少年の帰郷
東の町スコルティシュで最も大きな屋敷のロビーに、1台の馬車が止まった。
中から姿を現したのは、サングラスのように濃い黒色のレンズのメガネをかけた少年。白に見紛えそうなほど透き通った金髪に、紺色のブレザーの学生服はどこかコスプレ染ている。
その少年を出迎えた青年は、柔らかい微笑みを向けた。
「おかえり、ノクス。長旅ご苦労だったね」
金髪の少年ノクスレイン・スコルティシュは、出迎えてくれた青年にやや困惑気味な表情をした。
「ただいま戻りました、兄上。ローレイはどちらに?」
「彼は今、手が離せないんだ。すまないね、出迎えが僕だけで」
弟ノクスレインに兄と呼ばれたのが、ラーグルス・スコルティシュ。
彼らは腹違いの兄弟ではあるが、それなりの仲である。
兄ラーグルスは、第1夫人の子。
弟ノクスレインは、第2夫人の子だ。
ノクスレインが名指ししたローレイとは、以前フェーブル家の牧場の直売所に牛乳を買いに来た使用人である。第2夫人である母の専属使用人であり、王都からたまに帰ってくるノクスレインの世話もしている。
今回は一時的な帰省ではなく、完全なる帰郷なので、出迎えてくれるものだと思っていたから拍子抜けした。
兄の自虐的な返答に、弟ノクスレインは慌てるでも取り繕うでもなく、淡々と切り返した。
「兄上が出迎えてくださるなんて、想像もしていなかっただけですよ。とても光栄です」
「ならよかったよ。実家に帰って早々ガッカリさせてしまっては、ノクスに申し訳ないと思ってね。もし機嫌を損ねて、やはり王都に戻るなんて言われたら、父上に怒られてしまうよ。ハハッ」
「申し訳ないことなど微塵もありません。俺への過度な気遣いは無用です」
ラーグルスは冗談交じりに笑顔で会話をするが、ノクスレインはあまり表情が豊かではない。真顔か眉を下げて訝しむ、兄ですらそれくらいしかノクスレインの表情を見たことはないのだ。
むしろノクスレインは、兄に子供扱いされているようで内心ムッとしていた。
「さぁ、父上がお待ちだよ」
「わかりました。向かいましょう」
無愛想な弟にも関わらず、それでも兄は嬉しそうな微笑みを湛え、屋敷の長い廊下を足早に進んだ。
「おお!ノクス帰ったか!疲れたろう、そちらに掛けなさい」
兄弟は父アレクス・スコルティシュの書斎に訪れると、笑顔で席に通された。
白髪混じりで優しげな頬の皺が似合う父に、ノクスレインは深々と一礼をする。
「お久しぶりです、父上。王都で無事に高等教育までの過程を修了してまいりました。これからそのご恩を返すため、領地の運営に助力させていただきます」
「恩などあるものか。大事な息子に確かな教育を受けさせるのは、親の務めだ。紅茶でいいかな?」
「ありがとうございます。いただきます」
兄弟は並んで席につき、父は入口にいた使用人に紅茶を3つ注文した。
ノクスレインは12年間の教育を受けるために王都で暮らしていた。
ここスコルティシュでも初等から中等までの教育は受けられるが、高等教育になると王都へ行かなければならない。
兄ラーグルスは初等6年・中等3年とスコルティシュで学んでから、高等の3年間だけ王都へ行った。
一方ノクスレインは、初等の段階で王都へ向かった。その差は、彼らの魔力に大きな違いがあったからだ。
スコルティシュ家は代々土魔法を得意とする家系だ。父アレクスと兄ラーグルスも攻撃的な土魔法の使い手で、その力を駆使して領地スコルティシュを魔獣などの驚異から守っている。
彼らとは違ってノクスレインは鑑定系の魔法使いだと幼少期に判明した。これは第2夫人である母方の遺伝が強かったため、そして鑑定系は専門的に学べば大きな才になる可能性を秘めているので、ノクスレインは6歳にして王都へ向かったのだ。
「ノクス。帰ってきて取り急ぎで悪いんだが、これからのこと、どうするか考えているかい?」
アレクスは出された紅茶をすすりながら息子に尋ねた。
「父上はスコルティシュ領を発展、もしくはより豊かにされたいとお望みですか?」
「そりゃあもちろん望んでるよ。町民の身の安全と安定した生活は、ずっと守っていかねばならぬものだ。我々は彼らのおかげで領主代行の任を長らくまっとうできているわけだからね」
「申し訳ありません、愚問でした」
「ノクス、単刀直入に聞いたらどうだい?僕も父上も、怒ったりなんかしないさ」
兄ラーグルスが割って入った。
兄の表情は常に柔らかく飄々としているが、感の鋭いところは相変わらずだ。
父は心から領民を思う善人だ。民から愛されているのも頷ける誠実な人柄で、もちろん尊敬している。
対して兄は、一見父と同じような雰囲気をまとっているのだが、内に秘めているものは不透明で、一言で表すなら狡猾、だろうか。
ノクスレインは居住まいを正した。
「父上、陞爵はお望みではないのですか?」
陞爵とは、貴族としての位をあげること。
『最下級貴族である男爵から抜け出す気はあるのか』
それがノクスレインの真に尋ねたいことだった。
王都の高等教育とは、高位魔力の持ち主が集う場だ。言い換えれば、貴族の社交場の側面もある。
ノクスレインは地方からきた最下級貴族であったため、高等教育の場は決して居心地が良いものではなかった。
貴族位でしか相手を測れない令嬢。
攻撃魔法こそ、力こそ正義だと盲信する令息。
馬鹿ばかりでうんざりした。
兄ラーグルスが弟の本音を引き出したということは、同様な思いを少なからず王都で感じたからに違いない。
父アレクスは顎に手をやってしばし考えた。
「んー、そうだね。陞爵して正式な領主になれれば、もっと領民に還元できるかもしれないね。私とラーグで今の体制を保ち、ノクスにその辺のことを頼んでもいいだろうか?」
「父上……それはつまり、私は好きに動いていいということですか?」
「そうだね。ノクスは我が家で誰よりも王都で顔が利くだろうし、せっかくの類稀なる才能があるのだから、それを存分に活かしなさい」
「わかりました。スコルティシュ家のため、全力で努めさせていただきます」
ノクスレインにとって、これは頼りにされているのか、丸投げされたのか、なんとも判断の難しい展開となった。
しかしながら、自分の学びや積み上げてきたことを思う存分発揮できるのは、野心家であるノクスレインにとっては好都合である。
王都で辛酸を嘗めたことを忘れない。
その借りをいつか返すため、我が家を成り上がらせるのは自分だと、内心で息巻いていた。
「そうだ、ノクス。先に伝えようと思っていたことがあったのだが、すまない後回しにしてしまって」
父が唐突に表情を引き締めた。
なんだか嫌な気配。
「何でしょう」
「イレナのことなんだが……」
「母上がどうか……まさか……」
ノクスレインの母イレナ・スコルティシュは闘病中だった。どこかに足や腕を軽くぶつけただけで酷い激痛に襲われたり、最近では地に足をつけることすら痛みを感じ、歩行困難になりつつあると聞いていた。元気をなくし、ベッドの上での生活が増えているのが現状だったはず。
母専属の使用人ローレイが忙しいということは、つまり……。
ノクスは眉を八の字にして、息を呑んだ。
「いやいや、ノクスすまない。変な空気にしてしまったね」
「父上も人が悪い。ノクスの生唾を飲む音が僕の方にまで聞こえてきましたよ」
父と兄が急に笑い出した。
「イレナが元気になりすぎて、ローレイが大変手を焼いているんだよ」
「え?」
元気になりすぎて?
父の発言に、ノクスレインの口がぽかんと情けなく開いた。彼にしては珍しい間の抜けた表情。
「義母上は、今も庭を元気に走り回ってるんじゃないかな?」
「は?」
元気に庭を走り回る?
兄の発言にノクスレインはますます意味がわからないと、黒レンズの下に隠した瞳が訝しげに揺れた。
和みすぎた場を整えるように、父がひとつ咳払いをする。
「ノクスよ。イレナの病が治った要因を、調べてはもらえぬだろうか?領地のためになり得る可能性を大いに秘めていると、私は考えている」
「……えぇ、かまいませんが」
「ありがとう。ローレイが経緯には1番詳しいだろうから直接聞いてみてくれ」
「……わかりました」
「おそらくノクスのその目がなければ、わからず仕舞いになりかねぬのだよ」
「つまり、何かしらの魔力が関係しているということですか?」
「ローレイはそう読んでいるようだ」
「なるほど……謹んでお受けいたします」
「頼んだよ、ノクス。我々も全力で支援するし、イレナの恩人にはできる限りの褒美や名誉を与えたい」
父は真摯にそう言った。
我が家は地方の最下級の男爵である。貴族であっても決して余裕がある身ではないのに『我々も全力で支援する』と言い切るのだから、それは家総出でという覚悟だ。
民を第一に考え、家族を己より優先する優しい父。
兄の母、第1夫人はもうこの世にいない。それなのに母イレナを未だ第2夫人と称しているのは、亡き第1夫人に未だ変わらぬ愛を注ぎ続けているから。第2夫人もまた誰よりも父に愛されている。
最愛の妻の恩人なのだから、本腰を入れて感謝をし、手厚くもてなしたいのだろう。
帰郷早々、ノクスレインは大役を任されたと強く自覚した。
「承知しました。私も父上のお役に立てるよう全力を尽くします」
「ありがとう。話は以上だ。ノクス、早くイレナの元へ行ってやってくれ。お前の帰りをずっと待っていたからね」
「かしこまりました。ありがとうございます」
ノクスレインは父と兄に見送られ、部屋をあとにした。
王都の回復塔にまで連れていったが、母イレナの病は治らなかった。やや諦めに近い心持ちであった。
先週、実家に帰ってくる前にローレイとやりとりした手紙には、回復傾向にあるだなんて一言も記されていなかった。
こんな短期間で、いったいなにが……。
ノクスレインは襟を正し、我が家の庭へ颯爽と向かった。




