第八十九話 ヤンデレの帰還
天気は明け方から急変し、暴風雨が窓を叩きつけている。
遠くの空に雷光が走り、少し遅れて雷鳴が轟く。
ピカッ! ゴロロロロローン!
「だんだん近くなってきたみたいだ……」
春近は教室の窓から、時折紫色に光っている空を眺めている。
何か胸がザワザワする――――
ズドォォォォォーン! バリバリバリバリバリッ!!
「近い! もうすぐそこまで来ているような!」
雷は間近に迫っている。
次は、この校舎に落ちそうな予感がする。
ズドオオオオオォォォォォーン!
「旦那様!」
「うわあああああああああっ!」
春近はビックリして腰を抜かした。
「えっ、あれ……」
振り向いたそこに、雷光に照らされた栞子が立っていた。
その姿は、僅か七歳で女城主となり後に鬼嫁と呼ばれた立花誾千代のような勇ましい女武者の風格を漂わせている。
立花誾千代、あの豊臣秀吉でさえ怖くて手を出さなかったという強き女!
「誾千代さん……」
「栞子です……」
二人は暫しの間見つめ合った。
「栞子さん、もう体は大丈夫なんんですか?」
春近は、名前を間違えたことはスルーして、栞子の体を見回して手足に傷がないかチェックした。
ペタペタペタペタ――
「良かった。傷は残ってないみたいですね。心配したんですよ」
「あ、あの、旦那様……大胆ですね。そんなに体中を触られると……」
「わわっ、すみません! つい心配で」
春近は慌てて手を引っ込める。
「こ、これはですね。し、栞子さんの綺麗な脚に傷でも残ったら大変だと思って、ついベタベタ触ってしまい……」
よく考えなくても、かなり失礼なことをしている春近だ。
「わたくしの体は旦那様のモノなのですから、好きになさっても良いのですよ」
「わーわー! ダメです、またそんな誤解が広がるようなことを」
いや、待てよ……そういえば、栞子さんには勝手に結婚の話を進められていたんだよな。
何とか皆の誤解を解いてもらわないと。
「おはよー」
「あっ、もう大丈夫なのか?」
ちょうどそこにルリと咲がやってきた。
「はい、もう大丈夫です。実は療養中なのですが、早く旦那様に逢いたくて抜け出してきました」
「それ、大丈夫なのか……?」
つい、春近がツッコんでしまう。
「おい、ハル、まだ結婚するって話を聞かせてもらってないんだけど!」
咲が話を切り出し、春近も待ってましたとばかりに説明を始める。
「そう、それなんだけど、結婚なんて話は同意してないですよね。栞子さん」
「旦那様、挙式のプランなんですが、いくつかパンフレットを貰ってきまして……」
「くぅ、この、人の話を聞いちゃあいない感じが懐かしくて、栞子さんが戻って来たと実感するぜ」
今まで栞子を見てきて春近は感じていた。彼女は、根は真面目で一生懸命だが、頑張り過ぎて思い詰めてしまい暴走するのだと。
家庭の事情など重圧があるのだろう。
「ハルぅ、ホントに結婚しないよね?」
「し、しないしない。ルリ、目が怖いよ」
グイグイと迫るルリに、春近はタジタジだ。
「まあ、だいたい予想は付いてるんだけどさ」
咲は何となく状況を見て理解しているようだ。
しかし、修羅場とは、得てして更に混迷を深めるものである。
「ハル君っ!」
このタイミングで天音が教室に入ってきた。
「ハル君、おはよっ」
「お、おはようございます」
このタイミングはマズい気がするのだが、天音ハリケーンは誰にも止められないのだ。
「ハル君に逢いたくて来ちゃった。あ、そうそう、デートいつにする? 駅前に美味しそうなイタリアンのお店があるんだけど、一緒に行こうよぉ」
「あ、あの、天音さん……この状況は」
目の前でイチャイチャを始めた二人に、栞子の瞳が急速にヤンデレ化してゆく。
「あの、旦那様……この方は確かあの時の。戦ったお相手ですわよね。わたくし、側室は構わないと申しましたが、まだ増やす気ですの……?」
栞子は、ハイライトが消えたような目で見つめてくる。
この目はマズい――――
「あれ、あの時の……もう体は良いの? で、ハル君、いつにする?」
「えっ、だから、あ、天音さんも結構強引ですね」
前は多少空気を読んだり周囲を気遣っていた天音だが、あれから全く空気を読まなくなった気がする。
「あ、あの、ですから、今はちょっと……」
「旦那様……わ、わたくし……う、ううっ……」
栞子の目から涙が零れる。
マズい、これはマズい!
「栞子さん、落ち着いて」
「うわわわわわわぁぁぁぁぁん!」
「やっぱりこうなったぁぁぁぁぁ!」
ルリと咲が、ジト目で見ながら『早く慰めてきてよ』というジェスチャーをしている。
天音は、何が起きたのか理解が追い付いていない感じに固まった。
「あの、栞子さん、保健室に行きましょう」
春近は授業を休み、栞子を保健室へと連れて行った。
教室を出る時に、和沙が『うっわ、女泣かせてサイテー』みたいな顔をしている。
更に和沙の春近に対するイメージが悪化した。
――――――――
春近は保健室に入り栞子をベッドに寝かせると、養護教諭が「またオマエか」と言って、気を利かせたのか部屋を出て行った。
「栞子さん、少しは落ち着きましたか?」
「旦那様に添い寝して欲しいです……」
「ええっと……」
「ううっうわぁああ……」
「分かりました。しますから泣かないで」
困ったお姫様である――――
「ほらほら、お腹ぽんぽんしてあげますから機嫌直して」
「今日の旦那様は優しい」
「もうっ、何で、あんな事を言ったんですか?」
春近の問いに、栞子は思い込み全開で説明を始める。
「それは……もう御祖父様に結婚すると伝えてしまって後には引けません。最初は反対されました。対立する派閥の長の御令孫ということもあり。ですが、わたくしが武士としての武勇や棟梁としての覚悟を見せれば認めるという話に……。だから、わたくしはあの時に死に物狂いで戦ったのです。それに、対立する家柄だなんて、ロミオとジュリエットみたいでロマンティックですわ」
「いや、それは凄いと思うし栞子さんは頑張ったと思いますけど、何で最初に結婚するなんて言っちゃったんですか?」
「だって、結婚したかったから……」
「だってと言われましても」
困ったな……栞子さんの家族まで巻き込んでしまっているし……何とか御祖父さんに結婚は栞子さんが先走ったという事で取り下げてもらえないだろうか?
「栞子さん、結婚の事は同意が取れていないから取り下げるように、御祖父さんに伝えて下さいよ。他にできることならしますから」
「嫌です! 武士に二言はありません!」
古風な信念を見せる栞子。
「そうですか……取り下げてくれたら、お付き合いの方は考えても良いと思っていたのですが……」
「取り下げます! 付き合って下さい!」
えええっ……武士に二言は無かったのでは?
凄いスピードで取り下げてきたぞ。
「これで、わたくしと旦那様は恋人同士ということですわね!」
さっきまでの落ち込み様が嘘のように、テンションが急上昇している。
旦那様なのに恋人とかよく分からない表現だが。
「ちゃんと御祖父さんに取り下げる旨を伝えてからですよ。それに、学生なのでわきまえて下さい」
「分かっていますわ。子づくりは卒業してからと言うことで。では、旦那様は0.01ミリと0.02ミリのどちらがお好みですか?」
「ちょまてよ! 何の単位だよ! というか何処で知ったんだよ!」
栞子さんって、ちょくちょく変な知識が出てくるよな。
「あの、栞子さん……本当にわきまえて下さいよ。学生なんですからね」
「うふふ、一日二回で毎日として、何箱買っておけば良いのでしょうか? 楽しみですわ」
「ダメだ、聞いちゃいねえ……」
この先、益々不安になる春近だった――――




