな子もいるんです」
「ほぉ。おまえは女であることよりも動物を優先するのか。変わってるな」
「私の家は動物のおかげでご飯が食べられているんです。みんなにストレスなく生活してもらうことが何より大事です」
「おまえ自身の匂いが嫌いな奴はいないのか?」
「そんなの知りませんよ!女性に匂いのことをとやかく言うのは失礼ではありませんか!?それに、さっきからおまえおまえって何なんですか!私はエルフィス・フェーブルです!」
カッチーン。
エルフィスがキレた。頬を膨らませ、顔を赤らめ、鼻息を荒くする。
彼女にとって、匂いの話は唯一の地雷だ。かつての同級生からの匂いいじりのせいで、珍しく怒りを全面に押し出した。
すると、扉の入口付近にいるローレイが、くすくすと笑い始めた。
「ノクス様、その辺でおやめになってください。エルフィスさんは貴族女性ではないのですから」
「……ノクス様?えっ……もしかしてーー」
エルフィスの顔色が、赤から青へ変わっていく。
スコルティシュ男爵家の、たしか次男が、ノクスレインという名前だったのを、帰ってきてから母に聞いた。そもそもローレイと一緒にいるのだから、男爵家の関係者だと気づくべきだった。
勢いよくエルフィスは腰を折った。
「ーー大変失礼しました!」
「いいのですよ、エルフィスさん。今のはノクス様が悪いのですから」
「おい、ローレイ。なぜ俺が悪くなる」
ノクスレインは王都で教育を受けていたので、貴族との絡みばかり経験してきた。年頃になれば女はみな厚化粧になり、素肌をさらしている方が違和感を覚えてしまう。
自分が指摘されたことに納得のいかないノクスレインを差し置いて、ローレイはエルフィスに綺麗な笑みを向けた。
「エルフィスさん、牛乳を1本いただけますか?」
「……あっ!はい!どうぞ、こちらです!」
「いつもありがとうございます。明日もよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、ありがとうございます」
ややひきつりぎみではあるが、なんとかエルフィスも笑顔で接客した。
「さあ、ノクス様。帰りましょう」
「……」
ノクスレインは、エルフィスをちらっと見て、店内をぐるりと見渡してから、何も言わずにローレイに促されるまま帰って行った。
「……なんだったの、いったい」
静まり返った部屋に、エルフィスの小さな声が漏れた。
冷静になって思った。
これは、ヤバいのでは?
本当に失礼を働いてしまった……。
こめかみを嫌な汗が一筋流れた。
◇
牧場をあとにした馬車の中、ローレイ・クレムリは向かいで腕組みをしているノクスレインに問う。
「どうでしたか、ノクス様」
「なぜ俺が悪い。意味がわからんぞ」
「まだそんなことを……。エルフィスさんは庶民なのですよ。貴族女性の嗜みや常識の外にいる方です。毎日汗を流して働いていますので、かえって化粧していると気持ち悪いのかもしれません」
「……そんなもんか」
頭のいいノクスレインではあるが、一般人の暮らしや女性の扱いを、早急に教えなければならないとローレイは思った。
「ノクス様。エルフィスさんの魔力はいかがでしたか?」
本題へ戻すと、ノクスレインは姿勢を変えた。前のめりにローレイへ顔を近づける。
「あれは、金になるぞ」
下卑た表情だった。
高等教育時代に下級貴族とバカにした奴らを見返す。成り上がりを目論む理由は、復讐のごとき暗い感情であまりに虚しい。
仮にそれを達成したとして、先に待つのは虚無だけだ。
ローレイは経験則からそう理解しているが、今は指摘せず、とぼけて話を合わせた。
「エルフィスさんは回復系ではなく、お金を生む創造系の魔法使いだったのですか?」
「そんなわけあるか」
ややへそを曲げるノクスレイン。
深い闇にのめり込ませるより、呆れられるほうがよほどいい。
ローレイの思惑通りになったところで、本題へと戻る。
「お金を生むと申されましたが、エルフィスさんは魔法が発動できないわけではないと?」
「あやつは魔法を発動できないのではない。俺と同じ、特異体質だ」
「なるほど。ノクス様と同じですか」
それからノクスレインは直売所で見た光景を、ローレイに話していく。
エルフィスからは常に緑と黄の魔力がゆらゆらと溢れ出していたこと。
その魔力は彼女の周囲を覆っていて、半径2メートルくらいまで効果を発揮しているということ。
ごくりと喉を鳴らしてから、ローレイが満を持して尋ねる。
敬愛するイレナの恩人は、どのような魔法を使うのか、多大な興味があった。
「魔力の種類もおわかりに?」
「かつて魔法石版で回復系と判定されたのを前提とし、ここからは推測になる。
まず回復系魔法の緑色は『祈り』だ。祈りの効果は、魔力の持ち主が対象に幸福をもたらすとされている。この対象というのは、人にのみ有効なものだ。
次に黄色は『福音』で、良い知らせを授けるもの。生命力あるものすべてが対象になる。つまり、この双方の魔法の中間に位置する可能性が高い魔法。それは『祝福』だ」
「……祝福ですか、初見ですね」
魔法には、抽象的な効果のものも多い。
使い手や相手の意思や願望に依存することだってある。
特に回復系魔法は曖昧なものばかりだ。
ノクスレインは王都で多くの魔法使いを目にしてきた。回復塔にはもちろん行ったことがあり、知識として、己の強みとして、見聞を広めてきた。
魔力が色で見えるノクスレインだからこそ、こうして世間では知られていない部分を、憶測ではあっても知ることができる。
そんな希少で貴重な才能を、世のため人のため、トルカティーナ王国の繁栄のために使おうとしないのは、ノクスレインの野心のせいだろう。いや、下級貴族なので力を蓄えてからの方がいいというのは、あながち間違いではない。今その力を世に知らしめたら、もしかすると権力や武力に泣きを見ることだってありえる。
「ノクス様、失礼ですが祈りと福音の中間に位置する可能性が高いと、祝福について申していましたが……つまるところ、祝福の効果自体は明確になっていないということでよろしいのでしょうか?」
「そういうことだ」
「未知ではあっても、エルフィスさんの魔力を宿した牛乳がイレナ様を癒した。で、よろしいですか?」
「おそらくは……そういうことだ」
「なるほど……ひとつ気がかりなのは、エルフィスさんの魔力総量は最低評価の1です。それでも可能なのでしょうか?」
これまでの質問には、どこか自信のないような歯切れの悪い返答だったが、今回の質問にノクスレインは鷹揚に頷いた。
「ああ。ローレイよ、考えてもみてくれ。1しかない魔力でも毎日長時間浴び続ければ、日に日に効力が増していくと思わぬか?ましてや『祈り』や『福音』という願いや希望に沿うような抽象的な魔法なのだからな。回復の蓄積上限などあってないようなものかもしれぬぞ」
なるほど。とローレイは静かに頷いた。
ある程度の検討がついたところで、馬車はスコルティシュ家の屋敷に到着した。
扉を開き、ノクスレインの下車をエスコートしたところで、ローレイは独語する。
「幸福をもたらす祈りと良い知らせを授ける福音…………牛にとっての幸せとは、何なのですかね?」
「……さて」
首を傾げるノクスレイン。
ローレイは手に持っていた牛乳を、顔の高さまで掲げた。2人はそれをじっと覗き込む。
ノクスレインは黒色のメガネをずらし、裸眼で牛乳をよくよく見つめた。
ただただ真っ白な牛乳。
エルフィスが放っていた黄と緑色の魔力など、どこにも感じられなかった。




