TRPGグループ活動の時代 #04 【高校入学】
それぞれが合格した高校に入学し、早一か月が過ぎようとしていました。その間、春休みも通じてお互いに連絡は取りあっていませんでした。卒業と同時に、縁が消えてしまったような感じでした。
やっぱり当時、学校という場が最も有効なコミュニケーションの場でしたし、そこが失われてしまうと、自然と関係が消滅してしまうだろうと思います。卒業と同時に縁が無くなった友人も多々いました。
そう考えると、今の時代はSNSがありますから、連絡が取りやすいですね。羨ましいです。
私は入学した高校で、他にもTRPGを行っている人たちと出会えないものかと、そんな期待を持っていました。それに近そうな部活動(文芸部?)や委員会(図書委員会?)などで出会えないかとも思いましたが、部活動は後に入る別のものでしたし、委員会は入らなかったで、わからずじまいでした。
やがて少しだけTRPGを行ったことのある人たちや、ファンタジー小説、当時のコンプティーク(今と内容がだいぶ違います)などを読んでいる人たちも見つけたこともありましたが、実際に行うことはありませんでした。
またずっと後になって(多分高校二年生のいつぞや)から同じ学年でそうしたグループも見つけましたけれど、メンバーの『輪』(『和』)というものが既に出来上がっていたため、声をかけても相手にされませんでした。入れたくないんだなというのは、すぐにわかりました。
やはりグループ活動というのは、ある意味保守的なのでしょう。
母校になった高校は、最初からつまらなかったです。一か月が経つ頃には幾つかの仲良しグループみたいなものが出来ていましたが、私はそのどれにも当てはまりませんでした。
違うところに来てしまったなと、後悔していましたし、卒業するまで全く愛着がわきませんでした(愛着がわいたのは、卒業してからずっと後のこと)。
ただし、そうした話題が縁(コンプティークやロードス島戦記を少しかじっていた)で友人が一人出来ました。今も時々連絡を取ったり、コロナ前はコーヒーを飲みに行ったりしましたが、その友人が神保町の書泉ブックマート(2015年閉店)の存在を教えてくれました。
この書泉ブックマートは、後々自分やTRPGの仲間たちにとっても重要な位置づけになるので、その友人との出会いは、間接的ながらもグループにとってとても貴重だったのだと思います。
因みに神保町は今でも個人として定期的に訪れます。三十代の頃は離れていましたけれど、四十代になってからまた戻りました。
現在は殆ど散歩みたいなものですが、当時と違った楽しみ方をしています。
この頃は下手くそながらも小説を書き始めたばかりで、そっちに夢中でしたから、中学校時代の仲間たちから連絡がなくても、あまり気にしていなかったんじゃないかなと。
前回書いたドラゴンマガジンに掲載されていた『スレイヤーズ!』の短編を読み、いきなり感化されたのが切っ掛けです。これを読んで自分も面白いファンタジー小説を書こうと、無謀なことを始めました(笑)。
ちょうど春休みとかぶっていたので、恐らくその時間の殆どを使っていたんじゃないかなと。
今に続く執筆の始まりでしたから、元をただせばTRPGのグループ活動によるもの。これが無ければドラゴンマガジンを読むこともなく、執筆に興味を持つことは無かったかも知れません。
だとすると、今、こうしてこんな話を書いていなかったことでしょう。




