母と息子と使用人
「イレナ様。もう走るのはおやめになりませんか?もしお怪我でもされたら、お帰りになるノクス様に顔向けできませんよ」
「心配性ね、ローレイは。もう大丈夫よ!」
冬でも綺麗に整備されている裏庭の芝の上を、ノクスレインの母イレナ・スコルティシュは季節外れに咲いたヒマワリのような笑顔で駆け回り、クルクルと体を翻している。
長雨によって室内でうずうずしていた子供が、久しぶりに外に出てはしゃいでいるようで、まもなく40歳になる淑女がする行為ではない。
ローレイ・クレムリは頭を抱えていた。それでも転ばないようそばに付き添うだけで、決してやめさせることはしない。なぜならここ半年、ずっと床に伏していたのだから。
「母上!」
そう呼ぶ声がして、イレナはくるりと体を回し、満面の笑みで声の主の方へ走り出した。
「ノクちゃん!おかえりー!」
全力疾走から、ガバッと息子に抱きつく母。
遠心力を利用してくるっと回り、衝突の衝撃を緩和して、ノクスレインは母を迎えた。
まるで恋人のようで恥ずかしかったのだが、ノクスレインはグッと堪えて平静を装う。
「母上、もう私は成人です。いい加減その呼び名はおやめください」
「もうつれないなー。せっかく元気になった母に、開口一番それはないんじゃないのー?」
「もうよろしいのですか、お身体は?」
「この通り!元気いっぱいよ!」
腰に手を置き仁王立ちして健全を訴える母に、ノクスレインは呆れと安堵の混ざった息をひとつ吐く。
その後ろから、ローレイが綺麗なお辞儀をして声をかえる。
「ノクス様、おかえりなさいませ。お迎えにあがれず申し訳ありませんでした」
「かまわん。ローレイも元気そうでなによりだ」
「はい。おかげさまで健やかです」
「母上、ローレイを少しお借りしてもよろしいのですか?」
「帰ってきてすぐに仕事の話?母、寂しいー」
駄々をこねる母に、ノクスレインは真剣な表情(いつもの仏頂面)で返した。
「母上が元気になられた要因を探さねばなりません。もしかしたらこれからのスコルティシュ家にとって、最も重要な案件になるかもしれないので、快気祝いは後日にしましょう」
「快気祝いしてくれるの?やったー!」
「もちろんです。ですから今は休んでください。筋肉痛にでもなったらそれこそ楽しい祝いの席ではなくなりますよ」
「約束ね、ノクちゃん!」
「えぇ」
少女がそのまま大人になってしまったような母を、なだめるのはとても容易い。
近くに控えていた別の使用人に母を預けたのち、ノクスレインはローレイに向き合う。
「ノクス様は、相変わらずイレナ様の扱いを心得ていますね。さすがです」
「母上をモノ扱いするな」
スコルティシュ家は家族を大切にしなければならない。その空気感が次第に町へと広がっていくことで、町はより良くなる。父の教えだ。
ローレイが決して母をぞんざいにモノ扱いしたり、無礼な振る舞いをしないとわかっているからこそ、ノクスレインなりのわかりにくい冗談のような返しだったのだが、実にわかりにくい。
しかしローレイはしかと理解した上で、頬を緩めながらも形だけの謝罪をする。
「これは大変失礼しました」
「手を焼かせてすまんな」
「とんでもございません。また元気なイレナ様のお世話ができる。それだけで感激の境地ですので、苦労ではございませんよ」
「ローレイ、2人で話をしよう」
「かしこまりました」
二人はノクスレインの私室へ向かった。
◇
自室にてノクスレインは、ローレイから母の回復の経緯を聞いた。
まず、3日前からイレナのメンタルが前向きになった。それまではベッドから起き上がることも億劫そうで、自力で立ち上がり歩くなんてもう半年もなかったのに、突如として自ら起き上がり『歩けそうな気がする』と久しぶりに笑顔を浮かべた。
2日前には顔色がよくなり、活き活きと話をするようになった。そして立ち上がり、自室を歩き回った。
『痛くない……もう、ほとんど痛くない』
その言葉を聞いて、ローレイの瞳にじんわり涙が滲んだ。
昨日、ついに1人で屋敷内を出歩くようになった。この時にはもう痛みは全くなくなっていたとのこと。以前は手や足先を軽くぶつけただけで赤黒く腫れてしまい、数週間は痛みが残った。今ではぶつけても腫れないし、嘘みたいに痛みはすぐに引く。
それで今日、元気に走れるまで回復した。
「なるほど。ローレイの見解は?」
「イレナ様の回復に何かしらの魔力が関わっていなければ、なのように急速な寛解はないものと考え、日常に変化点はなかったか思い返しました」
「あったのか?」
「ございました。1週間前から1点だけ、確実な変化がーー」
ローレイは自信ありげに人差し指を突き立てた。
彼はとても優秀な使用人で、イレナに朝から晩まで付き添い、身の回りのことのすべてを担っている。分単位でスケジュール管理をする完璧人間だ。
その中での変化とはいったいなにか。1点だけとローレイが断言するのだから、どれだけとんでもないことか。
ノクスレインは身を乗り出し興味を示す。
「ーーイレナ様が好んで毎日いただいている牛乳の生産者に、1週間前よりひとりの少女が加わりました」
「牛乳……少女……?」
「イレナ様のお身体を考え、新鮮なものをご提供したく、わたくしは自らの足で毎日買い出しをしています。その買い出しや取引の内容には一切の変化はありません。買い付けている牛乳自体に変化があるかはわかりかねますが、唯一の違いはそこに少女が増えたということのみなのです。わたくしは記憶力に自信があります」
そう言い切ったローレイをノクスレインは疑わない。
ローレイは下級ではあるが魔法を使え、元剣士の一族の生まれなので剣技や体術は折り紙つき。さらには知識や知性に長け、冷静かつ広い視野の持ち主なので、使用人の領域に留まらず護衛も兼任している猛者なのだ。
「なるほど。その少女が何かしらの魔法使いであるかどうかを、俺が見極めればいいということか。人使いが荒くなったな、ローレイ」
ノクスレインは鼻で笑ってから、ローレイを眼光鋭く見定める。
母の回復、自分が帰郷してきた時期、そのどれもが噛み合いすぎて、有能な使用人の手のひらの上で転がされているようで不快だった。まあ、実際はただタイミングが良かっただけだとわかっているので、これもノクスレインなりの冗談発言なのだが、やはりわかりにくい。
ローレイからの説明と己の思考を巡らせているうちに、ノクスレインは素を見せ始めていた。
表立っては貴族として"私"と体裁を保つが、彼本来の一人称は"俺"で、使われたり利用されるのは御免。いわゆる俺様タイプの次男坊なのだ。
「いいえ。ノクス様にお願い申し上げたいのは、少女の魔法の効果を解明してほしいのです。わたくしのみの調べでは限界があり、ぜひともお力添えを願いたく存じます」
「ほぉ……未知の魔法ということか。ここ数日でそこまで調べあげているとは、さすがだな」
何度も言うが、ローレイはノクスレインのことはよく理解している。
ノクスレインの力に頼りたい、と素直に言えば嫌な顔をされる。受けてくれるのは、精々父アレクスの頼みだけだろう。ノクスレインは体裁を気にする。だから彼の好みに合わせた言い方をするのだ。
自分の力では無理。貴方様の力でしか叶わない。そんな物言いだ。
なぜノクスレイン・スコルティシュでないと難しいのか。それは彼の魔法が、鑑定系・魔力だからである。
『相手の所持する魔力が見える』
それはそれは貴重で恐ろしい能力だ。
庶民が基本的に己の保有する魔力を伏せるのは、悪用されたりしないよう身を守るための自衛である。
一方、貴族の場合は2パターンあって、まずは公開する側。強い力を誇示して一族の繁栄に利用する。特に上級貴族に多い。
対して庶民同様に秘密にする側は、これから成り上がっていく者、つまりは中から下級貴族である。ただし攻撃系であれば中下級貴族であっても秘密にする必要性は薄いが、鑑定系ともなるとそうはいかない。効果によっては警戒されるし、危険性が高いと判断されれば闇討ちだって起こり得る。
ノクスレインの場合、相手の魔力が一見しただけでわかる。効果や威力、そのすべてが丸裸にされると言っていい。隠したいのに簡単にバレるとわかれば、陰で暗躍を目論む貴族に、一族ものとも迫害を受けることだってありうる。
だからノクスレインは王都で教育を受けている間、鑑定系・魔痕の持ち主だと偽った。
『魔法を使用した痕跡が見える』
そう嘘の能力を周りに広めた。実際、ノクスレインの目には魔力の揺らめきが見えるので、魔法の使った痕跡が本当に見える。よって真っ赤な嘘ではないのだ。
しかし、ひとつ弊害があった。
その魔法はノクスレインの意思で発動できるわけでなく、常時発動し続ける。というブレーキのない暴走列車。特異体質とも言える。
ノクスレインがサングラスにも似た黒いメガネをかけているのは、その制御をするため。彼の目は常に魔力を視認しているので、世界がカラフルに煌めき過ぎて見えてしまう。幼少期はそのせいでずっと目眩や吐き気に襲われていた。
魔力を遮断する特殊加工の黒メガネをかけてからは治まったので、魔力の鑑定をする時以外は着用している。
ローレイは、ノクスレインに調べあげた内容を伝えていく。
「少女の名は、エルフィス・フェーブル。18歳。ノクス様と同い年ですね。彼女には4つ上の兄がいますが、畜産農家フェーブル家の長女となります。ここスコルティシュ領で初等・中等教育を受けたのち、王都で仕事に就くも、冬眠準備で3度の解雇にあい、先週帰郷してまいりーー」
「ーー人となりはどうでもいい。魔力は?」
ノクスレインはローレイの発言を最後まで聞かず、先に急かした。
不必要を嫌うのも、ノクスレインの性格だ。
「失礼しました。回復系です」
「派生はなんだ?しかしなぜ回復塔に務めていない?」
「それが教育現場の資料を拝見した限りでは、回復系の魔力はあると判明しているのですが、魔法として発動できなかったようです。魔力総量も1と記載がありました」
「回復系で実例が少ないものは多々ある。この町の教育では不十分だ。王都まで行くべきだったな」
「……お言葉ですが、庶民には金銭的に難しいのですよ」
「そうか……」
ノクスレインは庶民の生活に疎い。だが魔法には非常に精通している。鑑定系・魔力という実に珍しい能力が有しているので、王都で魔法に関することを相当学んだ。有利を強みに変えるべく、彼は学問に大変励んできた。
話が脱線したので本題に戻す。
ローレイはやや大袈裟に肩を落としてみせた。
「実例の少ないものであれば、イレナ様が回復した要因はやはりわからず終いですか」
「何を言っているローレイ。俺が王都へ遊びに行っていたとでも思ってるのか?」
「滅相もございません」
「自分の能力を最大限に活かすためだ。すでにその下地はできあがっている」
「ノクス様、重ね重ねの無礼をお許しください」
ローレイは胸に手を添え、深く頭を下げた。忠実なる使用人らしい姿勢に映るが、下を向いた顔には少し笑みが浮かんでいる。
無理か……と落ち込んだようにみせて、ローレイはばれずにノクスレインを煽った。有能すぎると何だか悪役にみえてしまう。
いいか、ローレイ。とノクスレインは意気揚々と話し出した。
「魔力には色がある。お前らには見えんだろうが、体に内包している魔力でも俺はしっかり見えている。効果が近いものは色も似る。つまり実態がわからずとも、回復系の近しい色のものに必ず似る。エルフィスという少女を一見すれば、答えはすぐにでもわかるだろう」
「さすがノクス様です」
「明日も牧場へ行くのだろう?俺も同行してやろう」
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
ローレイは再び頭を下げた。またしても伏せた顔に笑みが浮かぶ。
ノクスレインは利用されることも、指示されることも嫌う。だが、興味のあることや己の利になることは自ら進んで行動をする。
彼が気分良く動けるよう、ローレイがうまく下手に出ながら誘導していることは知らないままでいい。
見聞を広め、大きくなって帰ってきたノクスレインだが、10歳も年上のローレイにはまだまだ及ばぬのだった。




