第二百四十五話 愛する彼女と3000万人の命
春近たちは、陰陽庁からの呼び出しを受け学園の通信設備のある部屋に入る。
この部屋に入るのはクーデターの時に祖父とビデオ通話して以来だ。
春近がパソコンの前に立つと、画面の向こうの陰陽庁長官である晴雪が慌てた様子で話し掛けてきた。
『は、春近よ、き、き、緊急事態なのじゃ!』
「じいちゃん、落ち着けよ。隕石の件だろ」
『そ、そ、そうなんじゃ! げほっげほっげほっ!』
晴雪が慌てて喋ろうとして咽ている。
余程、切羽詰まった状況なのだろう。
『長官、私が説明します』
『お、おう、頼んだぞ』
祖父に代わって画面に映ったのは賀茂明美だった。
『土御門春近君、陰陽庁の依頼の前に、今の状況を説明します』
賀茂は資料を広げ説明を始めた。
『小惑星アドベルコフトゥスの落下予想地点ですが、アメリカ総合宇宙センターの分析と時を同じくして、日本宇宙研究センターが世界最速のスーパーコンピューター高天原による軌道計算をしましたが、日米両国の解析共に落下地点は東京都心との結論が出ました』
「えっ…………」
な、何を言っているんだ――
そんなバカな……
選りに選って都心に落ちるだなんて……
最悪だ……
春近が茫然とするなか、賀茂は話を続ける。
『アドベルコフトゥスは地球表面から約4万kmを通過するはずでしたが直前でいくつかに分裂、その内の一つ100~130mクラスが軌道傾斜角45度で落下する予想です。質量330万トン、落下スピードはマッハ56.5、衝突エネルギーは150メガトンと推定。落下地点から半径50km圏内が爆風で破壊され、半径100km圏内の家屋が倒壊、被災者は約3000万人と予想されます』
「そんな……3000万人……う、嘘だろ……」
『そこで、これは……お願いなのですが、あなたたちに隕石を破壊して欲しいのです』
賀茂は沈痛な面持ちになって頭を下げる。
「そ……んな……む、無理だ! 質量330万トンの物体がマッハ56で飛んで来るのを、どうやって破壊するんだよ! 無理に決まってるだろ! もっと、こう……例えば核ミサイルで壊すとか……」
春近が答える。
いくら春近やルリたちが強いといっても限度がある。
『核ミサイルによる隕石破壊のシミュレーションは、各国が昔から何度も研究していますが、確証が得られておらず成功確率は極めて低いのです。それに、もう時間が無いんです。あと22時間後にアドベルコフトゥスは落下する予測なのです。あなたたちが断わるのなら、もう我々は……』
賀茂は、そう言うと両手の拳を握り締めた。
もう一度だけ婚約者の孝弘に逢いたかったと言わんばかりに。
「そんな重要な決断をオレたちに委ねられても……」
もし、迎撃に失敗したら……オレもルリたちも一瞬で消滅……確実に即死だろう。
九州で玉藻前と戦った時に、六人同時攻撃により山の上部を吹き飛ばしたことがあった。
もし、十二人……いや、鬼神王になったオレの呪力を合わせて十三人同時攻撃なら……
いやダメだ!
山は止まっているが、隕石は超音速で飛来するのだから。
そもそも攻撃が当たるのかどうかも――
春近が可能性を思案するが、どれも不可能に思えた。
『無理は重々承知なのです。地表に近い場所で破壊した場合では、マッハ円錐と呼ばれる衝撃波の影響を受けて、都心の建物が倒壊してしまいます。なるべく高高度で破壊せねばならずチャンスは一瞬です。そして、もし破壊が不可能ならば、軌道を変えて太平洋に落下させるだけでも……』
「失敗したら即死……例え破壊できても衝撃波で粉々に……」
春近がルリたちを見ると、皆不安そうな顔で成り行きを見守っている。
こんな成功確率が低そうな作戦で大切な彼女を危険にさらすわけには――
でも、やらなければ東京圏3000万人の命が……
『春近よ……もう時間がないのじゃ。自衛隊の輸送ヘリを、そちらに向かわせておる。もし、やってくれるのなら……そのヘリに乗ってくれ』
再び晴雪が画面に映り、申し訳なさそうな顔で頭を下げる。
「でも……」
春近が何か言おうとした時、突然画面にあまり見たくないオッサンの顔がアップで映し出される。
『おおおお願いだぁぁぁー!! た、頼む、この通りだ! 助けてくれ!』
大津審議官だった。
普段は、眉間にシワが入り気難しそうな太々しい顔をしているのだが、今は涙で顔がぐちゃぐちゃだ。
『わ、わ、私には娘がいるんだ。大学に通って一人暮らしを。もう、電話回線が混乱して繋がらず、交通網も混乱して逃げることも出来ないんだぁぁぁ! このままでは娘の命が! まだ娘の人生はこれからなんだ! 夢も希望もあるんだ! 頼む! この通りだ! 助けてくれ!』
大津は完全に取り乱して、春近に懇願している。
春近は、そんな大津にどうしても言いたいことがあった。
「それなら……同じ娘を持つ父親なら……どうしてルリに酷い言葉をぶつけたんだ! あんたは覚えているか分からないけど、ルリを車で連れ去った時も酷い言葉の暴力で、ルリはあんなに悲しそうに泣いていたんだ! 蘆屋満彦を捕まえた時だってそうだ。存在自体が迷惑だと? あんたは、自分の娘が同じ言葉をぶつけられたらどう思うんだ!!」
『ううっ、そ、それは……』
「今まで散々酷い扱いをしていて、都合が悪くなったら頼み事をしてくるのかよ」
「す、すまなかった! この通りだ!」
大津は突然立ち上がると、椅子を除け床に土下座をした。
『申し訳ない! 本当に反省している。私の頭ならいくらでも気が済むまで下げよう。娘をもつ父親として、あなたたちにも大切な存在がいることを気付けなかっただなんて、私の不徳の致すところだ。今までの非礼は謝罪する。気が済むまで殴ってくれてもいい。だから娘を、東京を救ってくれ!』
画面の向こうで何度も頭を床に擦りつけている大津の姿が映っている。
もう、前のような偉そうな態度ではなく、ただただ懇願する一人の父親がそこに居た。
『春近よ……これは大変危険な作戦じゃ……助けてもらいたいのは山々じゃが、もし無理だと思うのなら逃げてくれてもいい。その時は、なるべく遠くに逃げるのじゃぞ』
画面が晴雪に代わった。
少し寂しそうな、少し悲しそうな笑顔をした。
春近たちが作戦を行わなければ、これが最後の別れになるだろう。
「取り敢えず考えてみる。オレの一存では決められないから、皆の意見を聞いてからにするよ」
春近は、そう言ってビデオ通話を切った。
春近が再びテレビの前に戻ると、そこには大混乱になった都心の映像が映し出されていた。
街を中継しているリポーターも、何か投げやりな感じになって伝えている。
『道路が大渋滞です! 全く動いていません! 街にはクラクションと悲鳴が鳴り響いています!』
画面が報道センターに切り替わる。
『先程、アメリカ政府発表で、落下予測地点は東京都心だとの報道がありました。日本政府からはまだ公式な発表はありません。道路が車で覆い尽くされ大渋滞となっている模様です。各地で交通事故が多発し、一般道も高速道も全く動いていないとのことです。駅に人が殺到し大混乱になり電車もストップしてしまいました』
また中継が切り替わり、空港の様子が映し出される。
『今、私は空港に来ているのですが、パニックになった人々が殺到し大混乱です! うああっ!』
リポーターが揉みくちゃになっている。
『ゴラッ! 上級国民だけ逃げようとしてんだろ! 俺たちも飛行機に乗せろ!』
『助けてぇぇぇー! 小さな子供がいるんですぅぅ!』
『金はいくらでも払うから、俺も乗せてくれぇぇぇー!』
『もうだめだぁぁぁぁぁ! 助けてくれぇぇぇ!』
『飛行機乗るってレベルじゃねーぞ! ちくしょー!』
「ダメだ……完全にパニックになっている……」
画面がスタジオに切り替わった。
さっきキャスターの座を奪った女性アナウンサーが孤軍奮闘していた。
コメンテーター陣の姿が見えないのは、逃げてしまったからだろうか?
『皆さん、落ち着いて逃げてください。落下予想地点から少しでも遠くに。そして、出来るだけ建物の地下の階層に』
『どうせ皆死ぬんだ……何処に逃げても無駄だろ……』
床にへたり込んだ大御所キャスターが呟いた。
すると、女性アナウンサーが大御所のところまで歩いて行くと――
思いっ切りフルスイングしてビンタをくらわせた。
バッチィィィン!
『痛ってぇぇぇ! 何するんだ!』
『諦めないで! まだ、まだ何か方法があるはずよ! 少しでも被害を少なくしないと!』
大御所は目を白黒させている。
業界でトップクラスの大御所だけに、まさか若い女子アナにビンタされて説教をくらうとは夢にも思わなかっただろう。
「3000万人か……余りにも責任が大きすぎる……半径50kmが壊滅されるとなれば、都心から離れていると思っていたこの学園も吹き飛んでしまうのか……」
春近が呟く。
もし、逃げるのなら、皆の呪力を駆使して出来るだけ遠くに逃げれば助かるのかもしれない。
しかし、この学園の生徒たちは……実家の両親は……
皆を見捨てて自分たちだけで逃げるなんて許されるのか……
「わ、私……皆を助けたい」
突然、ルリが話し始めた。
「だって、隕石が落ちたらハルの実家も無くなっちゃうんでしょ。ハルのお父さんやお母さんは私を認めてくれたんだよ。あんな良い人なのに、見捨てて逃げるなんてできないよ」
「ルリ……」
ずっと黙っていた忍が声を出した。
「わ、私も……助けたいです……」
「忍さん」
「この力で、今まで嫌な思いをしたことも多かったけど……。でも、強い力を持った人は、弱い人を守る義務があるような気がして……」
忍が賛同して傾きかけたかと思った時、天音が反対意見を述べる。
「私は反対だな。そりゃ誰だって助けられれば助けたいよ。でも、成功する可能性が殆どないのに、のこのこ出掛けて行って皆死んじゃうなんてイヤ! 私はハル君を死なせたくない!」
「天音さん……」
天音の主張にも一理ある。
成功の可能性がないのに出て行って失敗するのは、勇気ではなく無謀というものだろう。
どうする――
どうすればいい……
彼女たちの命を最優先に考えて逃げるのか、それとも東京圏3000万人の命を救う為に向かうのか?
ダメだ! どっちも選べない!
こんなの天秤に掛けられるようなもんじゃない!
「ハルチカ……ちょっとコッチに来るです」
その時、アリスが考え込む春近の手を引っ張って、皆から離れた場所に連れて行く。
「アリス」
「少し話があるのです」
春近は重大な決断を迫られていた。
暮れも押し迫り、島への移住も進めようとしていた矢先の大事件。
運命に翻弄される春近が出した決断とは――――




