第二百四十二話 お嬢様はくじけない
誰もいなくなった放課後の教室に、春近と栞子が向かい合っている。
栞子の艶やかな黒髪が風になびく。
初めて会った時から美しかった――――
すらっとした均整のとれた美しいスタイルに、御令嬢のように整った顔と艶やかな黒髪、凛として透き通る綺麗な声。
どう見ても完璧に見える美少女なのに、思い込みが激しくて要領が悪くてポンコツな彼女。
たまにヤンデレオーラをだして、ストーカー紛いのことまでしてしまう。
本人はいつも一生懸命なのに、ツキがないのか何なのか毎回残念な結果になってしまう源氏の姫。
春近は、重大な決断をしていた。
緑ヶ島に移住するにあたり、栞子をどうするかずっと考えていたのだ。
陰陽庁の楽園計画として始まった移住だが、春近の鬼神王騒ぎにより少し方向が変わってしまい、当初の危険な鬼を遠くの島に移住させようというものから、かなり待遇も改善され自由も認められるようになった。
しかし、春近自身が死の危険に陥った鬼の遺伝子の暴走。
ルリたちとの心と体の繋がりによって、力の根源が移り鬼へと変貌した。
もし、栞子と関係を持ち、同じように力が移るようなことになったのなら……
力の根源のシステムはさっぱり分からないが、春近の時は奇跡的に助かったのであり、二度も奇跡が起こる確証は無い。
彼女が源氏の棟梁だとかお嬢様ということよりも、もし自分のせいで栞子を失うようなことになるのが怖いのだ。
あの時、ルリは『私のせいだ』と泣いていた。
もうあんなルリの悲しむ顔は見たくない。
そして、もし自分が同じように栞子を死なせてしまうかもしれない事態にしてしまったら……
今、この決断を栞子に伝える為に――――
「栞子さん、大切な話があるんだ」
春近が真面目な顔で話し始める。
「何のお話ですか? もしかして、遂に子づくりを……」
「いや、学生なので子供は……」
もう、挨拶の様になったいつもの会話。
でも……今日は冗談でも何でもない。
本気で話さないと。
「あの、緑ヶ島への移住のことなんだけど」
「その件でしたの。わたくしも楽しみです。とても綺麗な砂浜だと聞いていますので。南の島で旦那様と一緒に――――」
栞子は楽しそうに島での生活を語りだす。
春近は、笑顔の栞子に今から伝えなくてはならないことを考えると、申し訳ないような可哀想な気持ちでいっぱいになった。
「ご、ごめん!」
「えっ……」
「その……緑ヶ島へは、栞子さんを連れて行けないんだ」
「えっ、あの……これは……冗談ですよね……。旦那様ったら、お人が悪いですわ。こんなドッキリを……」
春近が頭を下げ続ける。
冗談だと思いたい栞子は、何度も春近に話し掛ける。
これは『どっきりだよ』と言って欲しくて。
「な、なんで……」
「本当にごめん。こんな直前になって……」
「どうして、どうして……」
呆然と立ち尽くす栞子に、春近はゆっくりと話し始める。
「栞子さんが一人娘のお嬢様とか源氏の棟梁だとか、そういうことだけじゃないんだ。オレに鬼の力が移った時……本当に死ぬ寸前だったんだ。もし、栞子さんまで同じ目に遭わせてしまったら……」
言葉を絞り出すように話す。
本当に栞子の命が心配なのだと。
「それなら大丈夫だと何度も伝えたではありませんか……わたくしは覚悟はできていると……例え旦那様とまぐわい力が移ったとしても……」
「オレが助かったのは奇跡なんだ。奇跡が何度も起こるとは思えない。栞子さんには本当に申し訳ないと思ってるけど、オレたち鬼と一緒に島へ渡るより、こっちに残って御祖父さんや四天王の皆さんと一緒に暮らした方が」
「い、い……嫌です! 絶対に嫌ですわ! わたくしも行きます!」
栞子の目から涙が一筋流れて光る。
「わ、わたくしは、幼い頃から鬼を倒す為に厳しい修行をし、周囲から……鬼は恐ろしい妖魔だと、鬼は人に仇なす存在だと教えられ、そして……この学園に入学し、最強の鬼の王である酒吞童子の転生者を倒す為に……。一人の女の子である酒吞さんに四天王を嗾けて……酷いことを……。それなのに、酒吞さんは、あの方々は、いつの間にか敵であるわたくしを普通に友達のように接してくれて……。鬼の血筋ということで、今まで酷い差別や偏見を持たれて辛い目に遭ってきたはずなのに、それなのに彼女たちは敵であるわたくしを受け入れてくれたのです!」
「栞子さん……」
「もう、昔の様に、何も知らなかった頃の様には戻れません! もう、旦那様も酒吞さん達も大切な人なのです! 絶対に、絶対に付いて行きます!」
「ごめん……ごめんなさい……」
春近は何度も頭を下げる。
「そうですか……旦那様が、そう申されるのなら……わたくしにも考えがあります」
「えっ?」
涙でくしゃくしゃだった栞子の顔が、再び力を取り戻しハイライトが消えたようなヤンデレ目へと変貌する。
今にも倒れそうだった彼女の体から、ダークオーラのようなものが立ち昇る気がした。
「だ、旦那様! 覚えておいて下さいまし! わたくしを敵に回したことを後悔なさいますわよ! ふふっ、ふふふふふっ……」
最後に不吉な言葉を残し、栞子は隠密スキルを使うように気配を消しながら帰って行った。
教室に一人残された春近が独り言を呟く。
「これで良かったんだよな。きっと、これが正解なんだ……今は辛くても、栞子さんには、こっちに残って活躍する輝かしい未来があるんだ。今は分かってもらえなくても、いつかきっと……」
ただ、最後に彼女が言い残した言葉が、春近の頭の中にいつまでも残っていた。
春近は、モヤモヤとした気持ちを引きずったまま、真っ直ぐ帰らず学園外へ買い物に行った。
もう何度も歩いた駅までの道。
初めてこの街にやって来た時も、この道を歩いて栞子と会ったのだ。
最初は道に迷っていた少女だと思った。
そして、ルリと直接会い探りを入れる為の作戦だったのだと改める。
しかし最終的に、やっぱり道に迷っていて偶然ルリと会ったポンコツ少女だったという結論になった。
栞子さん――
本当は優しい人なんだ。
栞子さんはルリに酷いことをしたと言っていたけど、本当はやりたくなかったはずなのに当時の陰陽庁からの命令で……
きっと、色々と気苦労が多かったに違いない。
人一倍頑張り屋で、何事も一生懸命で、それなのにいつも報われなくて……
今回だって、栞子さんだけ除け者みたいにするつもりはないんだ。
出来る事なら彼女の希望を叶えて上げたい。
でも、こればかりは仕方がないんだ……
思い出に浸りながらブラブラとし、買い物から戻ると寮の部屋に入る。
ふと、何かが違うような気がした。
何がどう違うのかは分からないが、何かの気配や匂いなど微かに部屋の雰囲気が違うように感じる。
荷物を台所に置いて、パソコンの電源を入れる。
高速処理が可能な半導体素子の記憶媒体で構成されたパソコンが即立ち上がり、すぐにフォルダー内を確認する。
何故か分からないが嫌な予感がするのだ。
「なっ! 何だこりゃぁぁぁぁぁぁあああああああ!」
確かにフォルダー内に保存してあった、内緒のお宝画像が全部消えている。
ちょっとエッチな画像も、好きなアニメキャラの画像も。
代わりに見た事もないフォルダーが保存されていた。
カチカチ!
マウスでクリックして『今夜のおかず』と書かれたフォルダーを開く。
栞子の写真が大量に入っていた。
中には水着姿のセクシーショットまで含まれている。
「や、やられた……」
栞子の『わたくしを敵に回したことを後悔なさいますわよ!』という言葉を思い出す。
彼女は、隠密スキルで部屋に忍び込み、どうやって解除したのか分からないがパスワードを突破して、パソコン内の夜のおかずを全消去した挙句、代わりに自分のセクシーショットに入れ替えたのだ。
「ま、まさか他にも……」
ベッドの下のお宝本を探す。
隠してあった薄い本やエッチな漫画が全て消えている。
「おい、冗談じゃねーぞ」
脱衣所を確認すると、洗濯する為にカゴに入れておいた下着が消えていて、何故か代わりに女性用下着が入っていた。
脱ぎたてホヤホヤだ――――
「これで、どうしろっちゅーんだっ!」
もう、信じたくはないが、何かの予感めいたものを感じて、ベッドの布団をめくる。
誰かがベッドに潜り込んだようにシーツは乱れ、枕やシーツはしっとりと汗で湿っている。
「なんじゃこりゃあぁぁぁぁぁぁぁあああっ!!!!」
春近は、栞子の言った通り後悔した。
敵に回してはいけない人物を敵に回してしまったのだ。
隠密スキルにより、どんな場所にも入り込み、どんなセキュリティも解除して、とんでもない破廉恥なコトでも平気でしでかす。
そして、ヤンデレ化した栞子は、どんな能力者よりも厄介だった。
正に、後悔先に立たずなのだ――――
鬼神王になり飛躍的に戦闘力の上がった春近だが、こんな変則的な間接攻撃は防ぎようもなく、もう栞子に対抗する手段も考えつかない。
諦めて、栞子の匂いの染みついたシーツと枕で眠るしかなかった。




