TRPG流浪の時代 #07 【専門誌タクテクス】
この時代(1988年頃・昭和63年頃)、こうしたジャンルの専門誌として、ホビージャパン社より『TACTICS』が刊行されていました。
調べてみると、1983年1月号(1982年12月25日発売)から1990年4月号(1990年3月1日発売)まで、月刊誌として77号(当初は隔月刊で途中から月刊誌になったとのこと)が発行されました。
休刊となってから、SLG系は季刊誌となった新生タクテクスの方へ、TRPG系は『RPGマガジン』へと移りました。この『RPGマガジン』はその後『ゲームぎゃざ』へとまた進化するのですが、それはここでは取り上げません。
私が初めてこのタクテクスに出会ったのは中学一年生の夏休み。たまたま出掛けた先で見つけた街の本屋さんで見かけて、その表紙に一目ぼれしてしまったのです。
それはお姫様を守りながらドラゴンと対峙するする騎士様の構図でした。当時としては、正にこれこそが冒険ファンタジーだったのです。
手にしたのは1987年9月号(第46号)でした。因みにまだ消費税が導入されておらず、定価は800円でした。
この時代に定価800円はかなり高額です。現在の物価であれば、1,000円から1,200円くらいになるかと思います。
この頃、SLGとTRPGの特集が一ヶ月おきに組まれていました。当初はSLGだけだったようです。
その時の特集名が『ファンタジーロールプレイング 幻想世界』となっておりまして、D&D、ルーンクエスト、T&T、指輪物語などが紹介されていました。
因みにここでの呼び方はTRPGではなくファンタジーRPGです。まだTRPGという言葉は生まれていなかったと思いますし、またその頃は六角形のマスを使うこともありましたから、SLGっぽさもあったのかも知れません。
まだまだ黎明期だったのでしょう。
数十年ぶりに少し読み返してみると、面白い事実を見つけました。
海外ゲームの中に『Dragon Quest』というゲームがありました。テレビゲームの『ドラクエ』ではありません。正真正銘、アナログゲームの『Dragon Quest』です。
多分日本語版は出なかったと思いますが、偶然名前が一致したみたいです。
雑誌はTRPGの紹介やシナリオがメインで、読者の投稿コーナーもありました。投稿イラストを見ますと、現在の傾向とはだいぶ違いますね。もちろん手描きですし、まだイメージが確立していない時代ですから、手探り状態な感じがします。
そして現在のようにインターネットなどありませんから、仲間を探すのも一苦労。まだまだプレイヤーは少ない時代でしたしね。そこでサークルを立ち上げて、メンバーを募集するわけです。
前にも書きましたけれど、当時は現住所と本人の名前が堂々と掲載されていました。説明を読んでこちらからアプローチするわけですが、そうやって仲間を集めていたのです。
この頃、現住所と本名の公開は別に珍しいことではありませんでした。悪用されることもあったのかも知れませんけれど、今と違って情報網が発達していないからこそ、出来たことかも知れません。
最後に裏表紙を見てみますと、パソコンゲームの『Ultima IV』の広告が載っていました。当時はまだフロッピーディスク数枚で事が足りていたのです。今の若者たちには信じられないでしょうけど。
PC-9801、PC-8801、X-1、FM-7、MSXなど懐かしい機種の名前の他、2HD、2DD、2Dのフロッピーディスクの呼び方も、時代を感じさせますね。
Windows95が登場して、機種の違いがなくなる前は機種ごとにゲーム発売されていました。
タクテクスの出版元であるホビージャパン社。今では事業を広げ、ラノベ文庫やコミック事業も行っています。ネット小説の投稿サイトまで運営するようになりました。
あの頃から比べると、だいぶ出版社よりになったんじゃないかなと思います。少なくとも20世紀の間はホビー色が色濃い企業で、出版社よりもメーカーのイメージがありました。
実は90年代中ごろ、コミック事業も展開していたのです。けどはっきり言ってパッとせず、いつの間にか消えてしまいました。
素人がえらそうに言いますけれど、プロの漫画家さんというよりも、趣味や同人誌活動を行っているアマチュア作家さんの寄せ集めみたいなものも感じました。
ただそれだけに独特のテイストがあって、他とは違う面白さがあったのですが、マニアックな人たちくらいしか読まなかったのでしょう。
でもその中からわずかですが、メジャー紙に這い上がって人気イラストレータさんになったり、現在は人気漫画家さんになったり(アニメ化作品もあります)と、そんな方々もおられます。
ですので決して全てが失敗だったわけではないのでしょうね。