TRPGグループ活動の時代 #26 【活動休止に近い状態になった】
二十歳になると既に就職したメンバーはグループから自然と離れ、成人式の時はGM1号があるテレビゲームの大会に参加するために不参加。
一生に一度の成人式よりも、まさかゲーム大会を選ぶとは思いませんでしたので、これにはみんなビックリしてしまいました。せっかくの式典でしたが、やむを得ず残りの4人で参加しました。
この辺りが分岐点だったんじゃないかな・・・って、今は思います。亀裂が入ったとかではなくて、段々と興味の幅が広がって、それぞれ他にやりたいことが増えて行ったのでしょうね。
私は下手くそながらも、どんどんと執筆の方にのめりこんでいきました。もっとも、何か完成させられたものは一つもなく、それでもただひたすら、ノートに書き綴っていました。
もうそのノートも処分したので、何を書いていたかまではあまり覚えていません。
そう言えば成人式の後に着替えて集まって、午後から4人でソードワールドRPGをプレイしました。
その様子を写真に撮り、どこかに残っているはずです。プレイしている様子を写したのは、今に思えばこれが最初で最後だろうと思います。
今であればスマホで簡単に残せますが、当時はいわゆる「レンズ付きフイルム」。成人式のときに持って行ったあまりで撮りました。
大学三年生の頃の記憶がありませんし、テープも残されていませんから、既に殆ど集まらなくなっていたのでしょう。
段々と連絡も疎遠になっていったと思います。
一応続いていたのは年末年始の初詣だけでしたけれど、プレイしていたのかどうか。お喋りだけで終わっていたかも知れません。大学の話とか、近況報告とか。でも、それはきっと楽しい時間だっただろうと思います。
やがて四年生になると、就職活動が始まりました。それは就職氷河期と言われた1996年のことです。みな就職先を見つけるのには苦労しました。
私も取り敢えず就職が決まりました。三年働いて辞めてしまいましたけれど、今の仕事に通じるものを見つけられたということで、意味はあったと思います。嫌な人間関係、嫌な会社でしたけど。
大学時代、富士見ファンタジア文庫やスニーカー文庫、あとは刊行が始まった電撃文庫をよく読んでいました。まだライトノベルと呼ばれる前で、内容的にもファンタジー小説でした。
ファンタジー小説は文章的にもしっかり書き込まれているものと感じます。
当時は大ヒット作品も色々と世に出ましたけれど、こうして書き込まれた作品は、かえって今の時代だと敬遠されるかも知れません。若い人たちはそこまでの文章になれていない人が多いと思いますので。
あとはドラゴンマガジンを相変わらず読んでいました。今とはだいぶ違う感じではと思います。
その時代ですと、「スレイヤーズ」、「魔術士オーフェン」、「天地無用!」などが大人気でした。
いつか手持ちのドラゴンマガジン132冊(1990年1月号~2001年6月号まで)の話を、エッセイにしてみたいと思っています。




