プロローグ:執着点
その裸の青年の手は血まみれだった。目の前にかかった、血と汗で重さを増している髪の毛を手でどかすと、それは血のりで顔の輪郭に張り付く。
周りを見渡せば、歪な塊がいくつかあり、少し目を凝らせば、それは人の体が積まれたものだと分かる。
どれも共通して黒い軍服や固そうなベスト、プロテクターのようなもの、ヘルメットを着けているが、どれ一つとして動かない。歪んだヘルメット、もげた四肢、ベストもろとも穴の開いた胴体、その下からにじみ出る血、血、血...それがアクリル製の床を滑り、広がる。
赤、茶、黒。手と顔には固形、床には液体、空気には気体になったものの匂い。
彼はそれを見ながら、呼吸する。いたって冷静で、穏やかな呼吸。
周りの惨状とは対照的に、青年の体は、その横腹に釘で固定された鉄板を除けば、いたって正常で健康。
傷一つついてはいなかった。
四方八方から同じような風貌の者たちに囲まれる。なぜか彼らの中に火器を持った者は一人もいない。
「一回目で捕まえられなかったのが悔やまれますね。あなたは最優先に処理するべきだった。」
声の主は見当たらない。
...どうしてこうなった?
青年はそれだけを考えていたが、答えはとっくに出ているので、拳を顔の前に上げたまま、ただ前を睨んでいた。
狂気の沙汰でも、事故でも、過ちでも、運命のいたずらでもないのだ。
自分で考え、思い、行動し、行きついた。
それだけのこと。当たり前。
必然。
色んな偶然があったが、これはその一つではない。ただただ冷たく、固く、一直線な考えが描いた放物線のその先である。
「私が前に言ったこと、覚えていますか?」
青年は動かない。
「正しさとは証明するものですよ。」
青年は、動かない。
人の思いには力があると言うが、それは詩的な比喩でもなく、ずれた理想論でもない。
それはれっきとした科学的な力である。
全ての始まりから全ての終わりまで、一貫して終わるはずだった因果論には、量子力学のサイコロが仕組まれている。
「神はサイコロは振らない」、そうアインシュタインは言ったが、神はサイコロを振るし、そのサイコロには重りをつけてイカサマができる。
これは、ヒトを超える術を知った、人間の物語。
その全貌を、ここに記す。