双子の羽織は、江戸を舞う
数多出回る羽織の中
【異様にして異常、異形にして異能】
の飾り言葉を纏わせ広まった羽織職人の一族”渦切一派”の下に生まれ翻弄された
二人の姉と弟の物語である。
暴風 颶風 突風 神風 血風……
あらゆる種類の風が、あらゆる描き方で
描かれている青白磁の反物をベースに織られた
羽織が肩にかかって風邪に靡いている。
水色の淡い光を放つその羽織を纏うは
1人の少女…
その姿勢は腰が膝と同じ位置にある程低く、背を伸ばし、
右手を自分と相手の前に挟ませ、
左手は鳩尾の横につけ、指先は短刀の刃先の様に盗人の方へ・・・
怠慢も油断も見られない、
対人・変動式躰道術の戦闘の構えだった。
だがどう見ても盗人と少女の間には10尺程の距離がある。
いくら躰道であろうが、直ぐに手が出せる距離ではない。
その少女が強気かつ余裕のある声で相手に語る。
「ねぇ、
可愛い弟にだけちょっかい出さないでよっ」
そう言葉をかけると同時、
少女の姿が落ちる様に盗人の目の前から消えた。
その動きは齢17の動きでは無い
次に盗人の目が追い捉えたのは、一瞬にして距離を詰めた少女の姿。
それに加え写った構えは、異形そのもの。
地に伏せるように深く沈んだ上半身、
腰より低く下げた頭から覗く顔は、盗人の顔を常に目の中に置いている。
両手を地に付け、臍のあたりまで曲げた左足が支点になり
少女の重心が右足に映る。
下から天を見上げるような鋭い目線と
今にも咽喉を穿たんと狙う右脚の先だった。
「お姉ちゃん妬いちゃうなぁ?」
その言葉が這い上がって盗人の耳を擽る。
左耳が地面に付くか、付かないかのギリギリまで落とした分
頭に始まり上半身の重さがすべて右脚の一点に集まった。
盗人の視線が少女の眼を捉えた瞬刻
バネの様にいや、
鞭の様な、しなりを持った脚先が
命を刈り取る程の速さと、
威力で盗人の咽喉を突き上げた。
"バツン"
そう、放たれたのは卍蹴り…
穿たれた咽喉は風穴を開け、盗賊は後方に仰反る。
疾く重すぎた蹴りは盗人の体を残し、
咽喉の中心の器官と血肉だけを吹き飛ばす。
月が照らす明るい夜に鮮血が混ざる。
打たれた盗人の口からは血が吹き飛び、前方で蹴りを放った少女の顔に返り血が跳ねる。
咽喉からは朱殷の液類がドクドクと流れ落ちた。
ポコポコッ…ヒュー…ヒュー…
開けられた首から覗く、喉仏から
血を押し出す空気が漏れる音だけが
この江戸の下町に張り巡らされる砂道に鳴り渡る。
喉を潰され、命の炎さえも握り消される寸前の
盗人に語りかける少女
その身姿は、腰まで達した跳ねっ毛混じりの黒髪
眼からは紅玉の様な瞳が、殺意を持って覗いていた。
「良く効くだろ?あたしの蹴りは。
まぁそれを食らったんだ、
おめぇさんの命も長くはないのは
火を見るより明らかだね。」
そうゆうと側に駆け寄り、
猫背になり前屈みな盗人の顔を
鋭い視線で覗き込みながら、口を動かす。
「なぁ、聞かせてくれよ。
我が弟"攝"を狙ったんだ。
御目当ては、この羽織だろう?
確かに弟の攝は腕が良いからな。
ただ自分ではいまいち使いこなせては
いないんだけれど…」
そう言いながら、自分の着ている青白磁の羽織を
ヒラリと翻して見せる。
「ソハヤ"渦羽織"…
あたし含め渦切一派が手掛ける羽織の総称だ。
私は織れないけどね
まぁ良くも悪くも
程良く名が知れ渡ってくれちゃってはいるけれど
可愛い、か弱い、弟"攝"の羽織を
掻っ払うように襲うのは
弟想いの出来るお姉ちゃんからすると頂けないねぇ」
纏った羽織を舞って見せながら、
血の滴る肉華に目を向ける
「あらら、もう死んじまったのか。まぁ良いさ
おめぇさんからは何も聞けなかった、いや
口を聞けなくしてしまったのはあたしだね」
ふふっと含み笑いを顔が作り出すと、そのまま続く
「その紋が付いた手袋…これだけは貰っていくとしよう」
そう言うと、血溜まりを作る盗人の亡骸を残し
少女の姿が一瞬にして消え失せた…
残るは膝から崩れ落ち座るように項垂れる死体と
僅かに舞った砂埃だけ…
その情景は、
月夜の地に刺さり咲く一枝の血桜の様だった…
◯
日の光が真上から降りかかる正午
広い屋敷の一部屋、
襖を開け広げ、縁側を挟み、樹々の緑と
池水の薄浅葱が天日に照らされ綺麗に魅せている
中庭を繋げ
庭の緑に混じる黄梅の花が
優しい風に揺れる中
カタカタカタッと織物をする音を響かせている少年が一人。
唐突で突然なのだけれど
僕の自己紹介を少しばかり聞いて欲しい。
僕の名前は渦切 攝と
声に出すには咽喉に突っ掛かり、手で書くにしては
少しばかり書きにくい名前を貰ったのは
致し方ないとは思うのだけれど、
今は亡き姉"攝累"との
唯一の共通点であり、繋がりを実感できる
証になっていた。
僕の姉についてはまた後で語るとして、
今は僕とその一族について少しばかり話すとしよう
僕の苗字として先程上がった"渦切"
自分で言うのも小恥ずかしいのだけれど
羽織を作る一派の中ではそこそこに、
それこそ
街を歩けば一度は名を聞く程には
知れ渡っていて
一族、総じて漏れなく羽織職人と言う、
羽織を織る為、織らせる為に
繁栄したのではないかと言われても
致し方が無くも、過言では無い様な一族だ。
まぁその中で類に漏れることもなく、
僕も小さい頃から反物を織る父の側でまるで
見取り稽古ならぬ見習い見学と言わんばかりに
寄り添って見ていた甲斐もあり、
齢16にして自作の羽織を一領、
仕上げることが出来る程には成長があった。
此処からは僕の一族、
"渦切一派"の作り出す、いや創り出す
一般とは一線を画す、どちらかと言うと
異彩を放つ羽織について語っていこうと思う。
明確かつ正確に伝えると
【異様にして異常、異形にして異能】
と言う他に無いと思う。
僕はこの一族いや、一派に産まれ
この異彩を放つ羽織と其れに関わる周りの人間に
囲まれ育ってきたからなのか、
不思議、疑問に思う事もなかったのだけれど
ある程度、歳を重ね、
幼年が少年、
そして青年になる手前まで大きくなった今を生きる
渦切 攝の
目線、知見、見識を含め言葉を語らせて貰うと
この羽織は他の羽織とは
一味も二味も、いや、一癖も二癖もある
羽織なのだという事を
伝えておくべきなのだろうと思う。
その、先程にも言った
【異様にして異常、異形にして異能】
と呼ばれる1つにして最大の理由、
それは羽織るとそこに描かれている
"文様、紋様、絵模様の恩恵を受ける"と言う点だ。
どの言葉を取っても、理解し難い、
いやどちらかと言うと、誤解し易い
言葉の羅列なのだけれど、安直に言えば
羽織ると身体の伸び代に干渉するようで
僕が最初に創った"ソハヤ"なら俊敏に、
父が創り上げた"チドウ"なら力持ちに、
祖父が創り出した"レッカ"なら火の扱いに、
其々羽織った人間の扱い得る"潜在能力"を
伸ばす事が出来るみたいだ。
"みたい"と伝えたのは敢えて使ったわけで
この渦切一派の羽織…
通名"渦羽織"はあくまでその人の、その人間の
潜在能力を引き出すだけで、
残酷にも身体能力や運動能力を含め、
潜在能力が皆無に近い
僕が羽織っても効力や恩恵は何も受けられなかった
織って創り落とす渦切一派は僕以外、
当たり前にその羽織の恩恵を使いこなす。
そして相手の技量、力量、裁量を
見極めてになるけど勿論、他の人達にも
御客として売る事もある。
そうしてこの渦羽織は
【異様にして異常、異形にして異能】
と言う飾り言葉と共にこの江戸の下町を中心に
広がって行った…
するとやっぱり、
悪意を持って悪用して悪事をする為に欲する
輩様達もいるようで、
盗まれたり、一派の職人自体を狙った
人攫いも横行する様になったみたいだ。
この僕も、父に
「攝も気をつけなさい。
特にお前は"恩恵"を受ける事が出来ないからね」
そう釘を刺されてはいるが
その言葉を掛けられるたびに
小さい声で、ボソッと呟く。
"まぁ、攝累がついているだろうがね"
と亡き姉の名前を出すのだ。
おおっと、
もうそろそろ未刻、ひつじのこくと呼ばれる
時間だ。用事を頼まれていたから
もうそろそろ家を出る準備としようかな。
僕の姉、"渦切 攝累"については
また後日語ることにしようと思う。
◯
そう言うと、
夕刻、別名"宵の口"と呼ばれる時刻に
不穏な悪人を、潜め隠す暁が染める江戸の下町に
自作にして快作の"ソハヤ渦羽織"を
細く華奢な体に羽織り、
毛先が黒い女性の短髪を思わせる白髪を靡かせ
渦切 攝は町の砂道に姿を消して行った…