TRPG流浪の時代 #20 【エクストラ その4】
一応エクストラの最後となります。
パソコンの話が少し出たので、その雑談でも書こうかと思います。
我が家にはパソコンがありました。当時50万円くらいしたようですが、父親が技術科の教員でもあり、いち早く教育することを前提に自習し始めたのです。そうした点では先のことをよく考えていたんだなと、今になって感じます。
それをいじらせてもらって、私も少しずつ覚えていきました。当時はとても高価なものでしたから、むしろ触らせて貰えないご家庭もあったかも知れませんが、我が家は逆に覚えることを言われました。
あの時そうしてくれたから、遊び道具として覚えていけたのだろうと思います。
また本編の途中にちょっとだけ出てきた当時のプログラミング言語であるBISIC言語。私も高校時代に少しかじりまして、まあまあコマンドは覚えたのですが、仕組みはよくわかりませんでした。
結局、自分でプログラムを組んで何かソフト的なものを作ることは出来ず、当時発行されていた『パソコンBAISCマガジン』(通称ベーマガ)を購入しては、投稿されていたゲームプログラムを頑張って打ち込んで、ひっそりと遊んでいました。
プログラムに憧れは持っていたものの、多分自分は身に着けることが出来ないだろうと、その時に悟りました。人には適性があって、自分はそれじゃないと。直感的に感じたのです。
ただ将来はパソコンソフト(事務ソフトではなく、専門的なソフト)を使いこなす仕事に就きたいと、そんな希望がかすかに芽生えていました。
1990年代前半は、まだまだパソコンユーザーに対する偏見が強い時代でした。悪い意味での
『オタク』です。今のようなポジティブさはなく、むしろネガティブさばかりのイメージでした。
多分、1988年から1989年にわたって起きたある大事件が切っ掛けで、そんな風潮になっちゃったのでしょうね。
今でこそアニメや特撮(何て言わないか)ものも、誰もが堂々と楽しめる娯楽となりましたけれど、あの頃はその事件があったことで、危険視されていたと感じています。悲惨な時代でした。
その流れもあって、パソコンユーザーもそんなイメージを持たれたのかも知れません。
何しろパソコンユーザーのイメージ画が、ほぼ眼鏡をかけて、太っていて、男性で、ニヤニヤしながら暗い部屋で画面を見つめているものでしたから。今だったら偏見を大きく超えて、差別や人権侵害になるでしょう。
一般的な日常と関係ないものは、全て異常。そんな時代だったのは、まだまだ昭和の空気が残っていたからだろうと思います。
それが令和の時代になると、パソコンを用いた授業は当たり前、更にプログラミング授業が必須。子どもたち対象のプログラミング塾みたいなものもあるようで、驚いてしまいました。悪い意味での『オタク』と呼ばれた時代は何だったのでしょうね・・・。
因みに現在、専門的なソフトを使いこなす仕事に就いています。あの頃の希望は一応かなえました。
やっぱりあの時代、悪い意味での『オタク』と見られても、パソコンに触れ続けてきたことで、今の仕事があるのだと思います。
さて雑談はここまでです。
次の章を始めるにあたり、読み直したいと思っているので、ちょっとだけお休みします。
その間は私の他の名義の作品を読んでいただくか、このエッセイを暇つぶしに流し読みでもしていただければ幸いです。
意外にもこのエッセイが一番読まれています。今の時代もTRPGの人気は高いようですね。
私が出来るのは、30年くらい前の話くらいです。今の話は全く出来ません。はっきり言って古臭い話ですし、自分が経験したことを時系列に並べているだけのものです。
それでも読んでいただけているのは、今の若い方たちなのか、それとも同世代の方たちなのか。
とても気になるところです。
次の章からはグループ活動の話です。
実はまだ修正を行っていないので、毎日更新は出来ないかと思います。
個人的な話ばかりになりますが、それでも読んでいただけたら嬉しいです。




