第二百六十二話 一番大切なもの
夜の埠頭は一種独特の雰囲気があり、まるで異世界へと向かう銀河船団の基地のように見える。
慌ただしく作業用車やトレーラーが動き、船に荷物を積み込んでいるようだ。
お高い焼肉を食べ終えた春近たちは、何とか予定通りにフェリーターミナルに到着した。
「賀茂さん、大丈夫ですか?」
春近の声掛けに、賀茂明美は憔悴した顔を向けた。
「ご、ごめんなさいね……お見苦しいところを見せてしまって……」
ベロベロに泥酔し高級焼肉をビールと一緒にリバースしてしまったのだが、水を与えたり介抱していたら正気を取り戻したのだ。今は年下の子たちに醜態を晒してしまった恥ずかしさから落ち込んでいた。
普段のキリッとした知的な才女の佇まいは無く、今にも泣き出しそうな顔になっている。
そんな賀茂に春近は優しく声をかけた。
「えっと……ほら、誰でもお酒を飲んで発散したい時ってありますよね。無事フェリーターミナルに着いたんだから気にしないで下さい」
「うっ、うううっ……あんな恥ずかしいのを見られちゃうなんて……」
「気にしてませんから。誰だって一度は経験するもんですよ。(たぶん?)」
「キミ、優しいのね……てっきり恥ずかしいネタで強請られて、次はもっと恥ずかしい排泄シーンを見せろとか言われると思ってたわ……」
「オレを何だと思ってるんですか! そんな酷いことしませんよ」
まったく――
賀茂さんの中のオレって、どんなイメージなんだよ……
「じゃあ、乗船手続きに行ってくるわね」
「お願いしますよ」
「ふふっ、キミが私を狙ってるのは知ってるけど、何だか優しくされて少しだけなら良いかもって思っちゃったわ」
「いや、無いから! 狙ってないから! なんなの、もう!」
賀茂が冗談なのか本気なのか分からないセリフを残すと、乗船手続きの為にカウンターに向かって行った。
待合室にはたくさんの椅子が並び、据え付けられたテレビがニュースを流している。
つい先日の隕石落下ではパニックになっていたのに、今では街も元通りで人々も普通に生活していた。
もし、隕石が都心に落ちていたら、今この街に居る人々……街行く親子も恋人たちも老夫婦も全てこの世に存在していないのかもしれない。
春近と彼女たちは、数え切れないくらい多くの人の命を救ったのだ。
それ程の功績を残しながら、春近は普段と変わらない呑気さでいた。
「おにい、見送りに来たよ」
後ろから妹の声が聞こえた。
春近が振り向くと、そこに両親と共に夏海が立っている。
「あっ、見送りとか要らないのに。いつでも戻れるんだから」
呑気な春近に、両親は念を押すように返答する。
「そうはいかないだろ。酒吞さんにも挨拶に来たんだよ」
「もう、春近は黙っていたら全然帰ってこないんだから。見送りくらいしないと」
春近としては色々とヤバい事になりそうなので見送りは断りたいのだが、両親としてはそうはいかないようだ。
「春近よ、ワシも来てやったぞ」
更に祖父の晴雪まで現れる。
「いや、だから、身内バレはマズいんだって(ぼそっ)」
「春近、何か言ったかの?」
「いや、何も……」
春近が家族と話していると、ルリがひょっこりと現れた。
「あの、その節はお世話になりました」
「酒吞さん、お元気そうで。息子をありがとう」
「い、いえ、お義父さん、ハルとはエッチ……じゃなかった、元気にやってますから安心して下さい」
ななな、ルリが……ちょっと危なっかしいけど、マトモに挨拶している。
「嬢ちゃん、ワシもおるぞ」
「あ、ジジイ!」
「何か、ワシにだけ雑な扱いじゃのう……」
晴雪には相変わらずだった。
そして、さっきからソワソワしている咲が、ジリジリと近寄って来て春近の隣に並ぶ。
「あ、あの、アタシ、私は茨木咲といいます。お、お世話になってます」
「ど、どうもご丁寧に」
「こちらこそ初めまして」
咲の、少しだけ春近と親しいアピールを含んだ挨拶に、両親も挨拶を返す。
あれ? これって、このパターンは、何かマズい気がしてきた――
春近の心配を他所に、渚が威風堂々とスーパーモデルのような気品を漂わせ春近の隣に来た。
「春近のご両親かしら。初めまして。大嶽渚と申します。春近とは深い仲なの。今後とも、よろしくお願いするわね」
「あ、ああ、これは……どうも……」
「は、はじめ……まして……」
両親が渚の女王然とした威圧感で、完全に気圧されてしまった。
初めて妹と会わせた時と同じ反応だ。
だが、これで終わりではない。
「初めまして! 鞍馬和沙です。ハルちゃ……春近君とは運命を誓い合った仲です。よろしくお願いいたします」
和沙まで挨拶に来てしまう。
「お義父さん、お義母さん、大山天音と申します。春近君とは結婚を前提にお付き合いさせて頂いております」
ダメ押しで、天音がトドメを刺しに来た。
他の彼女も挨拶しようとしているのを、春近が必死のジェスチャーで頼んで止めていた。
「その、春近、なんだ……程々にな……」
「ああっ、眩暈が……」
あまりの出来事に眩暈でふらついた母親が、父親に支えられて戻って行った。
「ああああっ、バレてしまった! ハーレムなのがバレてしまった!」
「おにいの自業自得!」
ジト目の夏海がツッコミを入れる。
遂にハーレム王なのが親バレしてしまった。
いつかはバレる事なので仕方がないのだが、やはり親もショックを受けているようだ。
夏海は怒っているようでいて、少しだけ同情して兄を慰めようとしていた。
待合室には遥の両親も来ていた。
「遥、体には気を付けるんだよ」
「お父さん、大丈夫だから」
「本当に良いの? もし、あれなら……家に戻って……」
「お母さん、大丈夫だって。皆良い人だから何も問題ないよ」
そんな中、遠くから黒百合を見つめる中年男性の姿があった。
その男は、無精ひげを生やし、少し疲れた表情をして、見つからないように柱の陰から黒百合だけを見続けていた。
「黒百合……良かった……あんなにも楽しそうな笑顔で……元気にしているんだな……」
そう呟くと、男は背を向けて待合室を後にする。
駅方面へ歩きながら男は考える。
黒百合――
俺はダメな父親だった……
もう許されることも無いのだろう……
でも、最後に一目だけでも、成長した娘の姿を見ておきたかったんだ……
俺に父親の資格は無いけど、一目見るだけなら……遠くから見るのだけは許してくれ……
男は古ぼけたコートを羽織った体を寒そうに抱えながら、クリスマスキャロルが流れ色とりどりの電飾が煌く駅に向かって歩く。
信心深くない男も、今夜くらいは娘に会えたのを神に祈りたい気になっていた。
「お父さん?」
その時、背後から予想外の声が掛けられる。
「お父さんでしょ」
黒百合が追いかけて来たのだ。
空気を操る神通力を持つ黒百合は、周囲の空気の流れや気配を感じ取りやすいのだ。
微かに、ほんの僅かに、とても懐かしい空気の流れを感じ取り、気になって追いかけて来たのだった。
「ひ、人違いだ……」
「そんなわけない。やっぱりお父さんだ」
男は泣いていた。
それは、我が子を捨てた贖罪の涙なのか、それとも――――
「ぐっ、ううっ、ぐっううわっ……すまねえ……黒百合に嫌な思いをさせるつもりじゃなかったんだ。遠くから、遠くからほんの一目だけでも大きくなった黒百合を、最後に一回だけ見ておきたかったんだ……。俺なんかが会いに来たら、黒百合が嫌な気持ちになるのは分かってるんだ。でも、一目だけでも……ううっ……」
「お父さん……ありがとう……会いに来てくれて」
「お、おおっ、ぐっううっ……黒百合、こんなダメな親を許してくれるのか……。ごめん、ごめんな、黒百合、捨てるつもりじゃなかったんだ。何もかも嫌になって酒に逃げて……それでおまえを……。い、今は酒もギャンブルもやめたんだ。アルコール依存症のカウンセリングも受けてな、今では自助グループから紹介された会社で真面目に働いているんだ。あの時、何もかも捨てちまって気付いたんだ。何が一番大切だったのかを。俺は一番大切な娘を……あれからずっと後悔して……」
「私なら大丈夫だから。元気でやってるから。また、会いに来て……」
「うううわあああぁっ、黒百合ぃぃぃぃぃーっ!」
二人は抱き合ってから別れた。
また会う約束をして。
黒百合はフェリーターミナルに戻りながら思っている。
人は皆弱い生き物なのだ。
一人では抱えきれない程の悲しみや怒りや苦しみなど、やり場のない気持ちを抱えて立ち続けろと言う方が無理なのだから。
誰だって投げ出してしまいたい時もあるのだから。
でも、やり直そうとする気持ちが少しでもあるのなら。
きっと――――
――――――――
定刻になり春近たちは乗船を開始する。
タラップを上がって甲板に出ると、見送る人々や街の明かりが一望できた。
ブウォォォォォォォォォォ――――
出向の汽笛が鳴り、船は岸壁を離れ大海へと進んで行く。
向こう側に綺麗な東京の夜景がキラキラと、まるで天の川のように瞬いているように見えた。
賀茂が、何やらロマンティックな顔をして話し出す。
「ねえ、キミたち、あの綺麗な夜景。あれはキミたちが守ったのよ。キミたちがいたから、多くの人や街が助かったの。それは誇っても良いはずよ」
船は進む。
南に向けて。
春近たちを乗せ、はるか遠くの楽園に向かって。




