第一話:「例の事故」
全ての始まりは、東京郊外。
とある古アパートの2階。
ゆっくりと、錆びた金具がきしむ音を立てながら、ドアが開く。
部屋の中には街灯の明かりがかすかに入る。
???:「ただいまー」
気味が悪いので、青年は少し大きめに声を出すが、それを返す相手はいない。
静けさと、外の明かりが最悪の後味を作る。
この中が無音で、完全に闇の中であったほうがむしろ怖くないと思えるほどだったが、彼の帰る場所はここである。
???:「マジで徒歩疲れるって...車はまだ買えないし、自転車なんてほぼ通る場所ないし...」
彼が明かりをつけると、キッチンと、その奥の部屋が見える。
コンロに引き出しに布団。最低限の衣食住が同時に、一つのドアから顔をのぞかせる。
???:「ハァ..食費かさむなぁ。」
しかし、今日はコンロの出番がない。
一人暮らしを始めて間もない彼には、まともな食事を作る金も、時間も、能力もないのだ。
腹の中には300キロカロリーの菓子パン一つ。帰宅までの時間に、腹持ちは限界を迎えている。
???:「....どうするかなぁ...」
彼は篠岡 佑生。22歳の公務員。まとまった髪に、白い歯。
.....
今特徴を表現しようとしたが、本当にない。
頭脳は大学卒業で公務員になったほどなので、それなりに期待できるが、頭が固いためプラマイゼロといったところだし、見た目は好印象の青年、それ以上は言うことがない。
彼の知り合いがデパートか何かで彼を見かけたとして、手を振る人はいないだろう。
まず、見ても気づかない。見ても、特徴がないゆえに見間違えだと判断してしまう。
最悪の場合、手を振ったところで、振り返してもらえず気まずい空気になる。
それくらいにありふれた、つかみどころのない、内心を表さないような男である。
佑生:(まあそのうち慣れるし...いや、その前にはまともな給料になるっしょ...)
彼は一直線に部屋の奥へと向かう。
狭い8畳ほどの部屋に無理やりスペースを確保し、テーブルが置いてある。
その前の椅子に座ると、彼はテーブルの下のパソコンをつけた。
ファンの回る音がなければ、呼吸すら聞こえてきそうである。
別に仕事を持ち帰ってきたわけではない。就職したての彼にはそれほどの責任も期待もないからだ。
傍から見ればカチカチというマウスの音しか聞こえないが、ヘッドセットの中は賑やかだ。
???:「よう悠!今日はどうだった?」
話の相手は、松井 輝也。同じく22歳。
大学から、唯一中川を気に留めた男である。
クラスに一人はいる人気者、スポーツ刈りで体は大きい。
誰にでも笑顔を見せる元野球部。
一見、承認欲求で動くだけの、文武両道の優等生を演じたいだけの男に見えるが、そうであれば大学を卒業した後でもこうして佑生に話しかける理由はない。
最初は佑生も、急に話しかけてくる彼がどうしても何かを演じているように見えたが、執拗なまでに会話をしにきたり、部に誘ったり、趣味を共有しに来る彼を見るうちに、心を許していた。
いつも楽観的な彼を見ていると、「奴だってああなんだ。人生何とでもなる」と思えてくる程に、明るい男だ。
佑生:「最悪。上司うるさくってさ。自分じゃ使えないくせに俺が間違えてコピー一枚多めに作っただけですぐ怒鳴るのよ」
輝也:「ハハッ、やっぱ大学で勉強してもお前のドジは治らないな?」
佑生:「黙ってさっさとパーティーはいれよ。ほら。」
輝也:「はいはい。」
類は友を呼ぶともいうが、逆同士はひかれあうともよく言われる。明るいほうから元気をもらう悠と、動じない悠の反応を釣って楽しむ輝也は、周りが思っている以上に親しく、親友と呼ぶほどの近しさはなくとも、せめて佑生は、輝也がいてよかったといつも思っていた。
そのまま、彼らは11時まで、シューティングゲームで遊んだ。
輝也:「あぁ、わりぃ、俺飽きたわ。」
佑生:「俺も。そろそろやめるか?」
輝也:「そうする。せっかく俺が上げてやったランク落とすなよ?」
佑生:「バカ言え、そっちこそ俺がカバーしてなかったら無駄死にしてただろうに。何が『うわぁ!味方いねえ!』だよ―
輝也:「言ってねえよ」
佑生: 「いーや、絶対言ったね。寝言でも言ってそうだもん」
二人は笑った。
...だが、ずっと笑っているわけにもいかない。
佑生:「....それじゃあ、また明日。」
輝也:「おう、また明日!」
効果音と共に会話は途絶え、銃声と怒声に慣れた耳が鳴り始める。
佑生:「....そろそろ寝るか」
少し畳に引っかかる椅子を持ち上げ、立ち上がる。
そして彼は布団を広げ、服をカーテンレールにかけると、そのまま寝た。
まあ、体勢だけだが。
ゲームをした後は寝つきが悪い。
銃声とブルーライトで脳は覚醒状態。悲鳴を上げる体を裏切るように、閉じた目はひとりでに開き、
体は寝相を決めることを拒む。
気が付くと、彼はスマートフォンを手にしていた。明日起きるのに苦労するのが自分だとわかっていても、止める親がいなければ、「大人」を口実に人は子供になる。
ピコン
佑生:「...なんだこの時間に。まだ起きてんのかあいつ。」
お前が言うな。と言いたいところだが、松井は野球部からの癖で、寝る時間は最悪の場合でも11:30。
体に染みついた朝練前提のスケジュールによって、すぐに寝付いているはずだった。スマホなぞ触ったりしない。
だが、今は12時だ。
ピコン
音はまたなる。
佑生:「もう何なんだよ...」
佑生は画面を切り替える。
マツイ:(おい、これ見ろよ。お前どうなってるのかわかるか?)
マツイ:(マツイ がリンクを投稿しました。 <超能力者現る?謎の男がパトカーを睨むだけで爆発!>)
佑生:「動画か?それにしても超能力者とはまた大げさだなぁ」
U:(何これ?)
マツイ:(テイスティーって会社あるだろ?)
U:(分からん。)
マツイ:(そういえばお前料理できないんだったなw調味料とか作ってる奴だよ)
U:(それがどうしたんだ?)
マツイ:(見たらわかる)
佑生:「....」
U:(今見るよ)
佑生:「チッ、心配して損したよ...」
そう言いつつも、彼はリンクをクリックする。
そこに映ったのは、なじみのものとは違う、青を基調にした動画サイト。
サイトには日本語版すら用意されておらず、パソコン用に設計したページがスマートフォンの画面に収まりきっていない。
佑生:「うさんくせぇ~」
悠は自分の選択を後悔しはじめていた。
佑生は所狭しと詰め込まれたエロ広告から目を逸らしながら、動画を全画面表示にする。
彼は画面に見入ると同時に、これが出来の悪いジョーク動画だったら、どうしてやろうかと考え始めていた。どうするもこうするもないが。
視点から見て、アパートのベランダから携帯で撮影しているらしい。カメラのブレと夜の暗さでほぼ何も見えない。
道をまたいだ歩道にパトカーが3つ、その先の建物の出口を塞ぐように止まっている。
警官らしき男が3人ほど、銃を持って身構えている。
警官:「手を挙げて今すぐ止まりなさい!これが最後の警告だ!今すぐ止まりなさい!」
撮影前からすでにことが進んでいるらしい。
その警官が狙う先には会社員らしきもの...とよく見えない何者か。背は小さい。
気のせいか裸に見える。
そうやって細かいところに目を向けている間にそれは起こった。
音量を半分ほどにしたはずのスマートフォンから、音割れがするほどの爆音。
...文字通りの爆発音である。
佑生が、一瞬情けない声を出しながら跳ねる。
佑生:「.....は?」
落としたスマートフォンを拾うと、パトカーあたり一帯が、すべて爆ぜたのが分かった。
パトカーはもちろん、警官も粉みじんだ。そこに人がいたという証拠は歩道に飛び散った腕一本しか残っていない。
撮影者は悲鳴を上げている。
佑生:「いや...え?」
佑生が動画を10秒巻き戻す、今度は音を消して再生。
........
今度は、静かに爆ぜた。
バイブの音が鳴る。
佑生は困惑していた。CGか?そうすれば画質が悪いのも編集のボロのごまかしということで説明できるが、映画で見るような爆発より、それは幾分か生々しかった。
汚い。
爆発したパトカーの周辺が煤と油でしっかり汚れている。爆発も黒い煙を上げている。
「証拠に指をさして、なぜそう思うか三行で説明せよ」、なんて言われて答えられるものではないが、どこか直感的に、これは実際起きたものだと、佑生は感じていた。
メッセージをまた確認する。
マツイ:(おーい、生きてるか?)
U:(なにあれ?)
マツイ:(さあな。でもあいつらがマジで爆発物持ってたとは思えねえな。内戦じゃあるまいし)
U:(車が撃たれて爆発したんじゃないのか?)
マツイ:(車撃っただけで爆発しないぞ?最悪でもめちゃくちゃ燃えるくらいだろ。)
マツイ:(洋画の見過ぎか?)
......確認する方法はただ一つ。
U:(俺テレビ持ってないんだよ。ちょっとニュース見てくれないか?)
マツイ:(今つけてくる。)
これで心も寝れなくなってしまった。佑生は布団にスマートフォンを置きながら考える。
あんなことが起きるはずがない、そう思いつつも、起きたとすれば一体何だったのだろうかと考えると、自分の思考を黙らせられなくなっていた。
疑問、好奇心...いろんなものに駆られ、彼は体を起こす。
バイブの音が鳴る。
佑生:「―ッ!」
無音にしていたので着信音の代わりのバイブが振動するのだが、それだけで佑生は飛び上がりそうなくらいに驚いていた。
彼はスマートフォンを手に取る。
マツイ:(マツイ がリンクを投稿しました。速報:中央市で爆発。警官3名が意識不明の重体)
マツイ:(ヤバいぞこれ)
....
悠が固唾をのむ。
布団を畳み、明かりをつけ、そのままパソコンの前に座った。
パソコンの電源をつけると、いつも通りファンの音がまたなったが、彼の耳に入っていたのは、高ぶった自分の脈の音だった。