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似た者同士

自宅のキッチンにエルフィスたちがやってくると、そこにはボサボサ髪の兄マークリフが水を立ち飲みしていた。

どうやらまるっきりの寝起きらしい。

母が兄の横を通りすがりに、寝癖の激しい頭をガシガシと撫でた。


「おはよう、マーク。昨日は遅くまでお疲れさま。よく寝れた?」


「おはよう、母さんたちのおかげで寝過ぎちゃったよ。おっ!ホントにエルが帰ってきてる。おかえり」


「ただいま、マーク兄さん。これからお手伝いさせてもらうので、よろしくお願いします」


親しき仲にも礼儀あり。エルフィスは深く腰を折って頭を下げる。


「おう、よろしくな。困ったことがあればいつでも言ってくれ。母さん昼飯はこれから?」


「すぐ用意するからちょっと待ってて」


母はそのままキッチンへ。

兄はダイニングのテーブル席についた。


エルフィスは今朝の仕事中に、馬に関して思ったことをマークリフへ質問する。


「マーク兄さん、あのね、馬屋の一番奥にいたお馬さんなんだけど、餌あげても食べてくれなかったの。だから部屋のお掃除もしてあげられなかったんだけど、良かったのかな?」


「あぁ、リリィのことか。あの子はそのままで大丈夫。昨日ちょっとトラブルがあったことは聞いてるかい?」


「なにかあったとは聞いてるけど、詳しくは知らないよ」


「トラブルは、あの子に関してなんだ」


あのお馬さんの名前はリリィと言うらしい。

茶色の馬体に、金色の派手なたてがみ。4足すべてに靴下を履いているような白い模様があり、とても可愛らしかった。

だが餌をあげても動かずに食べてくれない。

だからエルフィスは心配になって兄に聞いたのだ。


「ちなみにトラブルって?」


「リリィはもともと王都にいて、女の子なんだけど騎馬隊に所属するほど脚が速くて、何より走るのが大好きな子だったんだって。だけど訓練中の怪我で走れなくなって、リリィとバディを組んでた兵士さんがゆっくりと余生を過ごして欲しいってことで、3年前にうちに来たんだ」


「そうなんだ……怪我は残念だけど、大切にされていたんだね」


「そうだね。ここにきて脚の怪我自体は癒えたんだけど、リリィ自身に走る気がないのか怖いのか……けど荷引きの仕事はしてくれるようになったから、最近頑張ってもらってたんだ」


怪我は癒えたが、走るのは怖い。

好きだったことに恐怖を感じるようになってしまうのは、きっと辛くて悲しい。


エルフィスは仕事をしたくてもクビになって、居場所が欲しいだけなのに居させてもらえない……。

そんな自分とリリィの境遇がどこか重なる気がして、少し表情に陰が差した。


そういえば自分が実家を出て王都に行く以前は、兄と比べられるのが嫌だった。両親に比較されたとか、周りに言われたわけではないけれど、子供の頃から立派に家の手伝いをする兄に勝手に劣等感を抱いていた。


家族で唯一魔力があるのに、何も成果を残せなかった自分。

中等教育まで受けさせてもらったのにだ。

今こうして自分の無力さを受け入れて、とにかく頑張ると決意して帰ってきたので、もうそんな悩みはない。

もうくよくよしない。

出来ることを精一杯やるんだ。

と内心で自分を鼓舞するエルフィス。


そんな妹を気遣ってか、マークリフはやや明るい口調で続きを話し出す。


「昨日もリリィを貸出してたんだけど、途中で荷引きをやめて動かなくなっちゃってね。お客さんに謝って、リリィを連れ帰るのに時間がかかっちゃったってわけさ」


「……どうしちゃったんだろう……リリィ」


「だからあの子はそのままにしておいて。ゆっくり休んでもらえれば、多分また動き出してくれるでしょ」


兄の空元気のような苦笑に、エルフィスもつられて笑った。


「昨日の残りでごめんねー」


母の明るい声で、場の空気が和らぐ。


「僕は昨日母さんのシチューを食べ損ねたからラッキーだよ」


そんな何気ないひと言ですら、兄からは母を大切にしていると感じられるし、立派で優しい人なのだと、エルフィスは敬意を払った。


食卓には昨晩のクリームシチューに目玉焼き付きの食パンが並んだ。目玉焼きがあるだけで、とても豪華に見えるのはなぜだろう。

卵は偉大である。

エルフィスは、ニワトリさんに胸の内で感謝を捧げた。


「エル、お父さん呼んできて!」


「はーい!」


元気よく牧場に向かっていくエルフィス。

その後、3年ぶりに家族4人全員がそろった食卓からは、笑い声が絶え間なく聞こえてきた。





午後はまた牛の乳搾りからスタートする。

早朝と昼過ぎに乳が出るとは、牛さんも大変なんだなぁ、とエルフィスは感心する。


今とれた牛乳は明日の出荷分になるようで、巨大な水の魔石がある倉庫、エルフィスの前世の感覚だとウォークイン冷蔵庫に貯蔵した。


動物たちの寝床に藁を引いたり、再び餌の用意をして、放牧していた牛を家に帰す。


隣の馬屋付近の敷地では、兄のマークリフが乗馬のレッスンを町民にしていた。

自分もお馬さんに乗れるようになりたいな。休みがあるなら兄にお願いしてみようと思ったが、動物相手の商売に果たして休みはあるのだろうか。

まあ、なくてもいいか。とエルフィスは諦めではなく、体を使って汗を流す充実感に満たされていた。


それにしても、父や母、兄に休みはあるのだろうか。




日が沈む前にすべての業務が終了した。


「エル。初日で疲れただろうから、ご飯までゆっくりしてなさい」


「ありがとう、お母さん」


「お疲れさま、エル。あとで呼びに行くから、気にせず休んで」


母と父に労われ、エルフィスは自室へ戻ろうとするが、一頭の馬が頭をよぎる。


「リリィ、ご飯食べてくれてるかな……」


エルフィスは休むことよりもリリィが気になり、再び馬屋へ向かった。





「リリィ。ご飯食べた?」


エルフィスはリリィ専用の馬房の前で、相変わらず寝転がっている彼女へ問いかけた。

返事を期待しているわけではないが、突然現れるより声掛けをしてからの方が驚かせないだろうという気遣いである。


「……全然食べてないね」


餌用のバケツには朝と変わらぬ量の牧草と人参が残っている。

水飲み用のバケツはやや減っているようにみえるので、まったく動いてないわけではないのだろう。ほんの少しだけ安心した。


「お邪魔します」


エルフィスは柵を開けて、怖がられないよう慎重に中へ入った。

馬房は3メートル四方の広さで、以前は騎馬隊に所属するほどの立派な馬体のリリィにとってはやや手狭かもしれない。


ゴロンと寝転がったリリィは、エルフィスが自分の部屋に入ってこようとも微動だにしない。しかし、耳だけがぴょこぴょこと動いているので警戒はしているようだ。


バケツの中の人参を手に取って、エルフィスはリリィの口元へ差し出した。


「お腹すいてないの?」


リリィはそれでも動かない。

食べる気も、エルフィスを相手にする気もなさそうだ。


数秒の膠着状態が続いてエルフィスはご飯を食べてもらうことを諦め、リリィの前にぺたりとしゃがみこむ。


脚の怪我自体は癒えたと、兄は言っていた。

本当にもう痛くはないのだろうか。

自分には、回復系の魔力がある。

だが、魔法としては発動できない。

それが今、本気でもどかしくなった。

せめて、なにか自分にしてあげられることはないだろうか。


そうエルフィスが思案していると、おもむろにリリィは首をもたげた。今日初めて会った人間の匂いが気になったのか、エルフィスの腕を嗅ぐ。

それからすぐにリリィは何事もなかったかのように、また目を瞑って首をだらりとした。


「悪い人じゃないって、認めてくれたのかな?」


リリィは先程より少しリラックスしているように見えた。それにエルフィスの腕に鼻息がかかるほどの近い距離でまったりとしている。


エルフィスはわずかでも心を許してくれたようで嬉しくなり、リリィの首筋を優しく撫でる。

触ってもリリィは動じず、エルフィスはさらに、顔周りを優しく優しく撫でた。

そして鼻を撫でた瞬間に驚いた。

むにゅむにゅ、いや、もにょもにょ?なんとも形容し難い手触りで、異常なまでに気持ちいい。

いつまでも触っていたい。ついつい何度も撫でていると、リリィが大きな鼻息をついた。


「ごめんね、リリィ。触らせてくれてありがとう」


それからエルフィスはリリィの体をまじまじと眺めた。矯めつ眇めつ観察していると、右前脚に違和感を感じた。

靄がかかっているような、どんよりとした重さ。

これは人相手にもよくあった感覚だった。

体調の悪い人や気が滅入ってしまっている人。

エルフィスが誰よりも先に、誰かの不調和を感じ取る時は、決まってこの重さをその人から受け取っていた。


「リリィ。ここを怪我しちゃったの?」


ゆっくりと、優しく、エルフィスは右前脚をさする。


痛いの痛いの飛んでけ。

なんておまじないが前世であったっけ。


遠い記憶が蘇り、苦笑した。

そんなことで、治るわけがないのに。

ならせめて、今この世界での自分には魔力がある。ないに等しいけれど、ありったけの気持ちを込めて、エルフィスは願った。


「リリィがまた元気に走れますように」


父が夕飯だと呼びにくるまで、長らくリリィの脚をさすり続けた。





翌日。

案の定、盛大な筋肉痛に見舞われたエルフィス。

だがそれが、かえって生きている実感になり、これからの頑張りに繋がった。


帰ってきてから一週間。

家族は泣き言ひとつ言わずに働くエルフィスに感心したが、当の本人は辛いだなんてちっとも思わなかった。

お世話をする動物たちは日に日に懐き、厩舎や牧場をエルフィスが移動するたびに、あとを追っかけていた。


なんだか、必要とされている気がした。


エルフィスにとって最も枯渇していた欲求が満たされていく。


スミヨフ工房をクビになったあと、財務のヴェライズが言ってくれた。


『動物なら応えてくれるかもしれない』


あの言葉に押された背中は、今、しゃんと伸びている。


リリィもエルフィスの献身性に感化されたのか、ちょっとずつ動くようになってきた。


そして、彼女の周りも大きく動き始めていた。

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