第二百四十三話 イケナイ事
ヤンデレとは、意中の相手に対する好意が高まり過ぎ、病的な精神状態になって愛情表現してしまうキャラだといわれている。
春近はアニメやゲームのヤンデレキャラが好きなのだが、リアルでヤンデレっぽい被害を受けてしまうと、ちょっとその考えを見直さなければならないと思ってしまった。
少し湿った栞子の匂いが染みついたシーツに包まれ、寝返りを打つ度に顔が枕に埋まりダイレクトに栞子の匂いが入り込んで来るのだ。
もう、目覚めた時には春近の匂いが栞子そのものだ。
ちょっと意味が分からない――――
「お、恐ろしい……一晩中栞子さんの匂いに包まれて、まるで洗脳攻撃を受けているようだ」
留守中に忍び込んでベッドの中に入り込んでしまったのだろう。
何故、枕が湿っていたのか不思議なのだが、理由を探すと怖いので考えるのをやめた。
春近が教室に入ると、ヤンデレ目になりダークオーラを放出する栞子とばったり遭遇する。
彼女の方から不敵な笑みを浮かべて近付いてきた。
「栞子さん、昨日のアレは!」
「くふふふふっ……旦那様……昨日は楽しんで頂けましたか? わたくしのお楽しみ三点セットですわ」
お楽しみ三点セットというまるでハンバーガーのセットメニューみたいなものは、セクシー自撮り写真、脱ぎたて下着、シーツへの匂い付けのことだろう。
「旦那様のベッドで寝ていたら、わたくし昂ってしまいまして……」
「うっわぁぁぁーっ! それ以上言わなくていいから! あえて考えないようにしていたのに!」
何となくそうだろうとは思っていたのだが、実際に生々しい話を聞かされると――
栞子さんって、いつもは要領悪くてポンコツなのに、何でこういうことだけ周到で抜け目ないんだ。
「うふふふふっ、旦那様……わたくしの攻撃が、この程度だと思ってはいませんわよね? これからが本番ですわよ」
「は?」
「わたくしを怒らせたことを後悔しながら、わたくしの匂いが付いた寝具で寝て、わたくしのパンツを穿き、わたくしのエッチなあれを――――」
「ぐわあああああっ! 聞きたくない!」
「――――で、一生わたくしに塗れて生きて行くのですわ! お~ほっほっほっほっほっ!」
「な、なんて、ド変態なんだ……」
「あっ、旦那様がお怒りになって、わたくしにキッツいお仕置きをなさるのなら、いつでもウェルカムですわよ!」
春近が我慢していれば延々とド変態攻撃が続くことになり、反撃してキツいお仕置きをすれば、それも大喜びで全て受けきると言っているのだ。
もはや打つ手無しだ。
何をしてもしなくても栞子には勝てそうにない。
本当に恐ろしい相手を敵に回してしまったのだ。
「ああああっ、どうすればいいんだ……」
春近は自分の席に着いて頭を抱える。
「ハル、栞子とケンカでもしたのか?」
二人の様子がおかしいのを察知した咲が声を掛けてきた。
「実は…………」
「ハル、女の匂いがする」
話そうとした春近の髪の匂いをクンクン嗅いだルリが、春近から女の匂いがすると指摘した。
他の女の匂いには、やたら敏感なのだ。
屋上――――
「はああ? 別れた!?」
春近の説明を聞き、咲が驚いて大きな声をあげた。
屋上に皆を集め、栞子との事情を話したのだ。
「うん……栞子さんの将来とか、鬼の力が移る可能性を考えたら……」
皆が切なげな表情になる。
これまで一緒に遊んだり騒いできた仲間という意識が強い。
急にお別れというのも寂し過ぎる。
「春近君、源さんのようなヤンデレキャラを拒絶してしまうと、こじらせて恐ろしいことになってしまうかもしれませんよ。ヤンギレキャラになったらどうするのですか」
杏子が言う。
アニメでもヤンデレキャラが最終回で大暴れして、内容が危険過ぎて放送自粛となり、画面が美しい大自然の映像に切り替わってしまう事件んまであるのだ。今でもネットで語り継がれるネタになっている。
「じ、実は…………」
「きゃははははははっ! はるっちのエッチな画像や本が~! パンツがぁ~! ウケル~っ!」
「いや、ウケナイから!」
春近が事情を説明すると、ツボに入ったあいがお腹を抱えて笑い出す。
確かに話だけ聞くと、エッチ画像を削除され代わりに栞子セクシー写真が入っていたり、パンツが交換されていたりと笑える内容だ。
実際に被害に遭った本人には笑えないのだが。
「ハルぅ、エッチな本を持ってたんだ~」
ルリに右腕を掴まれる。
「ハル……そんなにエッチな画像が見たいなら、アタシのを見ろよ……」
咲も左手を掴んで離さない。
「いや、ちょっと待って、問題はそこじゃなくて……」
「ハルがエッチな本をいっぱい持ってるのが問題なの!」
「そうだそうだ、ハルがエッチなのが悪いんだ!」
ルリと咲に掴まれて絶体絶命の春近に、天音が手を差し伸べる。
「ちょっと待って、ハル君は悪くないよ。男の子はエッチな本や画像の一つや二つ誰でも持ってるものなんだよ。ハル君は悪くないよ」
大事なことなので二回言った。
男心を知りつくている天音なら、男がエッチな本や画像をおかずにしていることくらいお見通しだろう。
「天音さん……さすが優しい」
「男の子はエッチな画像でイケナイ事しちゃうんだよね? ハル君ってば、エッチでヘンタイでサディスティックな女子に調教されちゃうゲームが好きなんだもんね?」
「あ、あの、天音さん……今その話、要ります……?」
春近を庇っているようでいながら、どさくさに紛れて恥ずかしいネタを暴露し、恥ずかしがる春近の顔を見て興奮するという、天音のアメとムチを使い分けつつ自分も美味しい新手の調教だった。
そして、それを聞いた他の彼女たちがジト目になって、『やっぱ、そういうのが好きなんだ』とか『ドMなのはバレてるって』みたいな顔をしていた。
「まあ、そういう事だから、エッチな本くらいでハル君を責めちゃダメなんだぞっ! ねっ、和沙ちゃん」
「な、な、な、何で私に話を振るんだ!」
エッチな本の話題が出た時から急に静かになっていた和沙が、天音に話を振られて誰が見ても分かるくらい動揺している。
きっと、春近と同じようにエッチな本を隠し持っているのかもしれない。
「鞍馬さん、エッチな本くらい女性なら誰でも持っていますよね。私も大人な同人誌を大量に持っているであります!」
フォローしようとした杏子が自爆する。
「きょ、杏子……そういうフォローはいらにゃいから……」
杏子が和沙がエッチな本を持っている前提でのフォローをし、和沙がムッツリなエロ本所持者なのが確定事項のようになってしまう。
杏子としては、自分と同じようにエロい本所持女子がいてテンションが上がっただけなのだが。
ただ、女子が皆エロい本を持っているわけではない。
「ねえ、ルリっち、さきさき、そのままはるっちの両手を押えててね」
ガチャガチャ!
あいが春近のズボンのベルトを外し始める。
「ちょ、待て! ダメっ! うわっ!」
ズボンを下すと、女性用下着を付けた下半身が見えた。
「はるっち……大変だったんだね」
そう言うと、元通りズボンを穿かせてくれる。
栞子は用意周到にクローゼットの中の下着まで全部自分の物と入れ替えておいたのだ。
ノーパンで登校するわけにもいかず、春近は栞子のパンツを着用していた。
「は、ハル……ぷふっ」
「えっと……大変だな……ぷっ、ぷーくすくす」
ルリと咲が同情するが、少し笑いを堪えているように見える。
「ぷっ、は、ハル君……ぷるぷる……あ、あの、似合ってるね、ぷぷっ……」
「天音さん、もう、そんなに笑いを堪えなくても良いですよ」
「ご、ごめん……ぷっ、そんなつもりじゃないんだけど、ふふっ……ぷっ、だ、だめっ、ふふっあははっ、ハル君、可愛すぎ……ふふふっ」
天音のツボに入ったようだ。
「と、とにかく、栞子さんには申し訳ないので、丁寧に説明してみます」
春近が話を締めようとした時、アリスが独り言のように呟いた。
「本当に、鬼の力の根源が移るのですかね?」
「えっ、それってどういう……?」
「わたしたちの力が移ったのは、鬼が『つがい』を作るように、本当に心を許した相手にだけ呪術回路のようなものを構築し、霊的というか魔術的というかそのような繋がりを持つものだと思うのです。ただハルチカの場合は例外で、十二人のつがいを作ってしまった為に根源が混ざり合って暴走したのかも」
「つまり、そもそもは鬼とつがうのは危険なことではないと……?」
「そうでなければ、千年も連綿と鬼の遺伝子が受け継がれた説明ができないのです。ハルチカがエッチ過ぎるのが悪いのです」
「ううっ、それは……言い訳できない。でも……もし、それが本当なら……」
確かに十二人も嫁を作るようなのはおかしいし、それが伝説的な鬼や大天狗の力を持つ者ということは、今までの歴史上誰も存在しなかっただろう。
様々な偶然が重なって史上最強の存在となったのだが、当の春近はその自覚はなく力を誇示するわけでもなく静かに暮らしたいと思っていた。
鬼――――
伝説上の悪役として人の記憶に残り続けている。
ただ、様々な偶然が重なり合うのが続き、例えば100万分の1の確率で起こりうるような、誰も関与できぬ所で人類は危機に瀕し、鬼神王と十二天将の力が試される時が迫っていたとしたら。
歴史上長らく悪役とされてきた鬼たちが、生きとし生けるものを救うために戦うことになるとしたら。
世界はまだ春近たちに安寧を与えず、新たな伝説が生まれるのを見ることになるのだった。