第九十三話 女王の逆鱗
教室内の誰もが、凄まじい威圧感と体の芯から震えあがるような恐怖感に包まれていた。
さっきまでイキがってオラだの潰すだの言っていた三人組は、腰が抜けそうなくらいビビッている。
まさか世の中に、一睨みしただけで完全に相手を戦意喪失させてしまう人間がいるとは。
大嶽渚は、無言のまま一歩ずつ室内に入って近づいて来る。
まさかの女王の登場だ。
三人組は恐怖で完全に心が折れ、無様なくらいに腰が引けている。
入り口にいた和沙まで、威圧感で固まってしまっていた。
「何をしているの!?」
渚は三人組の前まで行き質問した。
「ひぃっ」
三人組の一人が、立っていられなくなり床にへたり込む。
「何をしているのかって聞いてんのよ!」
再び質問した渚は語気が強まっている。
「ひぃぃぃっ!」
「あ、あの、からかっていたというか……」
「い、イジりです、軽いイジりのつもりで……」
「はあ?」
「きゃぁぁ」
「すみません」
「許してぇぇ」
三人並んで土下座の体勢になって謝っている。
「春近、大丈夫?」
春近のところまで歩いて行った渚は、突かれた方の肩を触る。
「はい、オレは何ともないので」
もしかして、オレが突き飛ばされるのを見ていたのかな?
春近が思った通りだ。たまたま通りかかった渚が、突き飛ばされた春近を見てしまったのだから。
「あたしの春近に何してくれてんのよ! もし、傷一つでも付けたら……殺すわよ」
渚の言葉で三人組がガタガタと震えている。この女王なら実際にやりそうだと思っているのだろう。
「「「ずびばせんでしたぁぁぁぁぁ。もう二度とじばせんっっっっっ」」」
三人組は涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃに濡らして、恐怖で震えながら謝っている。
ここまで来ると、少し哀れにも思えてしまう。
えっと……渚様って、こんなに同級生から怖がられていたのか……
実際のところ、渚は呪力も暴力も全く使っていないのだが、存在感だけで相手を怖がらせているようだ。
春近は止めに入った。
「あの、もうそのくらいで。渚様」
「そう、春近が言うのなら」
渚が三人組から背を向けると、彼女らは泣きながらフラフラと教室を出て行く。
「あの、もうイジメとかやめてくださいね」
春近は、念を押すように、彼女らの背中に声をかけた。
「あの、渚様、ありが――」
「春近! むちゅ、ちゅっ、んんっ……」
喋ろうとする春近だが、渚の強烈なキスで口を塞がれる。
「んんんっ、ぷはっ! 激しっ、んんっ! 渚様、ちょっと喋らせてよ――」
「ちゅっ、むちゅっ、ちゅぱっ! んあっ♡ ダメっ」
「一二三、大丈夫?」
和沙は、水を掛けられてずぶ濡れの比良一二三のところに行き肩を抱いた。
そうだ、比良さんだよ――
横で渚に捕まっている春近が思い出す。
三人組に取り囲まれている女子を見た時に、五人の転校生の一人の子だと思って止めに入ったのだ。ただ、天狗の力を持っている彼女ならば、あんな三人組など簡単に蹴散らせるはずなのだが。
「ひらふぁん……ちゅっ、ふぁいじょうぶ……ちゅっ、ちょ、ちょっと渚様、後にしましょうよ!」
「はむっ、ちゅっ、んちゅ、んあぁ♡ ダメって言ってるでしょ!我慢できないのっ」
「……問題無い」
一二三は、それだけ言うと教室を出て行った。
「私も一緒に帰るよ」
和沙は、そう言うと一二三の後を追い、教室には春近と渚だけが残される。
「大丈夫かな?」
春近の呟きに、渚は言い切った。
「あたしが注意したんだから、もう問題無いでしょ」
「で、ですよね」
それにしても……渚様、凄すぎだろ! 注意しただけで大ダメージを食らわせていたぞ。呪力を使わなくても相手に威圧感と畏怖の念を抱かせるなんて何者だよ。
まあ、呪力を使ったら誰も逆らえないんだけど。
というか、オレは、そんな凄い渚様に手錠をかけてコチョコチョしたりペロペロしていたのか……何だか畏れ多いことをしてしまった気分だぜ――
「春近も何かあったら、すぐあたしにに言うのよ! 蹴散らしてやるから!」
「は、はい」
頼もし過ぎる渚だ。本来なら逆で、春近が女子を守らないとならないかもしれないが。
翌日――――
和沙は一二三から聞き出した内容を説明し始めた。
「昨日が初めてだったそうだ。多分、一二三が無口で喋らないから標的にされたのかもな」
「そうなのか。相手は渚様にビビッてるから大丈夫だろうけど、オレも様子を見ておくよ」
「ああ、よろしく頼む」
イジメをするヤツらってのは、相手が少しでも弱いと思ったらマウントを取ったり攻撃してくるんだよな。
あれは習性とか性格みたいな物で、注意しても直らないし一生更生しないと思う。
比良さんは天狗の力を持っていて凄く強いはずだけど、無口で大人しいから狙われたんだろう。
考え事をしている春近が、ふと和沙が自分のの顔を見ているのに気付いた。
「何か?」
「い、いや、何でもない」
そう言って和沙は自分の席に戻って行った。
「おはよう、土御門」
入れ替わるように藤原が挨拶してきた。
「あっ、おはよう」
「あのさ、土御門。オレ達ってダチだよな」
「えっ?」
突然何言ってんだ?
突然のダチ宣言に春近は戸惑った。
「えっと…… 聞いたぜ、オマエに逆らうと女王にシメられるって。お、オレは大丈夫だよな?」
「ええっ、シメるって……ああっ!」
少し話が変わってるけど、昨日の噂が広がってるぞ――
どうりで今日は、やけに皆から挨拶されると思った。
藤原は特に何もしてないけど、この学園はヤンチャなヤツらが多いからな。噂を聞いてオレを怖がる人が出てきたのか。
「しかし、やっぱスゲェわオマエ! あの女王を自分の女にしちまうなんてよ!」
「それは……まあ。どうも」
何だか渚様のイメージが、地上最強的な鬼っぽい感じになっているぞ。
その内、何処かの国の首相や大統領が忠誠を誓っちゃったりとかしそうだ――
――――――――
春近は、昼休みになってC組の様子を見にきた。
C組には忍たちがいるので、一二三のことを気にかけておいてもらう為だ。
教室に入ると、いきなり例の三人組と目が合う。
「あ、あの、土御門さん、先日はすみませんでした。まさか女王のカレシさんとは知らず」
「反省してますから」
「もうしません」
イジメをする人達の『反省してる』や『もうしません』は信用できないんだよな。
こういう人達は、必ず同じことを繰り返すし、強者には媚びへつらうけど弱者だと思ったら攻撃の対象にする。
でも、渚様の睨みが効いている内は何もしないだろう。
春近は三人組の話を適当に受け流して、忍たちのところに行った。
「春近くん、任せて下さい!」
忍は、すでに話を聞いているようで、一二三を気にかけているようだった。
アリスも仲良くしているようで、春近は安心した。
春近は教室を出て屋上へと向かった。
空は高く澄み切っていて、もうすっかり秋の様相だ。
「今日は雲が無いな。流れる雲を見て物思いに耽ようとしたのに……」
つんつん――
誰かが背中を突いているのに気付いた春近が振り向くと、そこに一二三が立っていた。
「あれ? 比良さん、どうしたの?」
「……んっ」
一二三はジュースを差し出す。
「オレにくれるの? ありがとう」
一二三は春近の隣に並んで、空を眺めている。
「……」
「……」
「……秋の空が高いのは、大陸の乾燥した高気圧に覆われるため。乾燥した空気は太陽光の短い波長を散乱させるから……」
「えっ、そうなんだ」
唐突に高気圧の話を始める一二三に、春近がビックリした。
空を眺めていた春近に合せてくれたのかもしれない。
「……昨日……あの人たちが掃除当番を代われと言ってきた。私が断わるとケンカになった……」
「そうなんだ」
そうか、あの三人組は比良さんに掃除当番を押し付けようとしたけど、断わられたから腹を立てたんだな。
比良さんの見た目が小柄なので、弱いと思い込んであんなことを。
「比良さんは天狗の力を持っていて強いのだから、やり返せば良かったのに」
春近は素朴な疑問を投げかけた。
「……私が神通力を使えば、普通の人間は死んでしまう……あの程度は問題ない……」
「でも、やられっぱなしなのは……自分も大切にしないと」
「……分かった、次からは怪我させない程度に反撃する……」
「比良さんは、きっと優しいんだね……」
きっとそうだ。誰よりも優しいのかもしれない。でも、他人にばかり気を使ってしまい、自分を粗末にしてしまうのは違うと思う。
前に天音さんが言った『優しい人は搾取され続けて擦り減ってしまう』という言葉を思い出すよ――
比良さんも天音さんも、どんな人生を歩んで来たのだろう……きっとそれぞれ色々な悩みが有ったのかもしれない。
皆が幸せで優しい世界になれば良いのに。
でも、現実は……人の心には悪意もあって、優しい人や弱い人が踏みにじられてしまうのかもしれない。
「……今日は……喋り過ぎて疲れた…… でも……庇ってくれたのは嬉しかった……ありがとう……」
一二三は、それだけ言うと校舎内に戻って行った――――