ゲームブックの時代 #05【国産ゲームブックの登場】(2025年修正版)
ソーサリー・シリーズやFFの人気を受けて、国産のゲームブックが発売されたのは1985年の年末も近くなったころだと思われます。この辺りは情報不足ではっきりとはわかりませんが、少なくとも意外と早い段階で並び始めました。
いつの時代でも、お金になると判断したら早いですね。
この頃、東京創元社からは『ゼビウス』(これが最初の国産ゲームブックだったのかも?)が発売されました。あのファミコンで人気を博したゼビウスのゲームブック版です。
けれど実際はシューティング・ゲームを盛り込んだものではなく、超能力を持った主人公(現在だと能力者という表現になりましたね)が自力でガンプに立ち向かうような内容でした。
どちらかと言えば、洋画のSFを模したようなイメージですね。1980年代は海外からの映画がヒットしていましたし、SFも多かった覚えがあるので、それに影響されていたのかも知れません。
じゃあ、ゼビウスに登場したソルバルウは? まさか主人公が敵地まで操縦してきた(んだろうと思うけど)機体が、それってこと? 多分、ソルバルウという固有名詞は出てこなかったと思います。
著者は当時のナムコ(現バンダイ・ナムコ社)名義(ただし書き手はあとがきを書かれていた古川尚美氏が中心になっていたと思われる)。表紙にもそのロゴが記載されていましたから、公式での発表だったのでしょう。
この作品以降、ブームが去るまでの間、自社のファミコンソフトをモチーフにしたゲームブックの発表が続きました(ゼビウスのあとがきにもその予告がされていた)。作品数は多かったわけではありませんが、『ドルアーガの塔』、『ドラゴン・バスター』(これは面白かったと思うけれど、内容は覚えていない)、『ワルキューレの冒険』(と言いつつも、主人公はワルキューレじゃなかった)などを発表し、ブームの一翼を担ったことは確かだと思います。
この中で取り分け夢中になったのが、1986年(昭和61年)に発表された『ドルアーガの塔』(作者は鈴木直人氏)でした。この作品はファミコンで表現したパズル要素を損なうこともなく、それに加えて綿密な物語性を加えた傑作3部作でした。それこそ、そのまま小説として使えるのではないかというくらいの完成度でした。
それでいて、第1巻の『悪魔に見せられ者』、第2巻の『魔宮の勇者たち』、第3巻の『魔界の滅亡』と、それぞれ趣向が大きくことなります。まさに映画の三部作のような作りでした。
今でもおぼろげながら展開を覚えていますから、よほどやりこんだのでしょうね。いつか時間が出来た時、再びチャレンジしてみたいです。
そう言えばラストは二通りの終わり方が設定されていました。ハッピー・エンド版と、言うなればジ・エンド版(バッド・エンドではないと思われるので)です。二つ用意されている理由はわかりませんが、ハッピー・エンド版であるならTV版、ジ・エンド版であれば映画版と言ったイメージを持ちました。
21世紀になって復刻版が販売されました。中身は確認していませんが、表紙を見る限りは当時のまま(多少の修正はあるらしいが)のようでした。
こうして復刻されるということは、それだけ傑作だったということでしょうね。是非平成生まれ、また21世紀生まれの若人たちに楽しんでもらいたいと思います。
きっと、昭和世代(およそ2025年現在の五十歳以上)が感じたワクワク感を知ってくれることと期待します。
それで、このエッセイを書いているうちに、感じたことがあるのです。
この『ドルアーガの塔』のゲームブック。挿絵は日本人のイラストレータさんが描かれていました。その中にはエルフと思しきキャラクター(ただしエルフとは明記されていなかった)やドワーフのキャラクターが登場したのですが、どちらも日本人的な優しい顔立ちだったのです。
実はこのときに日本的なファンタジー・キャラの原型が出来上がったんじゃないかな・・・と。
エルフというと、どうしても『ロードス島戦記』の名前が最初に上がりがちですが、このゲームブックはそれよりも数年前の話です。いや、『コンプティーク』にリプレイが連載していたころと、ひょっとして同じくらいかな?(未確認なのでわかりません)
いずれにせよこの頃を境にして、平成が始まる前後までの間に、明らかにこうした傾向を踏襲したイラストが増えたように思います。随分と売れたゲームブックですから、後にイラストレータさんになる人たちが手に取っていても、何らおかしくありません。
そこから始まって、現在のアニメに出てくるような顔立ちまで、四十年近くかけて進化してきたのでしょう。更に今どきのエルフは巨乳ですね(個人的にはあまり好きではない)。
因みに当時、『ドワーフ』ではなく『ドウォーフ』と表記されていることもしばしばありました。発音記号を見ると、後者の方が近いのでしょうかね。この頃はまだ呼び方がはっきりしない時代でもありましたので、そこは訳者さんの判断に任せられたのかも知れません。
同様に『ダーク・エルフ』は『闇エルフ』と表記されていました。私はこちらの表現の方が今でも好きで、自分の作品に登場させるときは、こちらの表記を使っています。
『ソーサリー・シリーズ』や『FFシリーズ』に刺激されてか、この時期から他の出版社からもゲームブックのシリーズが発売されました。海外のものが多かったと思いますが、日本産のものもありました。
そうしたゲームブックも少しだけ、当時のお小遣いで買って、今も本棚に残っています。内容はすっかり忘れてしまいましたが、いつかプレイしなおして、このエッセイで紹介できればと思っています。
もう少しだけ挿絵の話をします。
この時代のゲームブックや若者向け小説の挿絵というのは、劇画とコミックの中間的な雰囲気だったと感じています。今のような華やかさや、可愛らしさなど、そもそも発想がなかったのでしょう。 コミックはまだまだ『漫画』で低俗的な地位でしたし、アニメだって『マンガ』(よくカタカナで表現されていたように思う)と揶揄されていましたからね。
やはり昭和時代なんですよ。まだ戦争体験者がたくさんいたから、緩さが無かったのです。むしろ何事に対しても厳格で、今に思えば小学校などでも軍隊式の名残が多々見られたなと。今だったらハラスメントで、大問題ですよ。
そうした影響がイラストだけではなく、社会のところどころに残っている時代でもありました。嫌な時代でした。
コミック的な描き方のイラストは昭和の終わりぐらいに既にありましたが、一気に広がったのは平成に入ってからじゃないかなと思います。
時期的には多分『スレイヤーズ』や『フォーチュンクエスト』辺りだと思います。その前からなかったわけじゃないですけれど、ヒット作品じゃなかったから、認知されていなかったのでしょう(個人的には、その前に発売された『魔法使いの探索』という1巻だけで消えてしまった、異世界冒険ファンタジーが好き)。
現在(2025年)のイラストは随分と表情が豊かになりましたね。悪役も美形だったり、時には可愛らしかったり。むしろ悪役のヒロインも同等以上の人気の高さがあるんじゃないかと思うこともあります。
近年、人気を博した『元勇者パーティーの一人だった女性エルフの新たな旅』に登場する『天秤を手にし、首狩りを好む角のある露出度の高い女性魔族』など、非常に人気が高いと感じます。あの時代にはありえなかった出来事です。
昭和時代に比べれば、この令和はビジュアル的にあまり善悪の隔てが無くなってきた時代なのかも知れません。昭和時代ははっきりと善悪がキャラ分けされていて、悪は醜く描かれるのが当たり前でした(これもある意味、偏見で差別だったのかも)。




