第二話:引力
起動を待つ間、佑生はスマートフォンを手にしていた。
スマホに送られた動画に映ったテレビは、いつも通り深夜の通販番組を映していた。
いつもと違うことがあるとすれば、上端にほんの少し、あまり画面に映る黒ニンニクの邪魔にならないように白文字で速報が流れていることだ。
「中央市で爆発事故。警官3名が意識不明の重体、車両の不具合とみて取り調べ…
マツイ:(この通りだ)
佑生は自分がテレビを見ない理由を再認識しながら、パソコンのほうを向く。
さすがに起動は終わっていたようだ。
ブラウザを開き、ツイッターのリンクを打ち込む。
ロードにかかるわずかな時間の間を本気で待ちわびる。
…しかしそこには何もないのである。いつも通り、夜勤中の人や、夜更かししている学生たちのぼやきがそこにあるだけで、騒ぎとは真逆の光景だった。
佑生:「嘘だろ?」
佑生はすぐにスマートフォンを手に取る。
U:(何もないんだけど)
マツイ:(何が?)
U:(ツイッターのページ。開いた?)
…
マツイ:(マジかよ…)
いたって真実である。
衝撃的なことが起きれば、基本的に人は他人からの共感を得ようとするものだが、共感どころか、そもそも動画について言及している者が一人も見つからないのだ。
佑生はすぐにツイートを書き始める。
危険が迫ったときの人間の本能、それは知らせることである。
誰も脅威に気づいていないときはなおさら、人は大きな声で騒ぎ立て、呼びかける。
佑生は、ネットで叫んだところで大きな音が出る人物ではないが、これだけのことが起きれば誰かしら反応してくれるだろうと期待していた。
だが、リンクが反応しない。
投稿に含まれたリンクは、自動的にクリックできるボタンになり、場合によっては小さなサムネイルが出てくるものだ。
しかし今はコピペしようが手打ちしようが、そのリンクは青くならない。
佑生は小さく舌打ちする。
佑生:「なんだよ、リンクすら…」
ここで佑生は、最悪の場合を考えてしまう。
慌ててスマホのブラウザのページを再度読み込む。
返答は早かった。
佑生:「404 ページ、ノット…は?」
佑生は、このエラーメッセージをどこかで見た気がしていたが、意味までは覚えていない。
検索をかけると、リクエストされたページが存在しないという意味のエラー。
過度な量のアクセスによるダウン、品切れではなく、そもそもメニューにない…そういう意味だと分かった。
佑生:「おいおい…」
U:(動画消えてる)
U:(どっか保存した?)
マツイ:(してない)
マツイ:(クソ)
マツイ:(ガチでウンチ)
幼稚極まりないが、打つ手はなくなってしまった。彼らはもはや駄々をこねることしかできない…
…そう思っていた時だった。
マツイ:(何か隠してるっぽくないか?)
佑生:「…だよな…」
U:(ここまでくるとそうとしか思えない。)
U:(でも誰かその動画持ってるんじゃないか?)
マツイ:(持ってたらもうとっくに広まってるだろ)
U:(でも何もないよ?)
…
マツイ:(持ってる奴ごと消された…ってのは言い過ぎか?)
そして野次馬は気が付いた。火事から出た火の粉はすでに自分の尻に火をつけているのである。
輝也だって動画を持っていた。
自分だってそれを見た。
メッセージにもブラウザにも履歴は残っている。
動画を保存したわけじゃないが…もし見ただけで、何か危険があるとしたら?
佑生は、窓の外の暗闇が少し怖くなった。
何もあるはずがないと思っていても、あっけなく消えたページを見ると、たとえ不合理でも、自分もボタン一つで消されそうな気分になってしまうのである。
…だが面白いことに、その焦りは、予想だにしない方向に昇華した。
U:(確かめに行かないか?)
佑生はハッとする。気が付いたら送信していたのだ。
佑生はスマホを置く。
佑生:「…」
彼は、そのメッセージを取り消したり、訂正したりすることなく、ただ画面を眺めながら自分を模索した。
なぜかそのメッセージを消す気になれなかったのである。
一時的な混乱ではない。確かに自分の意志で打ったことを、ゆっくりと咀嚼していたのだ。
…それが終わったとき、残った事実は、飲み込みがたいものだった。
彼は怒っていたのだ。
今まで指をさされた方に歩き、出されたものを食べ、言われたことを聞くだけ…そんな人であったはずの彼はいつの間にか、
佑生:「許されないよ…」
そう思ってしまっていたのだ。
人につぶされたハエが、ティッシュに包まれ、便所に流される。
そんな風に自分より大きな何かに抵抗する暇もなく押し殺され、見えないところに捨てられる。
被害者がだれなのか、状況が何なのか、そもそも起きたのか…何もわからないのに、そのアイデアが、とにかく、がむしゃらに、気に食わなかったのである。
U:(来れるか?)
引くどころか、彼はさらに押していた。自分の中で脈打つ警鐘に、耳は傾けなかった。
マツイ:(現場か?)
U:(そう)
マツイ:(気が合うな。俺も気になっちまった)
マツイ:(現地集合な?)
U:(おk)
現地がどこを指すのか。考えてしまい後ずさりをする前に、彼は食い気味に短い返答を送る。
パソコンの電源すら落とさず、佑生は玄関までそそくさと歩く。
ドアを開く…そして自分の部屋…ねぐらを見る。建物に空いた一つの穴。
そして大きく深呼吸して、外に出て、閉める。
これが、佑生が最後に吸った自分の部屋の空気である。
―――光るLEDとネオンのメッキが剥がれ落ちるのはあっという間で、繁華街に置いて行かれた佑生の感覚が薄暗い風景に追い付くまでに少しの遅延があった。
例の事件の現場は、角を曲がったところにある。
佑生:「ハァ…ハァ…ついたァ…ハァ…」
夜の涼しさと追い風…自転車に乗っていることもあり、運動不足の彼でも、自身が予想したよりも早く着いたらしい。
呼吸を落ち着かせながら、自転車を道端に停める。
そして脳に酸素が戻っていくにつれ、余裕を取り戻し、回りを認識し始め、事件の話以前にここにいることが危険だということを理解し始める。
今更だが。
明かりは、街灯がいくつか。人どころか車すらここを通っていない。
通勤と買い物だけしていれば通らない場所。スマートフォンを確認すると、今は午前1時。
ここは安全か?理性に聞けば、警察や、そもそも脱走した超能力者?テロリスト?
…とにかく危険人物が歩き回っていることを理解しているので返事はノー。
本能に聞けば、薄暗い暗闇、奥が見えない角、物陰、ちょっとした物音に反応し、激しく首を横に振る。
ではなぜ結局来てしまったのか?
答えは薄れかけていた。
???:「おい」
佑生:「―ッ!?」
佑生は、自分の背中に冷たい何かを当てられた気がした。
佑生:(見つかった⁉いや、現場についてすらないぞ!)
輝也:「どーだ?驚いたか?」
今度は聞き覚えがある。振り返ると、そこには満足げな顔をした輝也。
佑生が安堵のため息をつく。
佑生:「趣味悪いなぁ。」
輝也:「悪い悪い、いつもいい反応するからさ、定期的にやりたくなんのよ」
悪いとは言うが、この男は自分が悪いとは微塵も思っていない。
佑生:「…っていうかジャージだけで寒くないのか」
輝也:「すぐ終わるから別にいいだろ…」
…バカは風邪を引かない。そしてバカにつける薬はないし、バカはうつるものだ。
佑生もいつの間にか、安心を取り戻していた。
輝也:「よし、じゃあ早速だけど、行ってみるか!」
佑生:「…そうだな」
二人は角を曲がると、佑生がすぐに引き返しながら後ろにいた輝也を曲がる前の位置に押し込む。
輝也:「なんなんd…
佑生:「シィーッ」
佑生が角の先を指さす。その奥を角から顔を出してのぞくと、その奥には腕を組んだ警官と何かを話している若い男性がいた。
耳を澄ませば、かろうじて声が聞こえる。
???:「ここから先は立ち入り禁止だ。」
???:「えぇ?頼みますよ。ここを通らないと遠回りになるんですよ。」
???:「いや、ここから先が立ち入り禁止なんですよ。テープあるでしょ?」
二人が囁く。
輝也:「事故現場に正面から入ろうとしたのか?うまくいくわけないだろ…」
佑生:「いや、俺はさっき見えたんだけど、歩道丸々封鎖されてるよ。あれ。」
輝也:「はぁ?そこまでするのかよ…ますます怪しいな。」
動画を思い出せば、この先何メートルか歩いた場所には、爆発したパトカーがあるとわかる。
見られたくないということはそこに重要な手掛かりがあるかもしれない。
輝也:「で、どうするよ」
佑生:「そうだな…できるだけ近づいて車とか建物の中とか見ようと思ってたんだけど、
これだと門のネームプレートすら見えそうにないからね…」
期待は落胆に変わり、それは興奮でせき止められていた疲労とともに二人にのしかかる。
輝也:「あーあ、明日仕事あんのに、こんなとこで何やってんだろ、俺たち。」
佑生は、思考を巡らせていたが、使えそうなアイデアは浮かばない。
輝也:「帰るか?」
佑生:「まだ」
だがこの一言だけは、思考を巡らせるまでもなかったらしい。
輝也:「でも結局どうすんだよ…」
佑生:「どうするかなぁ…」
…彼がしゃがんで、膝でひじを支えて、頬杖を突こうと左を向いたその時だった。
佑生:「おい、ちょっとあそこ見て」
輝也:「んだよ」
佑生:「抜け道あったよ。」
輝也:「…はぁ!?馬鹿か?自分から捕まりに行くのか?」
佑生:「奥だよ奥…」
―――
輝也:「すげぇ…」
彼らは、今、不法侵入を働いている。
赤の他人の門をくぐり、家の横を通り、後ろの庭についた。
そこの垣は瓦礫をまき散らして部分的に崩れており、人を横にしたくらいの大きさの通り道が出来上がっていた。
奥はすでに、目的地の敷地内。草が生えており、手入れが行き届いていないことから、正面からは見えないと思われる。
ただ、その草も、先ほどの穴、いや、それより少し広いくらいの範囲で焼け焦げてほぼなくなっている。その周りの草は、よく見れば黄色く変色している部分がある。
佑生が手を伸ばし、床の茶色いそれに触れる…カサカサと、落ち葉がこすれる音がする。
輝也:「えっぐ…何をどうしたらこうなるんだよ…」
犯罪経験も何もない彼らが、見つかりもせずにここまで来れているのは、おそらく家の主が避難させられたためだろう。
佑生:「ここからなら入れるけど…」
輝也:「何をグズグズしてるんだよ…すでにライン越えだぜ?」
佑生はまだ迷っていた。
輝也:「だってさ、こんな大事件が起きたら警察のお偉いさんが来るまで何もできないだろ?
だからたぶん誰も中に入ってないって。見るなら今だよ」
一理あるが、一理しかない。
人間は頭がいい生き物だ。だが車の馬力をフルに使って崖から落ちることができるように、頭をフルに使った後になされる行動が賢いとは限らない。
中で見つかれば、指導では済まない。最良でも捕まり、最悪の場合…
二人のうち、この先を考えたい者はいなかった。
佑生:「…いいよ。」
輝也:「それはだいじょ…いや、けっこ…」
輝也:「…イェスって意味か?」
佑生:「入って、写真ちょっととったらすぐに出るよ。」
輝也:「分かった。」
輝也は姿勢を低くして先にそそくさと入っていく。
輝也:「さっさと済ませるぞ。」
そして佑生も後に続く。乾いた葉がこすれる音だけを残しながら、彼らはその穴の先、闇の中へと消えていった…